疑心暗鬼⑫
先ほどまで鬱蒼とした木々に覆われていたデーモンフォレストは、見るも無残な姿へと変わり果てていた。
全体のおよそ七割。
それだけの範囲が、突如として空から降ってきた隕石によって消失してしまったのだ。
見渡す限り広がっていた森は大きく抉り取られ、そこには巨大な窪地ができている。
立ち上った土煙がゆっくりと風に流され、少しずつ地上の様子が見えるようになってきた。
そして、その光景を目の当たりにした討伐隊員たちは、誰もが言葉を失っていた。
つい先ほどまで命懸けで魔物と戦っていた人たちが、武器を構えたまま動きを止めている。
中には口を大きく開け、呆然と空を見上げている人もいた。
気持ちは分からなくもない。
何しろ、何の前触れもなく隕石が降ってきて、森の大部分が吹き飛んでしまったんだから。
普通なら、何が起こったのか理解するだけでも時間が掛かるだろう。
そんな静寂を破ったのは、遥か後方から聞こえてきた悲鳴だった。
「う、うわぁぁぁぁ!?」
距離を感じるのにここまで届くものだから、思わず振り返ってしまった。
随分と離れた場所にいる部隊からの叫び声が、ここまで聞こえてきたのだ。
よほど恐ろしかったんだろう。
目を凝らしてみると、後方にいた討伐隊員たちが慌ただしく動き始めていた。
「ふざけるな! こんなの聞いてねぇぞ!」
「俺は戻る! 死にたくねぇからな!」
どうやら、突然起こった現象に恐怖して、恐慌状態に陥ってしまったらしい。
それまで必死に戦っていた冒険者たちの中から、一人、また一人と引き返す者が現れ始めた。
特に士気の低かった部隊では、その動きが顕著だった。
誰かが逃げ出すと、それに続くように周囲の人たちも後退していく。
中には仲間へ声を掛ける余裕もなく、ただひたすら森の出口を目指して走り出す人までいた。
あらら、随分と怖がらせちゃったかも。
だけど、私は彼らを引き止めるつもりなんてなかった。
むしろ、その行動を見て少し安心したくらいだ。
それでいい。これだけ長い時間を掛けて、あの位置までしか進めていなかったんだから。
彼らの実力では、この森を攻略するには明らかに力不足だった。
もちろん、それは彼らが弱いという意味じゃない。
普段なら十分に活躍できる実力を持っているのかもしれないし、これまでだって多くの危険を乗り越えてきたはずだ。
だけど、この森のモンスターは彼らにとってあまりにも強すぎた。
現に、私たちが何度も助けに入らなければ、既に多くの犠牲者が出ていただろう。
これ以上、無理をして危険に首を突っ込む必要なんてない。
生きて帰ることだって、立派な選択だと思う。
「何よ、あれ。醜いわね。」
シルフが逃げていく冒険者たちを見下ろしながら、呆れたように言った。
「そう言ってあげないで。彼らなりに生きるのに必死なんだよ。」
私は苦笑しながら答えた。
シルフからすれば、戦いの途中で一目散に逃げ出す人間の姿は情けなく見えるのかもしれない。
だけど、彼らには彼らの事情がある。
家族が待っている人もいるだろうし、大切な誰かと帰る約束をしている人だっているはずだ。
何より、命を失うことへの恐怖は決して恥ずかしいものじゃない。
それに、これだけの異常事態が起こったんだから、さすがに上の人たちも彼らの行動を単純な逃亡行為とは見做さないだろう。
……見做さないよね?
