見ないようにしてたもの⑧
向かったのはテントが並ぶ方向とは反対側。
ちょうど食事を終えた人たちが戻っていく流れに逆らうような形で進んでいく。
人通りが多いので、少し歩きにくい。
だけど、クレスはちゃんと私の歩幅に合わせてくれていた。
身長差があるから、普通に歩かれたら私の方が小走りになってしまうんだけどね。
こういうところは昔から変わらないなぁ。
ただ、今日は少し様子が違っていた。
いつもなら隣に並んで歩いてくれるのに、何故か私の少し前を歩いている。
しかも、珍しく何も話さない。
あれ? もしかして、人の流れが私にぶつからないように前を歩いてくれているのかな。
確かに、こうしてクレスが前にいてくれると、向かってくる人たちが自然と左右に避けてくれる。
私も人混みに揉まれずに済むので助かっていた。
なるほど、やっぱりクレスは優しいね。
こういうさりげない気遣いができるところも、評価ポイントの一つなのだ。
私はそんなことを考えながら、彼の後ろをついていった。
だけど、人混みを抜けてもクレスは私の隣に並ぼうとしなかった。
「……。」
相変わらず何も話さず少し前を歩き続けている。
どうしたんだろう。
さっきから何だか様子がおかしい気がする。
普段なら何気ない話をしながら歩いているのに、今日は妙に静かだった。
沈黙が続くのも感じが悪いかなと思って何か話し掛けようとした。
だけど、何となく声を掛けづらい雰囲気がある。
怒っているわけではなさそうなんだけど、いつもより少し緊張しているようにも見えた。
「……。」
そんな空気を感じ取ってしまったせいか、私まで黙り込んでしまう。
うーん、何だか落ち着かないね。
大事な話でもあるんだろうか。
そんなことを考えながら歩くこと、およそ三分。
配給所の賑わいも随分と遠くなり周囲にはほとんど人の姿が見えなくなっていた。
すると、前を歩いていたクレスが突然振り返った。
「わっ。」
私は慌てて足を止めた。
危ない危ない。
もう少しでぶつかるところだった。
急に振り返るんだもん、びっくりするじゃない。
だけど、顔を上げた私は思わず固まってしまった。
近い。
あと一歩前に進めば、クレスに触れてしまいそうな距離だった。
元々、私とクレスには四十センチほどの身長差がある。
こうして真正面に立つと、自然と彼の顔を見上げる形になってしまう。
普段なら気にも留めないことなのに、今日は妙にその距離が気になった。
当のクレスはというと、私の顔を見下ろしたかと思えば、すぐに視線を逸らしてしまった。
そして何かを考えるように空を仰ぐ。
そのまま片手を持ち上げると、自分の髪に触れた。
あっ。せっかく綺麗に整えていた髪が、少し崩れちゃった。
指摘してあげようかな。
そう思って口を開きかけたところで、クレスが真っ直ぐこちらを向いた。
その表情を見て、私は言葉を飲み込んだ。
何だろう。
真剣というか、何かを決意したような顔をしている。
私もつられて背筋を伸ばしてしまった。
「今日はその、洒落た服を着ているな。」
「えっ?」
予想していなかった言葉に、思わず自分の服へ視線を落とした。
ああ、これのことか。
「うん、ドライアドがこれを着ていけって。」
「……なるほど。」
クレスは小さく頷いた。
だけど何故か少しだけ肩を落としたように見えた。
あれ? 何か変なことを言ったかな。
私が不思議に思っていると、クレスはすぐに姿勢を正した。
そして改めて私の顔を見つめてくる。
「綺麗だ。似合っている。」
「えっ……。」
突然の言葉に、私は思わず目を瞬かせた。
な、何だろう。
急にプレイボーイみたいな台詞を言ってきたんだけど。
いつものクレスなら、もう少し気軽に褒めてくれることもある。
だけど今の言い方は何だか違って聞こえた。
真っ直ぐに目を見つめられながら、そんなことを言われるとは思っていなかった。
「あ、ありがとう。」
何とか返事をしたものの、それ以上の言葉が出てこなかった。
うぅ、何だか調子が狂うなぁ。
もしかしたら、これも貴族らしい女性の立て方なのかもしれない。
相手の服装を褒めたり、綺麗だと伝えたりするのは、礼儀作法の一つだったりするんだろうか。
だけど異性との付き合いに慣れていない私には少々刺激が強すぎる。
前世も含めて、こういう場面の経験なんてほとんどないんだから。
心臓が少し速くなっている気がする。
それに褒めてもらったのに何も返さないのは失礼だよね。
何か言わなきゃ。
私は目の前に立つクレスを見上げながら、必死に言葉を探した。
綺麗に整えられた服。
普段とは違う落ち着いた雰囲気。
それに、元々整っている顔立ち。
うん、やっぱり格好良いと思う。
そう考えたところで、ようやく言葉が出てきた。
「クレスもカッコいいよ。」
何とか絞り出せたのは、それだけだった。
