疑心暗鬼⑭
「許せぬ。薄汚い人間どもが俺様の領域に足を踏み入れるとは……。不快不快不快不快ッ!!」
突然、どこからともなく低くこもった声が響いてきた。
いや響いてきたという表現は少し違うかもしれない。
耳から聞こえているというより、頭の中へ直接言葉を流し込まれているような感覚だった。
声量が大きいわけではないのに、一言一句がはっきりと聞き取れる。
おそらく、魂そのものへ語り掛けてくるような類いの能力なんだろう。
しかも、その声には凄まじい圧力が込められていた。
空気が震えているわけでもないのに、全身へビリビリと威圧感が伝わってくる。
周囲にいた討伐隊員たちは一斉に動きを止め、警戒するように武器を構え直した。
先ほどまで調査の指示を出していた人たちも、突然の声に戸惑っているようだ。
中には顔を強張らせ、声の主がどこにいるのか必死に探している人もいた。
ただ一人、マリスを除いて。
彼だけは相変わらず落ち着いた様子で、何事もなかったかのように立っていた。
……まぁ、あの人はそうだよね。
一方、私が抱いた感想は、周囲の人たちとは随分と違っていた。
あっ、これ知ってる。
ボスが出てくる前の演出だ、というものだった。
前世のネームレスオンラインでも、デーモンフォレストの最深部へ到達すると、こんな感じの台詞が流れてきた覚えがある。
討伐隊がボスのいる場所へ足を踏み入れたことで、イベントが始まったんだろう。
私は思わず、なるほどねと納得してしまった。
どうして私たちが先に到着していたのに、何も起こらなかったのか。
その理由も、これで何となく分かった気がする。
おそらく《HidePC》を使用していたからだ。
姿も気配も隠している私たちには、ボスの出現条件が反応しなかったんだろう。
そしてクレスたちが到着したことで、ようやく条件が満たされた。
そう考えれば辻褄が合う。
いやはや、こんなところでも《HidePC》が影響するとは思わなかった。
だけど原因が分かった途端、何だか少しわくわくしてきた。
昨日の洞窟では、あれほど緊張していたというのに。
どうして今日はこんなに落ち着いていられるんだろう。
ああ、そうか。今はレーヴァテインを握っているからだ。
こちらには十分な戦力がある。
だから少しくらい余裕を持っていられるのかもしれない。
私はそんな緊張感のないことを考えながら、声が聞こえてくる方向へ視線を向けた。
「お前は誰だ!」
クレスが大きな声で問い掛けた。
その声には警戒心が滲んでいたけど、決して怯えている様子はなかった。
周囲の討伐隊員たちも、彼の言葉に反応して身構えている。
すると、先ほどの声が再び頭の中へ響いてきた。
「俺様か? そうだなァ、案外、貴様らが捜している存在かもしれんぞ?」
随分と勿体ぶった言い方だった。
自分の正体を明かすのが楽しくて仕方ない、とでも言いたげな声だ。
「まぁ、半分正解だね。」
私は小さく呟いた。
「え、魔王なの?」
シルフが驚いたようにこちらを向いた。
「ここであったが百年目。」
ドライアドも妙に気合いの入った表情で頷いている。
いや、ドライアド。
それ意味を分かって使ってる?
