疑心暗鬼②
どうやら騎士団の人たちも出発の準備を終えたらしい。
クレスは数人の騎士と何か話をしていた。
その横にはセレナの姿もある。
私が何となく眺めていると、騎士団員の一人がこちらに気付いた。
その男性は何故か嬉しそうな顔をすると、クレスの肩を軽く叩いた。
そして、私の方を指差す。
……ん? 何をしているんだろう。
そう思っていると、クレスがこちらを振り返った。
パチッと目が合う。
すると彼は穏やかな笑顔を浮かべて、小さく手を振ってきた。
「あっ。」
私も反射的に手を振り返した。
昨日のことがあったから、少しだけ気恥ずかしい。
だけど挨拶くらいは普通にできる。
すると、クレスの周囲にいた騎士団員たちが、何やら一斉に騒ぎ始めた。
肩を叩いた男性が楽しそうに何かを言うと、他の人たちまで笑い出している。
クレスも何か言い返しているみたいだけど、ここからでは内容までは聞こえない。
ただ皆の表情を見る限り、深刻な話ではなさそうだった。
「何だか向こうは盛り上がっているね。」
私はその様子を眺めながら呟いた。
するとシルフが何でもないことのように答えた。
「あぁ、ただの冷やかしでしょ。」
「冷やかしかぁ。」
その言葉を聞いて、私は昨日の出来事を思い出した。
そういえば、クレスが私を呼びに来たときも、騎士団の人たちは随分と楽しそうにしていた。
もしかして、昨日の告白について何か知っているのかな。
もしそうだとしたら、どこまで話したんだろう。
私が一度断ったことも?
それとも、ゆっくり考えると答えたところまで?
まさか最後に髪へ口付けをしたことまで話していないよね?
思い出した瞬間、頬がじわじわと熱くなってきた。
うぅ、駄目だ。
今はそんなことを考えている場合じゃないのに。
私は慌てて視線を逸らそうとした。
その時だった。
ふと、別の方向から一際強い視線を感じた。
何となく気になって顔を向ける。
そこにいたのはセレナだった。
「……あ。」
私は思わず小さく声を漏らした。
セレナはじっと私を見つめていた。
普段の彼女は穏やかで、誰に対しても優しく接してくれる人だ。
だけど今の表情は少し違っていた。
怒っているようには見えない。
かといって、いつもの柔らかな笑顔でもなかった。
何かを訴えるような瞳が、真っ直ぐに私へ向けられている。
その視線に私は思わず姿勢を正した。
……何だろう。
何か言いたいことがあるのかな。
昨日、私はセレナと直接話してみようと考えていた。
クレスのことをどう思っているのか。
それを本人に確かめてから、これからのことを考えようと思っていたんだ。
だけど、今はそんな話ができる状況じゃない。
これから魔王の森へ進軍するところなんだから。
それでも、セレナの視線を受けていると、どうしても気になってしまう。
もしかして、やっぱりセレナはクレスのことを愛しているんだろうか。
だとしたら、私に何か伝えたいことがあるのかもしれない。
だけど今の私にはその意味が分からなかった。
ただ、お互いに視線を合わせたまま、数秒ほど時間が過ぎていった。
先に目を伏せたのはセレナの方だった。
彼女は一度だけ視線を落とすと、小さく息を吐いたように見えた。
そして、もう一度こちらへ顔を向ける。
その時には、いつもの穏やかな笑顔に戻っていた。
セレナは私に向かって、小さく手を振った。
私は少し戸惑いながらも、同じように手を振り返した。
何だったんだろう。
何か言いたそうだったのは確かだと思う。
だけど、今はそれ以上確かめることができない。
疑問は残るけど、ひとまず考えるのは後にしよう。
そう思っていると、セレナがクレスたちの方へ振り返った。
どうやら、あちらの隊も動き始めるらしい。
騎士団員たちは隊列を整えると、次々に森の中へと進んでいった。
先ほどまで楽しそうに話していた人たちも、今は真剣な表情をしている。
さすがに、ここから先は気を抜いていられないだろう。
クレスも周囲の様子を確認しながら、隊の進行を見守っていた。
そして、森へ入る直前。
彼がもう一度、こちらを振り返った。
目が合うと、クレスは小さく微笑んだ。
それだけだった。
何か言葉を掛けることもなく、手を振ることもない。
ただ、いつもの優しい笑顔を向けてくれた。
私はその姿をじっと見つめていた。
昨日、彼は私に『また会おう』と言った。
あの時は、戦場でそんなことを言うのは縁起が悪いなんて考えてしまったけど。
今は、素直にそう願いたい。
また無事に会えますように。
そんなことを考えているうちに、彼は前を向いた。
そして、騎士団の仲間たちと共に森の奥へと消えていった。
私はしばらく、その姿が見えなくなった場所を眺めていた。
だけど、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
私たちにも、やるべきことがあるんだから。
私は小さく息を吸うと、隣にいる二人へ顔を向けた。
「さぁ、私たちも行こうか。」
「ええ、行きましょう。」
「ん、準備できてる。」
シルフとドライアドが、それぞれ頷いてくれた。
私は二人の顔を見てから改めて目の前の森へ視線を向ける。
木々の向こうには、まだ見ぬ危険が潜んでいる。
昨日のように予想もしなかった出来事が待ち受けているかもしれない。
だけど今度はもう少し上手くやってみせよう。
私は前へ踏み出した。
足元には湿った土が広がり、頭上では幾重にも重なった枝葉が空を覆っている。
外から眺めていたときよりも、森の中はずっと薄暗かった。
風が木々の間を通り抜け、葉の擦れ合う音が聞こえてくる。
その奥に、何が潜んでいるのかは分からない。
こうして私たちは、魑魅魍魎が潜む魔王の森へと足を踏み入れたのだった。




