疑心暗鬼⑮
……いけない、いけない。
レイディアントのことになると、どうしても湿っぽくなっちゃうね。
私は小さく首を振った。
少なくとも、目の前にいるあれはレイディアントではない。
彼が捨てた肉体を利用している、別の悪魔なのだ。
そして今は討伐隊の前に立ちはだかる敵でもある。
余計な感情を持ち込む必要なんてない。
「そう! 我こそ魔王! 最強にして無敵の存在だッ!」
魔王の肉体に宿った悪魔が、高らかに宣言した。
その声に応じるように、全身を覆う魔力が激しく燃え上がる。
周囲の討伐隊員たちは一斉に身構え、緊張した表情で武器を握り直した。
中には、あまりの威圧感に後退する人までいる。
そんな中。
「ふん。」
マリスが鼻で笑った。
ちょっと、マリス。ポケットに手を突っ込んだまま、鼻で笑うのやめてくれない?
確かに、あなたから見れば最強も無敵も程遠いでしょうよ。
あれだけの魔力を持つ肉体であっても、マリスにとっては大した脅威じゃないのかもしれない。
そもそも、彼の体には未来都市の技術が詰め込まれている。
今だって目から相手の生体データでも取得しているんじゃないだろうか。
あの落ち着きようを見る限り、既におおよその強さを把握しているようにも思える。
いやはや、恐ろしい人だね。
「ここからどうするの?」
ドライアドが私の顔を覗き込んできた。
「そこは悩みどころなんだよね。」
私は腕を組んで考え込んだ。
「あいつが魔王だと思われたまま倒されるのは、私としても美味しくないんだよね。」
目の前にいるのは、確かに魔王の肉体を持った存在だ。
だけど中身は別の悪魔に過ぎない。
つまり、あいつを倒したところで本当の意味で魔王を討伐したことにはならないのだ。
問題は、その事実を討伐隊の人たちが理解できるかどうかだった。
例えば、ここで私があいつを倒してしまったとする。
その後、残された死体を調べれば、魔王ではないと気付けるんだろうか。
体そのものは魔王のものなんだから、外見や肉体の構造だけを調べても区別できないかもしれない。
魂の状態まで詳しく調査できる人がいれば話は別なんだろうけど。
そんな人が討伐隊に参加しているのかどうか、私には分からない。
クレスなら何かがおかしいと疑問を抱いてくれそうな気はする。
だけど問題は上層部だ。
目の前に魔王らしき存在が現れ、それを討伐した。
そんな報告が上がれば、それだけで魔王討伐が成功したと判断してしまう可能性がある。
ましてや、今回の討伐隊は三か国の連合軍だ。
各国の思惑だってあるだろうし、魔王討伐という大きな成果を欲しがる人もいるはずだ。
そうなれば、真相を十分に調べる前に討伐成功が発表されてしまうかもしれない。
それどころか、魔王討伐の祝勝パーティーなんて始まっても不思議じゃない。
それはちょっと困る。
本当の問題が解決していないのに、皆が安心してしまったら。
その結果、後からもっと大きな被害が出るようなことになったら、目も当てられない。
かといって、私が姿を現して事情を説明するわけにもいかない。
どうして私がそんなことを知っているのか、説明できないんだから。
私は目の前の魔王らしき存在と、周囲を取り囲む討伐隊員たちを交互に眺めた。
倒すだけなら、難しい相手じゃない。
だけど倒した後のことまで考えると、少し厄介になってくる。
さて、どうしたものかな。
私は腕を組んだまま、しばらく考え込むことになった。
「死ね、虫けらどもッ!」
魔王が怒号を上げると、討伐隊へ向かって片腕を突き出した。
ああ、そうそう。
いちいち魔王の体に宿った悪魔なんて呼ぶのもややこしいので、とりあえずあいつのことは魔王と呼ぶことにしよう。
本物じゃないことは分かっているけど、身体や能力は間違いなく魔王だしね。
さて、その魔王が何をするのかと思えば、突き出した手のひらに大量の魔力を集め始めた。
周囲の空気が震え、黒紫色の魔力が渦を巻くように集まっていく。
その魔力量は凄まじく、魔王の体ほどもある巨大な球体を討伐隊へ向けて勢いよく放った。
「消し飛ぶがいいッ!」
巨大な魔力弾が大地の上を滑るように進んでいく。
周囲に散乱していた小石が吹き飛び、魔力の圧力を受けた地面には幾筋もの亀裂が走った。
確かに凄い魔力量だと思う。
だけど私は、その攻撃を見て思わず首を傾げてしまった。
……えっ、それだけ?