もっと気の利いた言葉があったかもしれない。
だけど、今の私にはこれが精一杯だった。
「はは、そうか。」
私の言葉を聞いたクレスは、嬉しそうに笑った。
さっきまで何だか緊張しているように見えたのに、今は随分と表情が柔らかくなっている。
それに引き換え、私はまだ少し落ち着かない。
ただ服を褒められただけなのに、どうしてこんなに動揺してしまったんだろう。
我ながら情けないなぁ。
クレスはそんな私を見ながら小さく息を吐くと、ふと空を見上げた。
そこには相変わらず明るい空が広がっている。
星どころか、夜の訪れさえ感じられない不思議な景色だ。
彼はその空を少しの間だけ眺めると、何かを決意したように私へ向き直った。
「本当はこんなつもりではなかったんだが。」
「えっ?」
ポツリと漏らされた言葉に、私は首を傾げた。
こんなつもりではなかったって、どういうことだろう。
だけどクレスはすぐには説明しなかった。
少しだけ言葉を探すように間を置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「洞窟での魔物との戦い、アイラが倒してくれたから私たちは生きて帰れた。本当にありがとう。」
「ああ、そのこと?」
私は小さく頷いた。
「それはさっきも聞いたよ。私のことも助けてくれてありがとう。」
思えば、この会話も何度目になるんだろう。
私がクレスに助けてもらったことを感謝して、クレスは私が魔物を倒したことに感謝する。
お互いにお礼を言い合ってばかりだね。
だけど、あの戦いで二人とも無事に帰ってこられたことを考えれば、何度感謝したって足りないくらいなのかもしれない。
私はそんなことを考えていた。
でも、どうやらクレスが話したかったのは、その先のことだったらしい。
「アイラを助けたあの時、私は死ぬ覚悟だった。」
「……。」
その言葉を聞いた瞬間、私は少しだけ眉を寄せた。
死ぬ覚悟、ね。
もちろん、クレスが私を助けてくれたことには心から感謝している。
あの時、彼が身を挺して庇ってくれなかったら、私がどうなっていたか分からない。
だけど、それとこれとは別の話だ。
「簡単に命を投げ捨てないでほしい。」
思わず、そんな言葉が口から出てしまった。
責めるつもりはなかったけど、少しだけ不機嫌な声になってしまったかもしれない。
だって、クレスが死んでしまうなんて嫌だから。
命を助けてもらった私が言うのも何だけど、あの時の判断は決して良いものではなかったと思う。
あの場面で自分の命を犠牲にしてまで誰かを助けようとするのは、少なくとも私が知っているクレスらしい判断ではない。
もっとも、命の恩人に向かって、あの行動は間違っていたなんて言うつもりはないけど。
そんなことは、きっとクレス自身が一番よく分かっているはずだ。
私がわざわざ指摘する必要はないと思う。
「簡単ではなかったさ。」
クレスは私の言葉を否定するように、静かに首を振った。
「だが、そうだな。あの時は体が勝手に動いてしまった。」
「体が勝手に?」
私は思わず聞き返した。
そういえば、あの時も似たようなことを言っていた気がする。
隊長としての判断ではなかった、と。
あの時は戦闘の直後だったし、クレスも大怪我をしていたから、そこまで深く考える余裕がなかった。
だけど改めて聞くと随分と不思議な話だ。
クレスは責任感が強く、仲間を大切にする人だ。
困っている人がいれば助けようとするし、自分より弱い立場の人を見捨てるようなこともしない。
だから、誰かを庇って怪我をしたという話だけなら、彼らしいと思える。
でも今回は少し事情が違う。
私とクレスは、昔からずっと一緒に過ごしてきたわけじゃない。
これまで何度か会って、そのたびに色々とお世話になってきたけど、毎日のように顔を合わせる関係ではなかった。
そんな私を助けるために、死ぬ覚悟で飛び込んできたということ?
もちろんクレスなら相手が誰であっても助けようとするかもしれない。
だけど、あの場面での行動は、どうしても私の知っている彼の人物像と一致しなかった。
彼はもっと冷静に状況を判断できる人のはずだ。
自分が倒れれば、周囲にどれだけの影響が出るのか分からない人ではない。
それなのに考えるより先に体が動いてしまったなんて、どうして?
私は戸惑いを隠せないまま、クレスの顔を見上げた。
すると彼は私の視線を正面から受け止めた。
そして、その答えはすぐに告げられた。
ほかの誰でもない、クレス本人の口から。
「君が好きだから。傷付くところを見たくなかった。」
「……えっ?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
いや、言葉の意味は分かる。
分かるんだけど、頭がその意味を受け止めようとしなかった。




