見ないようにしてたもの⑨
クレスは私から目を逸らさなかった。
真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに。
その瞳には、冗談めかした色なんて少しもない。
ただ自分の気持ちを伝えようとする、真剣な眼差しだけがあった。
私はその目を見つめたまま、何も言えなくなってしまった。
胸の奥が、何だか落ち着かない。
それは確かに、私が大事に大事に、見ないようにしていたものをくすぐる言葉だった。
そんなはずはない。
だって、辻褄が合わない。
クレスは、ただ何度か会ったことがあるだけの人。
―本当に?
誰にでも優しくて、責任感が強い人。
――本当に?
未来では、素敵な恋人ができる人。
―――本当に?
「あ……。」
小さな声が漏れた。
自分でも何を言おうとしたのか分からない。
ただ、クレスの瞳を見つめ続けることができなくなっていた。
その真っ直ぐな眼差しが少しだけ怖かった。
私は逃げるように視線を落とす。
足元には私の小さな足が見える。
そして、そのすぐ前には私のものとは比べものにならないくらい大きな靴があった。
近い。さっきからずっと、この距離で向かい合っていたんだ。
そう思った途端、急に自分の立っている場所まで意識してしまった。
いや、それよりも何か言わなきゃ。
せっかくクレスが真剣に話してくれているのに、黙っているのは失礼だ。
だけど、何を言えば良いんだろう。
ありがとう? それとも、どうして私なのって聞くべき?
いや、そもそも今の言葉は、私が考えているような意味で受け取って良いものなんだろうか。
頭の中で色々な言葉が浮かんでは消えていく。
こんな時に限って、まともな返事が一つも思い付かない。
「すまない。本当はもっとじっくりと行くつもりだったんだが。」
クレスの声が聞こえた。
私は顔を上げられないまま、その言葉に耳を傾けた。
声はいつもと変わらず優しかった。
ただ、少し申し訳なさそうに話を続けている。
「死を覚悟したあの時、自分でも驚くほど素直に言葉が出てしまった。」
その言葉を聞いた瞬間、洞窟での出来事が頭の中に蘇った。
傷付いたクレス。
私を庇って倒れた彼が、あの時に口にした言葉。
『ああ、大事だ。』
あの声が、今も耳の奥に残っている。
あの時は、その意味がよく分からなかった。
私のことを大切な仲間だと思ってくれているのかな。
助けた相手だから、そう言ってくれたのかな。
そんなふうに色々な理由を考えていた。
だけど今なら分かってしまう。
つまり、『やはり』クレスは私を特別な人として認識していたということだ。
そう考えた瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。
何だろう、これ。
嬉しいのか、困っているのか、それとも別の何かなのか。
自分でもよく分からない。
ただ、これまで当たり前だと思っていたクレスとの関係が、急に違うものに見えてしまった。
私は俯いたまま、ぎゅっと手を握った。
そして、考えるより先に言葉が漏れた。
「……いつから?」
口にしてから、自分が何を聞いたのか気が付いた。
別に答えを求めていたわけじゃない。
ただ、頭の中に浮かんだ疑問がそのまま声になってしまっただけだった。
こんなことを聞いたら、ますます返事に困ってしまうかもしれないのに。
だけどクレスはそんな私の問い掛けにも律儀に答えてくれた。
「気になり始めたのはずっと昔だ。以前、私はアイラにとてもよく似た少女と出会ったことがある。」
「……えっ?」
その言葉に、私は思わず顔を上げた。
私によく似た少女?