あれは魔法ですらない。ただ大量の魔力を集め、それを相手に向かって放出しているだけ。
魔力の制御も甘ければ、術式による補強もない。
膨大な魔力を持っているからこそ成立している、何とも粗悪な攻撃だった。
もちろん直撃すれば相当な威力があるだろう。
あれだけの魔力を無理やり押し付けられれば普通の冒険者なんてひとたまりもない。
当たればのことだけど。
「こんな攻撃が当たると思っているのか!」
クレスが叫んだ。
そう、とにかく遅いのだ。
巨大な魔力弾は確かに迫力があるけど、目で追うのも難しくないほどゆっくりと進んでいた。
これなら機動力に長けた職業なら十分に回避できるだろう。
威力だけは確かだけど、それ以外があまりにもでたらめだった。
まるで力だけを与えられた子供が初めてその力を振るっているような乱暴さだ。
自分の持つ力がどれほど強大なのかは理解している。
だけど、その力をどう扱えば良いのかまでは分かっていない。
そんな印象を受けた。
「うわぁ。気持ち悪い魔力。」
シルフが露骨に顔を顰めた。
「ん。あんなの、あげるって言われてもいらない。」
ドライアドも嫌そうに首を振っている。
二人とも、随分と辛辣だ。
まぁ精霊王である二人からすれば、あんな雑な魔力の扱いは見ていられないんだろう。
何しろ、あれだけの魔力があれば、もっと効率良く強力な魔法を使えるはずなんだから。
だけど魔王本人は自分の攻撃に絶対の自信を持っているようだった。
討伐隊員たちが慌てふためく姿でも期待しているのか、巨大な魔力弾の行方を得意そうに眺めている。
そんなに自信満々な顔をされても困るんだけど。
「防御魔法を展開しろ!」
「魔法部隊、迎撃準備!」
討伐隊の各所から指示が飛び交った。
後衛の魔法使いたちが一斉に杖を構え、前方には幾重もの防御魔法が展開されていく。
その準備が整っても魔力弾はまだ十分な距離を残していた。
これだけ余裕があれば、わざわざ避ける必要もなさそうだ。
「撃て!」
号令と同時に、色とりどりの魔法が放たれた。
炎の矢が飛び、水の槍が空気を切り裂く。
続いて風の刃や光の弾が次々と飛来し、巨大な魔力弾へ突き刺さっていった。
すると、ぱんっ!と何とも軽い音を立てて、魔力弾が弾け飛んだ。
あれほど巨大だった魔力の塊が、まるで水風船でも割れたかのようにあっさりと崩壊してしまったのだ。
中に詰め込まれていた魔力が周囲へ散らばり、黒紫色の光が霧のように広がっていく。
だけど、それも長くは続かなかった。
制御を失った魔力はすぐに薄れ、何事もなかったかのように霧散する。
結局、討伐隊の防御魔法に到達することすらなかったのだ。
「馬鹿な!?」
魔王が驚愕の声を上げた。
いやいや、それはそうでしょう。
あんな大きいだけの魔力弾、見てから対処余裕でした、だよ。
そもそも魔法としての形すら整っていなかったんだから。
いくら魔力量が多くても制御ができていなければ簡単に崩されてしまう。
それに、あれだけ遅ければ迎撃の準備だって十分に間に合う。
実際、討伐隊の魔法使いたちは攻撃を見てから詠唱を始めていた。
それでも余裕を持って迎撃できたんだから、どれほど隙だらけだったのか分かるだろう。
しかもクレスたち前衛の人たちは魔力弾が消えるよりも前に走り出していた。
本来なら後衛を守る役割もあるはずなのに、その必要すらないと判断したらしい。
「何だあいつ。あんなのが本当に当たると思ってたのか?」
討伐隊員の一人が困惑したように呟いた。
その言葉に周囲の人たちも戸惑いの表情を浮かべ始める。
つい先ほどまで魔王の威圧感に圧倒されていた人たちが、今度は別の意味で目の前の存在を見つめていた。
無理もないと思う。
何しろ彼らにとって魔王とは人類共通の敵と認定された存在だ。
それを討伐するために三か国が同盟を組み、大勢の兵士や冒険者を集めてきた。
これまでの戦いでも多くの人が命を懸けている。
そんな相手が、いざ戦ってみればこんな有様なんだから拍子抜けするのも当然だろう。
だけど魔王本人は自分が何を間違えたのか理解できていないようだった。
「おのれッ! ちょこまかと!」
