『メインストーリー』③
着替えを終えた父上が食堂へ到着すると、ちょうど食卓には朝食が並べられていた。
数種類の焼きたてのパンに、バターやジャム、はちみつなどのスプレッド。
ベーコンやハム、ふっくらと焼き上げられたオムレツなど、様々な料理が所狭しと並んでいる。
父上以外の席には、食後のためなのか小さなケーキまで用意されていた。
今日も料理長は素晴らしい仕事をしてくれたようだ。
食卓を眺めているだけでも、どれから食べようか迷ってしまう。
一見すると食べきれないほどの量ではあるが、余った料理は使用人たちが分け合って食べるため、残ることはほとんどない。
だからといって、これほどの食事を毎日用意してもらえることを当然だと思ってはいけない。
市井では、このような食事は滅多に口にできないと、平民出身のメイドから聞いたことがある。
以前、実際にどのような食事をしていたのか教えてもらったこともあるが、本当に質素なものだった。
もちろん、それが悪いという意味ではない。
ただ、私たちがどれほど恵まれた生活をしているのか、改めて思い知らされた。
こうして贅沢な暮らしをさせてもらっている分、力を持つ我々が有事の際には立ち上がり、国の平和を守らなければならない。
それが貴族の責務なのだから。
そんなことを考えながらも、朝食の時間は穏やかに過ぎていった。
全員が満足するまで料理を堪能すると、余った料理は使用人たちによって厨房へ運ばれていく。
最後まで食卓に残っていたのはティアナだった。
頬いっぱいにケーキを詰め込み、一生懸命口を動かしている。
まるでリスのようだ。
私たちは誰からともなく、その姿を微笑ましく眺めていた。
ティアナは食事の時だけ静かになる。
普段なら楽しそうに色々な話を聞かせてくれるのだが、口が小さいため一度にたくさん食べられないのだ。
そのため、食事中は話すよりも食べることへ集中している。
私たちに遅れまいと一生懸命口を動かしている姿は、絵画へ残したいほど愛らしかった。
……今度、本当に画家を呼んでも良いかもしれない。
「さて、私はそろそろ登城しなくては。」
紅茶を飲み終えた父上が、名残惜しそうに席を立った。
「あら、もうそんな時間ですのね。旦那様、お気をつけて。」
母上も席を立ち、父上の傍へ歩み寄る。
そして僅かに乱れていたマントを慣れた手つきで整えた。
これも毎朝の光景である。
「うむ。しばらく忙しくなる。食事はしばらく三人で済ませてくれ。」
「えぇ~! お父様がいないとやだぁ!!」
食事を終えたばかりのティアナが、すぐさま不満そうな声を上げた。
先ほどまで幸せそうにケーキを食べていた顔が、一瞬で曇ってしまう。
そのあまりにも分かりやすい変化を見て、全員が苦笑した。
私も父上と一緒に食事ができなくなるのは寂しく感じていた。
しかし、自分以上に悲しんでいる人間がいると、不思議と冷静になるものだ。
父上は困ったようにティアナを見ると、その傍まで歩み寄った。
「すまない。王様に大切なお願い事をされてしまったんだ。」
そう言って、優しく頭を撫でる。
「「あ……。」」
父上を除く全員が同時に固まった。
母上と私。
爺やにメイドたち。
誰もが父上の手とティアナの頭を見つめている。
一拍置いて、最初に動いたのはティアナだった。
「お父様が髪の毛さわったあああああああ!」
――やってしまった。
ティアナは毎朝、着替えを終えるとメイドに三十分近くかけて髪を整えてもらっている。
青いリボンで結ばれたツインテールも、本人なりに気に入っている形があるらしい。
どうやら最近の我が家のお姫様は、髪型へのこだわりが並々ならぬものなのだ。
つい先日も、頭を撫でようとした母上、私、メイドが全員轟沈したばかりである。
それ以来、少なくとも朝の支度が終わったティアナの頭には触れない。
それが我が家における暗黙の了解となっていた。
しかし、騎士団の仕事で忙しい父上は、そのことをご存じなかったのだろう。
うっかりティアナの髪へ触れてしまい、今に至る。
「びええええええええ!!」
食堂へティアナの泣き声が響き渡る。
「ティ、ティアナ……悪かった……泣き止んでくれないか……?」
父上が明らかに狼狽えていた。
いつも訓練場では何があっても動じず、騎士団の第二部団長として多くの騎士を率いている父上。
そんな憧れの父上が、七歳の娘を前に完全に困り果てている。
その姿を見るのは、少々複雑な気分だった。
しかし、この家で最も強い立場にいるのは、身分ではなく精神的な意味でティアナなのである。
悪戯をして叱られているのならともかく、今回はティアナも何も悪いことをしていない。