私は既に、この場所に現れるボスの正体を知っている。
だから慌てたりはしない。
今はただ相手が姿を現すのを待っていれば良い。
「恐れ慄くがいい。この俺様の前に貴様らは絶望するのだ!!」
声の主が高らかに宣言した。
その瞬間、少し離れた大地から黒い光が噴き上がった。
「なっ!?」
周囲の討伐隊員たちが驚きの声を上げる。
黒い光は瞬く間に巨大な柱となり、空へ向かって伸びていった。
まるで周囲の明るさを吸い取っているかのような、不気味な光景だった。
そして、その中心に一つの巨大な影が浮かび上がる。
やがて黒い光が薄れていくと、そこには見覚えのある姿が現れていた。
「うん、やっぱり。」
私は思わず呟いた。
そこに立っていたのは、かつてレイディアントが使用していた魔王の肉体だった。
「この姿は! 報告にあった魔王と一緒だ!」
クレスが驚いたように声を上げた。
ああ、そういえばクレスは、あのときヴォイドの方にいたんだったね。
だからレイディアントの姿を直接見たわけじゃないんだ。
それでも事前に聞いていた特徴と一致したことで、すぐに気付いたらしい。
周囲の討伐隊員たちも、クレスの言葉を聞いて一斉に緊張を高めていた。
「魔王だと……?」
「本当に現れたのか……。」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
まぁ、無理もない。
目の前に現れた存在は、どう見ても魔王と呼ぶに相応しい姿をしていたんだから。
「へぇ、あれが魔王なのね。確かにそういう姿してるわー。」
シルフが興味深そうに眺めている。
そういえば、シルフもあの姿を見るのは初めてだったね。
悪魔を思わせる大きな角。
背中から広がる巨大な翼。
そして、竜のように長く伸びた尻尾。
全身には燃え上がるような魔力がまとわりつき、立っているだけで周囲を圧倒するほどの威圧感を放っていた。
まさしく古風なファンタジー作品に登場する魔王そのものだ。
子供の頃に想像していた魔王の姿を、そのまま形にしたような存在だった。
「でっっっっっっか。」
ドライアドが目を丸くして呟いた。
……ドライアド、やめなさい。
確かに大きいけど、もう少し他に感想はないのかな。
そんなことを考えていると、シルフが不意に首を傾げた。
「でも、あいつ。何かおかしくない?」
「ん。体に魂が定着していないような……。」
ドライアドも不思議そうに目を細めている。
私は二人の言葉を聞いて、思わず感心してしまった。
「精霊はそういうの分かるんだねー。」
何とも間の抜けた声が出てしまった。
いや、これは本当に驚いた。
見た目だけなら、あれは間違いなくレイディアントが使っていた魔王の肉体だ。
だけど、その中身は全く別の存在になっている。
そんな違いまで、二人には感じ取れるらしい。
「ドライアド、一点。」
ドライアドが片腕を上げ、得意そうな顔をした。
「ちょっと! あたしだって正解でしょ!?」
シルフが慌てて抗議してきた。
どうやら、ドライアドだけが褒められるのは納得できないらしい。
いやいや二人とも。
今は結構緊迫した事態なんですけどね?
周囲の討伐隊員たちは、突然現れた魔王らしき存在を前にして必死に警戒している。
そんな中で、私たちだけが呑気に正解発表をしているというのも、何だか妙な光景だった。
まぁ、見えていないから良いんだけど。
「二人とも正解。あれは魔王が捨てた体に宿った悪魔だよ。体自体は魔王のものだから、かなり強力だけどね。」
私は小声で説明した。
「えっ、捨てたの?」
シルフが驚いたように目を見開いた。
「あんな強力そうな魔力を帯びた体を捨てて、何になろうっていうのよ。」
確かに、そう思うのも当然だろう。
あの肉体には凄まじい筋力と魔力が備わっている。
普通の人間はもちろん、高位の魔物であっても簡単には太刀打ちできないほどの能力を持っているはずだ。
それをわざわざ捨てるなんて普通なら考えられない。
だけど、レイディアントにとっては違った。
あれは、あくまでも魔王の肉体なのだ。
どれほど強力であっても、彼が本当に求めていたものではない。
レイディアントが成りたかった存在。
それは、魔王なんかじゃなかった。
「神様、かなぁ。」
私は少し曖昧に答えた。
「やっぱり不敬。」
ドライアドが呆れたように呟いた。
「そういえば、前にそんなこと言ってたわね。」
シルフも思い出したように頷いている。
私は二人の言葉を聞きながら、改めて目の前の魔王の姿を見つめた。
あの肉体は、かつてレイディアントが使っていたものだ。
だけど、今はもう彼のものじゃない。
彼が何を思ってあの体を捨てたのか。
そして、何を求めてその先へ進もうとしたのか。
そんなことを考えていると、どうしても胸の奥が重くなってしまうのだった。