接近してきた前衛の冒険者たちに向かって、巨大な腕を振り回し始めた。
その一撃は確かに強力だった。
大きな爪が空を切るだけで周囲に風圧が生まれ、地面へ叩き付けられた拳が岩を砕いていく。
まともに受ければ、鎧ごと押し潰されてもおかしくない。
だけど、やっぱり当たらない。
工夫も技巧もないただ大きくて力強いだけの攻撃に当たる精鋭達ではない。
「遅い!」
クレスが魔王の腕を軽々と避け、その懐へ踏み込んで大剣を振り抜くと鋭い金属音と共に、魔王の体を覆う硬い表皮へ刃が食い込んだ。
「ぐぬッ!」
魔王が顔を歪めて片方の腕を振り下ろしても、クレスは既に攻撃範囲から離れていた。
続いて別の冒険者が槍を突き出す。
さらに側面から剣士が斬り掛かり、後方からは矢が次々と飛来した。
魔王はそれらを振り払おうと、腕を大きく薙ぎ払った。
しかし前衛の人たちは魔王の動きを見切り、余裕を持って距離を取っていた。
「虫けらどもがッ!」
魔王は苛立ったように叫ぶと今度は巨大な爪を地面へ突き刺す。
大地が砕け、土砂が周囲へ飛び散る。
それでも討伐隊員たちは既に攻撃範囲から退避している。
さらに足を持ち上げ、近くにいた冒険者を踏み潰そうとする。
だけど、その動作もあまりに大きく、踏み付けるより先に相手が逃げてしまっている。
あれだけ立派な肉体を持っているのに、全く使いこなせていないところを見ると少し可哀想になってきた。
それどころか、攻撃するたびに大きな隙を晒してしまっている。
その隙を討伐隊の人たちが見逃すはずもなかった。
剣が、槍が、矢が、そして魔法がまるで雨のように魔王へ降り注いでいく。
「ぐあッ! おのれ、おのれェッ!」
魔王が怒り狂ったように咆哮した。
だけど、状況は一向に変わらない。
むしろ、時間が経つほど討伐隊の動きは良くなっていた。
最初こそ相手の威圧感に警戒していた人たちも、攻撃が単調だと気付いたことで落ち着きを取り戻したらしい。
前衛が魔王の注意を引き、その隙に後衛が攻撃を重ねる。
魔王が後衛へ狙いを変えれば、前衛が素早く距離を詰めて妨害する。
討伐隊の精鋭たちは、実に手慣れた連携を見せていた。
もちろん魔王がモンスターとして弱いわけではない。
むしろ、その耐久力は凄まじいものだった。
普通の魔物なら致命傷になるような攻撃を何度も受けているのに、大きなダメージを受けている様子はない。
剣で斬られても傷は浅く、槍で突かれても簡単には貫通しない。
魔法を受ければ表皮が焼け焦げるけど、それだけで動きを止めることもなかった。
やっぱり魔王の肉体だけあって頑丈だね。
だけど、いくら強靭な体を持っていても、攻撃を受け続ければ無事では済まない。
少しずつ傷が増え、動きにも疲労が見え始めていた。
討伐隊は決して無理をせず、着実に魔王の体力を奪っていく。
ああ、そうだった。
こいつ、ゲームでもびっくりするほど弱かったんだ。
ステータスは凄い数値が設定されていたし、強そうな見た目も相まって、初めて挑戦するプレイヤーたちは警戒していた。
だけど実際に戦ってみると、使ってくるスキルは低級モンスターを思わせるものばかり。
そのせいで、適正レベルのプレイヤーなら苦戦することもなく倒せてしまう相手だった。
当時は、どうしてこんなに弱いボスが配置されているんだろうと思ったものだ。
だけど今ならその理由も何となく分かる気がする。
強力な肉体を手に入れたからといって、それを使いこなせるとは限らない。
ましてや、元々の持ち主とは別の魂が宿っているんだから。
力だけは魔王級でも、戦い方まで魔王級になるわけじゃないんだね。
「馬鹿な……この俺様が圧されている……。」
魔王が信じられないといった様子で、自分の体を見下ろした。
その表皮には無数の傷が刻まれ、ところどころから血が流れている。
「体に傷が……なぜだ、なぜだ、なぜだッ! 魔王の身体なんだぞッ!!」
……あっ、語るに落ちた。
私は思わず苦笑してしまった。
それ自分で言っちゃうんだ。
つまり自分が魔王そのものではなく、その体を使っている存在だと認めているようなものじゃない。
周囲の討伐隊員たちも、その言葉に何か引っ掛かるものを感じたらしい。
