疑心暗鬼⑯
「全く、二人とも緊張感無いんだから。」
私は呆れたように呟いた。
なんて言っているけど、それは私も同じだった。
何しろ目の前では魔王が大魔法の発動準備をしているというのに、私はレーヴァテインを片手に呑気なことを考えているんだから。
周囲では討伐隊員たちが慌ただしく動き始めていた。
魔王の体から放たれる凄まじい魔力を警戒して前衛の人たちが次々と後退していく。
後衛では魔法使いたちが防御魔法を展開し、盾を持った兵士たちも前方へ集まっていた。
どうやら魔王の反撃に備えて防御を固めるつもりらしい。
私はその光景を見て、思わず眉を下げてしまった。
あんなに隙だらけで攻撃の準備をしているんだから、ここは畳み掛けないと。
魔王は両腕を大きく掲げ、周囲の魔力を一か所へ集めることに集中している。
今なら接近しても反撃される心配はないだろう。
それどころか魔法が完成するまでの間は一方的に攻撃できるはずだ。
「なんて、前世の知識があるから私もその判断ができるんだけどね。」
私は小さく苦笑した。
ネームレスオンラインだと、あの大魔法を発動させないことが攻略の基本だった。
魔王が魔法の準備を始めたら、全員で一斉に攻撃を仕掛けて体力ゲージを削り取る。
そうすれば魔法が完成するより先に倒すことができる。
逆にここで守りに入ってしまうと、せっかく討伐隊が攻勢に出ていたのに魔王へ自由に魔法を使わせる時間を与えてしまう。
つまり攻守が逆転してしまうわけだ。
実際、クレスたちや一部の精鋭部隊は攻撃を続けようとしていた。
魔王が無防備になっていることに気付いているんだろう。
だけど大勢の討伐隊員が後退を始めたことで、その動きが止まってしまった。
「くっ、下がるしかないか!」
クレスが悔しそうに声を上げた。
彼の周囲にいた前衛たちも、渋々と後退していく。
ここはそうするしかないよね。
いくらクレスたちが強くても、残った人たちの攻撃だけで魔王は倒せない。
リスクを負ってまで攻撃を続けて大魔法を受けるくらいなら、他の部隊と足並みを揃えて防御に回った方が良い。
そう考えれば、実に合理的な判断だと言える。
ただ、ベターではあってもベストではなかっただけだ。
そんな討伐隊の様子を眺めながら、私はもう一人の人物へ視線を向けた。
マリスだ。
……あれ? いつの間にか、彼の周囲には数名のアルカナの社員たちが集まっていた。
彼らはマリスを囲むように立ち、魔王の動きを警戒している。
だけど、肝心のマリス本人はというと相変わらず両手をポケットに入れたまま、退屈そうに魔王を眺めているだけだった。
どうやら最初からまともに戦うつもりがないらしい。
あれだけの力を持っているんだから少しは協力してくれても良さそうなものなんだけど。
「はぁ~。」
私は小さくため息をついた。
マリスが倒してくれないなら私がやるしかないか。
別に討伐隊の人たちが弱いと言いたいわけじゃない。
むしろ、あれほど巨大な魔王を相手にして、ここまで有利に戦っていたことは素直に凄いと思う。
だけど、あの大魔法を受けたら大きな被害を受けてしまうかもしれない。
それに魔王の体を手に入れたあの悪魔についても少し思うところがあった。
というのも、あいつ自身が何か悪さをしたという話は聞いたことないんだよね。
もちろん討伐隊へ攻撃を仕掛けてきた以上、放っておくわけにはいかない。
だけどレイディアントのように何か大きな事件を引き起こしたわけでもない。
魔王の体に宿ったばかりで、ただ自分の力に酔いしれているようにも見える。
そう考えると少しだけ気の毒な気もしてきた。
……まぁ、だからといって見逃すわけにはいかない。
せめて苦しまないように一撃で倒してあげよう。
私は頭の中で、使用するスキルの候補をいくつか思い浮かべていく。