毎朝時間をかけて整えてもらっている髪を崩されて悲しんでいるだけだ。
だから誰も注意することができなかった。
「旦那様、もう出ないと間に合わなくなります……。」
母上は額へ手を当て、小さくため息をついた。
「ま、待ってくれ! まだティアナが……。」
父上は泣き続けるティアナと扉を交互に見る。
「はいはい、坊ちゃま様。お嬢様は我々が何とかしますので。」
爺やが父上の背中へ手を添えた。
「爺や、昔の呼び方が出ているぞ!」
「おっと、これは失礼いたしました。」
そう言いながらも、爺やは苦笑したまま父上の背中を押していく。
どうやら父上が幼い頃から仕えている爺やにとっては、今でも時々昔の呼び方が出てしまうらしい。
「びええええええええええええん!!」
泣き叫ぶ妹。
爺やに押されながら屋敷を後にする父上。
そして、それを静かに見守る私たち。
朝の訓練を終えた時には、今日もいつも通りの一日になると思っていたのだが。
私の人生で、今日が最も慌ただしい朝になりそうだ。
父上が出ていった後も、ティアナはしばらく涙を流し続けていた。
母上やメイドたちが慰めても、簡単には機嫌が直らない。
髪型を整え直してもらっても、一度崩されたという事実そのものが悲しいらしい。
すると母上が、少し考えるようにティアナを見つめた。
「今日はどこかへお出掛けしましょうか。」
いつまでもぐずり続けるティアナへ、優しく声を掛けると頭がぴくりと揺れた。
分かりやすい。
先ほどまで俯いていた顔が、ほんの少しだけ上がっている。
「まぁ、それは良いですね、『オリヴィア』様!」
メイド長も大袈裟に声を上げた。
先ほど若いメイドへ雷を落とした人と同一人物とは思えないほど明るい声だ。
さすがはメイド長。こういう時の切り替えは見事である。
「ティアナはどこへ行きたい?」
「お出掛け……?」
涙で溢れそうな瞳が私たちを見上げる。
何度かぱちぱちと瞬きをする。
先ほどまでの悲しそうな表情が、少しずつ期待へ変わっていった。そして、
「ピクニックしたい!」
まだ涙の残る瞳を大きく輝かせ、いつもの笑顔でそう答えた。
立ち直りが早い。
だが、ティアナが笑ってくれるのなら何よりだ。
その一言を聞くと、世話係のメイドだけを残し、他のメイドたちは慣れた様子で食堂を後にした。
誰かが指示を出す必要もない。
外出となれば何が必要なのか、皆よく分かっているのだろう。
「ではお嬢様、ピクニックの準備をいたしましょう。」
「うんっ!」
先ほどまで大泣きしていたとは思えないほど元気な返事だった。
ティアナはメイドたちに連れられ、自室へ戻っていく。
その後ろ姿を見送ってから、私も自分の準備について考える。
王都の外へ出るのなら、普段着のままというわけにはいかない。
「私も着替えてきます。クレス、準備ができたら玄関まで来るように。」
「はい、母上。失礼いたします。」
母上へ一礼すると、私は食堂を後にした。
廊下を進む途中、近くにいた騎士を呼び止める。
「すまない。訓練所に置いてある私の大剣を、玄関まで運んでおいてくれ。」
「承知いたしました。」
騎士が一礼して訓練所へ向かう。
私はそのまま自室へ戻った。
部屋では外出の話を聞いたメイドたちが、既に着替えの準備を始めていた。
動きやすい服へ着替えさせてもらいながら、今日の行き先について考える。
この時期にピクニックへ行くなら、西方の魔法都市方面にある湖畔だろう。
景色も美しく、気候もちょうど良い。
ティアナもお気に入りの場所である。
恐らく母上も同じ場所を考えているはずだ。
ただし、王都の外へ出る以上は安全についても考えなければならない。
あの周辺では稀にゴブリンなどの凶悪なモンスターが出現することもある。
護衛の騎士も同行するため、まず心配はないだろう。
それでも念のため、レザーメイルとグローブも身に着けることにした。
何も起きなければ、それで良い。
だが、万が一何かあった時に家族を守れないようでは、日々訓練を続けている意味がない。
最後に装備の具合を確認する。
動きを妨げるところはない。
これで私の準備は完了だ。
とはいえ、すぐに出発できるわけではない。
料理長は、まだピクニック用の弁当を作っている頃だろう。
女性陣の身支度にも時間が掛かる。
母上もティアナも、まだ準備の途中のはずだ。
出発までは、まだ少し時間がありそうである。
部屋の中で待っていても仕方がない。
「ふむ、馬車の様子でも見に行くか。」
そう呟き、私は部屋を出た。
朝とは違う外出用の服に、レザーメイルとグローブ。
準備を整えた私は長い廊下を進み、馬車が停められている玄関前へ向かった。