攻撃の手を緩めることはなかったけど、何人かが不思議そうに顔を見合わせていた。
そして、その中で一人だけ、ゆっくりと魔王へ歩み寄る人物がいた。
マリスだ。
彼は相変わらず両手をポケットに入れたまま、まるで散歩でもしているかのような足取りで近付いていく。
周囲では剣と魔法が飛び交っているというのに、全く気にしていない。
今この場にいる誰よりも強者感がある。
「あなたは、魔王ではありませんね?」
マリスが静かに問い掛けた。
その声は決して大きくなかった。
だけど不思議と周囲の騒音に埋もれることなく、はっきりと聞こえてきた。
「いいやッ! 俺様が魔王だ!」
魔王は即座に否定した。
いや、否定というより、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。
マリスはそんな相手をしばらく眺めると、小さく頷いた。
「あぁ、失礼。プライドを傷つけるつもりはなかったのです。」
その口調は驚くほど丁寧だった。
少なくとも言葉だけを聞けば相手に配慮しているようにも思える。
だけど次に続いた言葉は容赦のないものだった。
「では、質問を変えて。その身体は魔王の物だと思いますが、魂は別ですよね、と言えばよろしいですか?」
そこまで言っちゃう?
私は思わずマリスの顔を見つめた。
相変わらず、彼の表情からは何を考えているのか読み取れない。
ただ事実を確認したかっただけなのか。
それとも相手を挑発するためにわざと言ったのか私には判断できなかった。
だけど彼の言葉が核心を突いていたことだけは確かだ。
何しろ、魔王の肉体に宿っている魂は、本来の持ち主とは別のものなのだから。
そして、その事実を本人が一番よく理解しているはずだった。
「……貴様。」
魔王の声が低く震えた。
先ほどまで怒鳴り散らしていたのが嘘のように、急に静かになった。
巨大な体が小刻みに震え、顔が歪んでいく。
それは怒りなのか、屈辱なのか。
あるいは誰にも知られたくなかった事実を見抜かれたことへの恐怖なのか。
いずれにしても、マリスの言葉が魔王の心を深く傷付けたことは間違いなかった。
「ああああああああああああああッ!!」
突然、魔王が絶叫した。
それは先ほどまでの威圧的な叫びとは違っていた。
怒りも屈辱も何もかもを一緒くたにしたような、耳を塞ぎたくなるほど凄まじい咆哮だった。
周囲の討伐隊員たちが思わず足を止める。
魔王は両腕を大きく広げると、天へ向かって吠え続けた。
そして、その体から眩い光が放たれ始めた。
「……あれ?」
私は思わず目を細めた。
先ほどまで全身を覆っていた黒紫色の魔力が、一気に濃さを増していく。
膨大な魔力が魔王の体へ集まり、周囲の空気が激しく震え始めた。
地面に転がっていた小石が浮き上がり、砕けた岩の破片が魔力の奔流に巻き込まれていく。
討伐隊員たちも異変に気付いたようだった。
「何だ、あの光は!?」
「魔力が集まっているぞ!」
誰かが叫んだ。
だけど、私が注目していたのは魔力量ではなかった。
その魔力の流れだ。
さっきまでの攻撃とは、明らかに様子が違う。
ただ力任せに魔力を集めていた先ほどとは異なり、今度は一定の規則に従って魔力が循環していた。
複雑な術式が形成され、周囲の魔力を巻き込みながら少しずつ完成へ近付いていく。
……ああ、思い出した。
これは、あいつが追い詰められたときに使用する大魔法だ。
ゲームでも、体力が一定以下になると発動する攻撃だった。
普段の情けない戦い方からは想像もつかないほど、強力な魔法を放ってくる。
そして何より厄介なのは、これがさっきまでの粗悪な魔力弾とは全く違うということだ。
今度は、ちゃんとした魔法になっている。
あんなものを放たれでもしたら大変だよねぇ。
「あら、そろそろ出番なの?」
「いってらっしゃ~い。」
シルフとドライアドは呑気に手を振っている。
私が今から何をするつもりなのか分かってエールを送ってくれているようだ。
……もしかしたら二人の緩さにに当てられたのかもしれない。
私は緊張感もなくただレーヴァテインを持って歩き出した。