あの強靭な肉体を確実に倒せるだけの威力があって、できれば細胞組織まで破壊するものを選択したい。
そうなると使えるものは限られてくる。
私はレーヴァテインの柄をぐっと握り締めた。
「あいつを倒せるくらいの威力ってなると、これくらいかな?」
選んだのは『アブソリュートゼロ』。
エレメンタルマスターが使用できる、水属性最強の魔法だ。
名前の通り、対象を極限まで冷却して凍結させる攻撃魔法である。
厳密には氷の魔法なんだけど、ネームレスオンラインには氷属性という分類が存在しなかった。
そのため水属性の最上位魔法として扱われていたのだ。
実は、この魔法を使うのは初めてじゃない。
まだレーヴァテインでの威力調整に慣れていなかった頃、王国の外れで一度だけ試してみたことがある。
あのときは、ちょっと大変だった。
魔法の発動地点を中心に猛烈な吹雪が巻き起こり、周囲には季節外れの雪が降り始めたのだ。
しかも影響はその場所だけに留まらなかった。
冷気が広範囲へ拡散して、王国内の気候が一時的に真冬のようになってしまったのである。
いやぁ、あれは本当に焦った。
私としても失敗談として強く心に残る事件だったと言える。
もちろん今回はそんな規模で使うつもりなんてない。
あのときよりも、もっともっと小さく。
対象を魔王の肉体へ絞り、必要な分だけ魔力を流し込む。
私はレーヴァテインを握りながら慎重に魔力を調整した。
そして魔法を発動させた次の瞬間、魔王の周囲の空気が白く染まり始めた。
最初に変化が現れたのは掲げられた腕だった。
黒々とした表皮の上に薄い霜が浮かび、瞬く間に白い結晶が広がっていく。
それは腕から肩へ、肩から胸へと伝わり巨大な肉体を次々と覆い始めた。
周囲の気温も急激に下がっていく。
魔王の近くにいた討伐隊員たちが突然の寒さに驚いて後退した。
「な、何だ!? 急に寒くなったぞ!」
「見ろ! 魔王の体が!」
誰かが叫んだ。
その声に反応して、周囲の人たちが一斉に魔王へ視線を向ける。
「グ、グオオッ!? 何だ、コレは。俺様がどうして凍るッ!?」
魔王が驚愕の声を上げた。
両腕を掲げたまま、大魔法の準備を続けようとしている。
だけど、その腕は既に白い氷に覆われ始めていた。
魔力を集めるために広げていた指先が凍り付き、関節の動きが少しずつ失われていく。
「なぜ魔王が凍っている?」
クレスが困惑したように呟いた。
彼は大剣を構えたまま、魔王の様子を注意深く観察している。
周囲にいる魔法使いたちも、何が起こっているのか理解できないようだった。
「誰かが水の魔法を使ったのか!?」
「いや、詠唱なんて聞こえなかったぞ!」
「それに、あの魔王を凍らせるほどの魔法なんて……。」
討伐隊のあちこちから驚きの声が上がっていた。
中には周囲を見回し、魔法を使用した人物を探している人までいる。
だけど当然ながら私たちの姿はおろか、隕石を召喚した『ウィッシュアポンアスター』とは違い、魔法自体も見えていないようだった。
そんな中、マリスだけは少し違った反応を見せていた。
「この力があれば、きっと……。」
彼が小さく呟いた。
その視線は、凍り付いていく魔王の肉体へ向けられている。
……ん? 今、何か言った?
私は思わずマリスの方を見た。
だけど彼はそれ以上何も言わず、ただ静かに魔王を見つめていた。
相変わらず何を考えているのか分からない人だ。
一方、シルフとドライアドが興味深そうに魔法を眺めていた。
「はぁ~、そんな魔法もあるのね。」
シルフが感心したように呟いた。
「ん。風や土の魔法だと、どんなのがあるんだろう?」
ドライアドも目を輝かせている。
二人とも随分と楽しそうだ。
いやいや、今は魔王との戦闘中なんですけどね?
私は二人の様子に苦笑しながら、再び魔王へ視線を戻した。