しかも、ずっと昔に出会ったことがあるって。
クレスは少し懐かしそうな表情を浮かべると、ゆっくりと話し始めた。
それは、以前ゴブリンのいる森で出会ったという少女の話だった。
初めて見掛けたときのこと。
いるはずのない場所に立っていたその少女が、妙に印象に残っていたこと。
そして、出会ってから随分と時間が経った今でも、時折その少女のことを思い出していたこと。
クレスは思い出を辿るように語っていく。
ただし、その少女が私だったとは一度も断定しなかった。
あくまでも、私によく似た少女。
そういう言い方をしている。
だけど、話を聞いているうちに、私の中でも昔の記憶が鮮明に蘇ってきた。
ゴブリンのいる森。
そこで出会ったクレス。
あの時の出来事を、彼はそんなふうに覚えていたんだ。
私は驚きながらも黙って話を聞き続けた。
クレスは私の反応を確かめるようなことはしない。
ただ、その少女がどれほど気になっていたのかを話してくれる。
その声を聞きながら、私は胸の前でそっと手を重ねた。
どうしよう。さっきまで分からなかったことが、少しずつ繋がっていく。
だけど、それを理解するほど、ますます何を言えば良いのか分からなくなってしまう。
私はただ、目の前に立つクレスの言葉を一つも聞き逃さないように、じっと耳を傾けていた。
「私はあの少女が母上と妹の命を救ってくれたんだと考えているんだ。証拠は何もないけどね。」
クレスはそう言うと少し困ったように笑った。
それからも彼は、あの日の出来事について話を続けた。
ゴブリンのいる森で出会った不思議な少女。
その少女が現れたときの状況や、そこで起きた出来事。
そして、少女の姿が見えなくなったあと、自分なりに考えたことまで。
クレスは当時の記憶を一つひとつ確かめるように、丁寧に説明してくれた。
私はその話を聞きながら内心では冷や汗を流していた。
どうしよう。全部、事実なんだけど。
クレスが話している内容には、私の知っている事実と食い違うところがほとんどなかった。
もちろん、彼が直接見ていない部分については推測も混ざっている。
だけど、その推測まで随分と正確だった。
これだけ時間が経っているのに、よくそこまで覚えているね。
唯一の救いは、クレスがその少女を私だと断定していないことだった。
あくまでも、私によく似た少女。
そして、その少女がどうして不思議な力を持っていたのかについても、彼には分かっていないらしい。
ただ、話し方や表情を見ている限り、クレスなりに確信していることがあるようだった。
それなのに、どうして私に直接尋ねてこないんだろう。
いや、理由は何となく分かる。
以前、再会したときに私が否定したからだろう。
あの時も、クレスは私とあの少女が同一人物ではないかと疑っていた。
だけど私は知らないふりをした。
その時点で彼としてもそれ以上追及することは難しくなってしまったんだと思う。
何しろ、本人が違うと言っているんだからね。
証拠もないのに問い詰めたところで、私が認める保証なんてない。
むしろ、強く迫られれば迫られるほど、私は頑なに否定してしまうだろう。
そう考えると、今のクレスの話し方は随分と上手い。
直接答えを求めるのではなく、自分の知っていることや考えていることを私に伝えてくる。
それも、あくまでも昔の思い出話として。
これなら私も、途中で話を遮って否定する必要がない。
外堀から少しずつ埋められているような気分だ。
やっぱりクレスは話が上手いなぁ。
だけど、どれだけ上手に話されても、ここでの回答は決まっている。
「それは不思議だね。目を離した隙に消えてしまうなんて。」
私はできるだけ自然な声で答えた。
そう、これが当然の答えだ。
あの時、たまたま森に居合わせただけなら、私だと認めても良かった。
クレスの母親と妹を助けたことだって、別に隠す必要はない。
むしろ、感謝してもらえるなら素直に受け取っても良いくらいだと思う。
だけど、問題はそこじゃない。
どうしてあの場所にいたのか。
どうやって魔物を倒したのか。
そこを尋ねられたら、私は答えられなくなってしまう。
《Warp》を使って王都まで飛んできて、本来なら使えないはずの魔法を使ってゴブリンを倒しました。
……うん、言えるわけがない。
そんな説明をしたところでクレスが納得してくれるとも思えない。
それどころか、余計な疑問をいくつも生み出してしまうだろう。
そもそも、私の持っている力は簡単に人へ話して良いものではない。
クレスが信用できないというわけじゃない。
むしろ彼のことは十分に信頼している。
だけど、それと秘密を明かすことは別問題だ。
たとえ結果的に彼を傷付けてしまうことになったとしても、これだけは言えない。
私は心の中でそう決めていた。
ところが、クレスの反応は予想していたものとは随分と違っていた。
「ああ、全くだ。私の知識だけでは説明がつかないことが、世の中にはたくさんあるんだろう。」
そう言って、彼は納得したように頷いた。
しかも何だか満足そうな顔までしている。
あれ? 全然堪えてないんだけど。
私はてっきり、少しくらい残念そうな顔をするものだと思っていた。
もしかしたら、もう一度否定されたことで落ち込んでしまうかもしれない。
そんな心配までしていたのに。
何なら私の覚悟を返してほしいくらいだ。
だけど、そんなことを考えながらも、私は心のどこかでホッとしていた。




