『メインストーリー』④
馬車は王都の西門から道沿いに走った。
目的地は『魔導都市レオ』近くの美しい湖畔だ。
通常なら片道一時間ほどで到着する距離である。
しかし、昨日降った雨で公道はぬかるみ、馬車は思うように速度を出せなかった。
車輪が泥へ沈むたびに馬車が小さく揺れる。
私たちに気を遣い、御者も段差や大きな水たまりを避けながら慎重に進んでいるため、到着までは一時間半以上かかりそうなペースである。
「お母様、あれを見てください!」
「ええ、綺麗ね。」
「お兄様、あれは何ですか?」
「どれだ?」
「あそこです!」
もっとも、主役のティアナは外の景色を楽しんでいるようなので、特に問題はなさそうだ。
窓の外に何かを見つけるたび、母上や私へ嬉しそうに話しかけてくる。
何度も通った道であっても飽きることなく目を輝かせている姿を見ると、馬車で来たのも悪くなかったと思える。
しかし、王都を出て一時間ほど経った頃。
「お兄様……。」
先ほどまで元気だったティアナの声が弱々しくなった。
顔色もあまり良くない。
どうやら、いつもより馬車が揺れたせいで少し気分が悪くなってしまったようだ。
「少し休むか?」
「はい……。」
この辺りは、ゴブリンが生息するエリアから少し離れている。
周囲を警戒している護衛のナイトたちもいるので、少しくらい馬車を止めても問題はないだろう。
「ティアナの具合が良くないみたい。少し馬車を止めて。」
母上も同じ判断だったようで、馬車を操る従者へ指示を出した。
「かしこまりました。」
従者が速度を落とし、馬車を道脇の比較的地面が乾いている場所へ止める。
私たちが降りると、メイドたちがすぐに動き始めた。
簡易テーブルを出し、椅子を用意して飲み物の準備をする。
「お嬢様、どうぞ。」
「うん、ありがと……。」
差し出されたのは、酔い止めに良いペパーミントティーだ。
ティアナは両手でカップを受け取ると、香りを確かめるように少し顔を近づけてから、ゆっくりと口を付けた。
いつもの元気がない。
私はその様子を見ながら、小さく息を吐いた。
ティアナには景色を楽しませてやりたかった。
普段とは違う景色を眺めながら家族で目的地へ向かうのも、今日の楽しみの一つになると思っていたのだ。
しかし、こうなると『ポータル』で移動するべきだったか。
ティアナが楽しんでいたから良かったものの、体調を崩してしまったのなら話は別である。
判断を誤ったと、私は小さくため息をつく。
幸い、十分ほど休むとティアナはすっかり元気を取り戻した。
頬にも先ほどまでの血色が戻っている。
「もう大丈夫か?」
「はい!」
立ち上がったティアナは、先ほどまでの様子が嘘だったかのように元気よく返事をした。
「お母様、早く行きましょ!」
「もう少し待ちなさい。今、片付けてもらっていますからね。」
「はーい。」
メイドたちは、先ほど準備したテーブルや椅子を手際よく片付け始めている。
これなら間もなく出発できそうだ。
そう思いながら待っていると、一人のナイトが母上のもとへ歩み寄ってきた。
「奥様。」
「どうしました?」
「道が荒れておりますので、少し迂回した方がよろしいかもしれません。」
どうやら今後のルートについて相談したいとのことだったので、私も一緒に話を聞くことにした。
ナイトによれば、この先も公道の状態はあまり良くないらしい。
このまま進めないわけではないが、馬車の揺れは今まで以上に大きくなる可能性があるという。
やはり足元が悪く、思うように馬車は進まないようだ。
そのせいでティアナも気分を悪くしてしまったし、この先はもう少しなだらかな道を進むべきだろう。
幸い目的地は近い。多少迂回したところで、そこまで時間はかからないはずだ。
「こちらから回れば、先ほどより揺れも少なくなるかと。」
「分かりました。では、そちらを通りましょう。」
母上が頷く。
私も異論はない。
ティアナがまた気分を悪くするくらいなら、少しくらい到着が遅れても構わないだろう。
話がまとまったところで周囲を見る。
メイドたちの片付けも、そろそろ終わる頃である。
あとは全員が馬車へ戻れば出発できる。
「ティアナ。」
そろそろ出発だと声を掛ける。
しかし返事はない。
「……ティアナ?」
もう一度呼んでみる。
やはり返事がなかった。
不思議に思い、私は馬車へ視線を向けた。
ティアナがいない?
先に馬車へ戻ったのかと思ったが、姿は見えない。
ならばメイドのところか?
そこにもいない。
先ほどまで確かに近くにいたはずだ。
ぞわりと背筋に冷たいものが走る。
「ティアナ、どこだ!?」
私は大きな声でティアナを呼んだ。
その声に反応したのは、ティアナ以外だった。
誰もが戸惑ったように周囲を見回し、首を振る。
誰一人として、ティアナの居場所を把握していない。
「ティアナがいないわ!」
母上の表情から血の気が引いた。
「お嬢様、いったいどこに!?」
「周囲を捜せ!」
ナイトたちは一斉に剣を抜き、周囲の背の高い草むらや木陰を捜し始めた。
母上の近くにいたメイドたちも、慌てて辺りを見回している。
私も大剣を手に取ったその時だった。
「きゃあああああああああああ!!」
聞き間違えるはずがない。
「ティアナ!!」
「お嬢様!!」
ティアナの悲鳴だ。
聞こえたのは、馬車から少し離れた林の入口。
ナイトたちは声のした方向へ向き直ると、全速力でそちらへ駆け出した。
私も反射的に足を踏み出しかける。
ティアナが危ない。
今すぐ助けに行かなければ。
そんな衝動に駆られたが、懸命に踏みとどまった。
もしモンスターがいるのなら、私では足手まといになるかもしれない。
蛮勇は味方をも危険に晒す。
尊敬する父上の教えだ。
それに、ナイトたちは全員ティアナの救助へ向かってしまった。
私までここを離れれば、母上やメイドたちを守る者がいなくなる。
ならば今の私がすべきことは、ティアナのもとへ駆けつけることではない。
私はその場を動かず、手が潰れそうになるほど強く拳を握り締める。
「ティアナ……。」
どうか無事でいてくれ。
奥歯を噛みしめながら私はただティアナの無事を祈った。