何だか少し心配になってきた。
国によっては軍務中の逃亡を重罪として扱うところもあるだろうし、今回の討伐隊がどのような規律で動いているのか、私は詳しく知らない。
だけど今回ばかりは事情を考慮してほしい。
死ぬよりはマシとはいえ、私の行動が原因で誰かが犯罪者として裁かれるなんて、そんな結末は見たくないから。
どうか寛大な処置をお願いします。
私は心の中で、顔も知らない偉い人たちへお願いしておいた。
そんなことを考えている間に、地上へ落下した隕石に変化が現れ始めた。
巨大な岩塊の輪郭が少しずつ薄れ、まるで空気に溶け込むように姿を消していく。
『ウィッシュアポンアスター』は、厳密には召喚魔法に近い性質を持っている。
魔力によって隕石を作り出すのではなく、実際に存在する隕石を一時的に呼び寄せる魔法なのだ。
だから、役割を終えた隕石は元の場所へと戻っていく。
もっとも、あれほど巨大なものがどこから呼び出されているのか、私自身も詳しく知っているわけじゃない。
ゲームの頃は演出の一つとして扱っていたし、そんな細かい部分まで気にしたこともなかったからね。
やがて隕石は完全に姿を消し、後には大きく抉れた大地だけが残された。
「シルフ、あそこの中心に降ろして。」
私は隕石が落ちた場所を指差した。
「はいはい。」
シルフが軽く返事をすると、私たちの体がゆっくりと下降し始めた。
上空から眺めていたときにも凄まじい光景だったけど、近付いてみるとその規模が改めてよく分かる。
大地は大きく陥没し、周囲には倒木や砕けた岩石が散乱していた。
地面には幾筋もの亀裂が走り、場所によっては元の地形が全く分からなくなっている。
これでも魔力を抑えたつもりなんだけど、随分と派手にやっちゃった。
私はシルフに足場の安定していそうな場所へ降ろしてもらうと、周囲を見渡した。
「さて、何かヒントになるようなものは無いかな。」
森の大部分を吹き飛ばしたとはいえ、これで問題が解決したとは限らない。
そもそも、どうして魔物が際限なく現れていたのか、その原因がまだ分かっていないんだから。
私は足元に気を付けながら、倒れている木の上を軽く歩いてみた。
ところどころ焦げたような痕が残っているけど、意外にも原形を留めているものがある。
これだけの衝撃を受けて、よく形が残っているものだ。
そんなことを考えながら歩いていると、ドライアドが不意に口を開いた。
「やっぱりこれ、木じゃないね。」
「え、木じゃないの?」
私は思わず足を止めた。
いやいや、どう見ても木でしょう。
幹があって、枝があって、葉っぱだって生えていたんだから。
これを木じゃないと言われても、ちょっと困るんだけど。
「よく似てるけど、植物というより動物に近い。」
ドライアドはそう言うと、倒木の根元を指差した。
「その証拠に、根を大地に下ろしてない。」
「根を下ろしてない?」
私は首を傾げながら、彼女が指差した場所へ視線を向けた。
そこには確かに、木の根に相当する部分が存在していた。
だけど、よく見てみると普通の木とは随分と様子が違う。
一般的な木の根は地中へ向かって伸び、土を掴むように広がっているものだ。
ところが、この木の根元から伸びているものは、何というか……。
「うわぁ、気持ち悪い。」
思わず本音が漏れてしまった。
そこにあったのは、根というよりも触手に近い形状をしたものだった。
太さの異なる何本もの細長い器官が幹の下から伸びていて、先端に向かうほど細くなっている。
しかも、普通の根とは違って表面が妙に滑らかだ。
地中に張り巡らされていた形跡もなく、まるで地面の上を這っていたかのような姿をしている。
既に先ほどの隕石で息絶えているようだけど、元気だった頃は今にも動き出しそうな見た目だったんじゃないだろうか。
……うーん。
これはちょっと、触りたくないね。
だけど、調べないわけにもいかない。
私は抵抗感を抑えながら、指先でその一部に触れてみた。
ぷにっ。
「……えっ。」
思わず変な声が出た。
何これ、柔らかい。
木の根とは思えないほど弾力があって、指で押すと簡単に形が変わってしまう。
そして、指を離すとゆっくり元の形に戻っていった。
試しに少しだけ横へ押してみると、ぐにゃりと曲がる。
これなら、伸びたり縮んだりしても不思議じゃないだろう。
ますますファンタジー作品に登場する触手みたいに思えてきた。
いや、見た目が木だから余計に気持ち悪いんだけど。
「これ、本当に植物じゃないの?」
私は念のため、もう一度ドライアドへ尋ねた。
「ん。少なくとも普通の植物じゃない。」
ドライアドは真剣な表情で答えた。
地の精霊王である彼女がそう言うのなら、きっと間違いないんだろう。
だけど、そうなると別の疑問が湧いてくる。
こんなものが、どうして森全体に広がっていたんだろう。
そもそも、これは本当に自然に生まれたものなのかな。
私は周囲に散乱している倒木へ視線を向けた。
どれも似たような形をしている。
普通の木々に紛れているというより、森そのものがこうした存在によって構成されていたようにも見えた。




