逢魔が時⑭
私は目の前で膨れ上がる魔力を感じながら必死に頭を働かせていた。
ドッペルゲンガーが三つの強化スキルを使い終えてから、まだほんの僅かな時間しか経っていない。
それなのに私の思考だけが妙に静かだった。
周囲の音が遠ざかり、時間の流れまで遅くなったような感覚がする。
クレスがドラゴンスレイヤーを握り直す姿も、騎士達が警戒を強める様子も、まるでゆっくり動いているように見えた。
あぁ、もしかしてこれが走馬灯ってやつなのかな?
そんな冗談まで考える余裕があるなんて、自分でも不思議だった。
だけど、状況は少しも笑えない。
これから始まるのは間違いなく暴虐の宴だ。
『ブレイクスルー』で全ステータスを底上げし、『ハードスキン』で防御力を高め、さらに『ランペイジ』で限界まで能力を引き上げたドッペルゲンガー。
しかも、あいつは自分のHPを削ることさえ厭わない。
自爆特攻上等で暴れ回るつもりなんだろう。
これまでだってクレスが何とか攻撃を受け止めていたというのに、ここからさらに強くなった相手をどうやって止めれば良いんだろう。
私は頭の中で、考えられる勝利条件を整理した。
一つ目は、私かクレスの大技を命中させること。
いくら防御力を高めているとはいえ、強力な攻撃をまともに受ければ無事では済まないはずだ。
そして二つ目は、『ランペイジ』によるHP消費でドッペルゲンガーが自壊するまで耐え凌ぐこと。
あのスキルは使っているだけでHPを失い続ける。
だから、相手が自滅するまで生き残れれば勝てる可能性はある。
だけど正直に言ってどちらも現実的とは思えなかった。
大技を当てるには、あいつの動きを止めなければならない。
さっきまでですら難しかったことが、今のドッペルゲンガーにできるとは思えなかった。
かといって自壊するまで耐えるのも無理がある。
元々こちらの方が身体能力で劣っていたのに、さらに大幅な強化までされてしまった。
一撃でもまともに受ければ、それだけで戦線が崩壊しかねない。
私はドッペルゲンガーの姿を見つめながら、もう一つの選択肢へと思考を向けた。
使うか、使わないのか。
意識をGM倉庫へと向ける。
そこには、私がこの洞窟へ来る前にしまっておいたレーヴァテインがある。
ここでレーヴァテインを抜けば、この戦闘を犠牲者なしで終わらせることができるだろう。
だけど、その代償は決して小さくない。
クレスや騎士団の人達の目の前で、あの剣を使うことになるんだから。
そうなれば私がこれまで隠してきたものまで知られてしまうかもしれない。
きっと、いろいろなことを聞かれるだろう。
それだけで済まないかもしれない。
今まで大切にしてきた普通の生活も、周囲の人達との関係も全部変わってしまう可能性がある。
考えただけで気が重くなった。
もちろん命と引き換えにしてまで秘密を守るつもりはない。
本当にどうしようもなくなったら、迷わず使うべきだと思っている。
だけど、まだクレス達は戦おうとしている。
私だって大魔法を放つための魔力を維持できている。
今なら、もう少しだけ可能性を探れるんじゃないだろうか。
私はGM倉庫へ向けていた意識を戻した。
ごめん、もう少しだけ粘らせて。
その決断を下した瞬間、周囲の時間が元の速さを取り戻したように感じられた。
ドッペルゲンガーが、ゆらりと体を動かした次の瞬間。
ドンッ!!
凄まじい轟音と共に、その姿が視界から消えた。
「っ!?」
私が驚くよりも早く、クレスが叫んだ。
「『ランペイジ』!」
クレスの体からも強烈な魔力が溢れ出した。
ドッペルゲンガーと同じグランドナイトの強化スキルだ。
自分のHPを削りながら全ステータスを引き上げることで、少しでも相手の能力に追い付こうとしているんだ。
だけど、それでも足りなかった。
ガァァァンッ!!
目の前で凄まじい金属音が響いた。
ドッペルゲンガーの攻撃を、クレスが辛うじて受け止めている。
だけど先ほどまでとは明らかに違う。
クレスの体が大きく押し込まれ、足元の地面が抉れていた。
「ぐぅっ!」
クレスが力を込めて押し返す。
しかし、その瞬間にはドッペルゲンガーが横へと回り込んでいた。
ガキィンッ!
クレスが慌てて剣を引き戻し、横から迫った攻撃を受け止める。
続けざまに反対側から斬撃が飛んできた。
ガンッ! ギィンッ! ガァンッ!
金属音が途切れることなく響き続ける。
私は二人の動きを目で追おうとしたけど、あまりにも速すぎてついていくので精一杯だった。
「早すぎて目で追うので精一杯よ!」
シルフが悲鳴に近い声を上げた。
普段なら私よりもずっと速く動けるシルフでさえ、あの二人の動きを追うだけで精一杯らしい。
「クレス、押されてる。」
ドライアドが険しい表情で呟いた。
クレスは何とかドッペルゲンガーの攻撃に対応しているけど、自分から攻め込む余裕がほとんどない。
相手が大剣を振るうたびに、クレスは体を捻ったり足を踏み替えたりして必死に攻撃を受け流している。
それでも完全には勢いを殺し切れず、少しずつ後方へと押されていた。
クレスは、ほとんど気力だけで相手の動きに付いていっているように見えた。
「隊長を援護しろ!」
騎士団の男性が叫んだ。
その声に応じて周囲の騎士達が一斉に動き出す。
だけどドッペルゲンガーは彼らを見向きもしなかった。
「はあっ!」
騎士の一人が背後から斬り掛かる。
ガキンッ!
剣がドッペルゲンガーの背中に命中したものの、硬い金属を叩いたような音が響いただけだった。
相手の体には、かすり傷一つ付いていない。
「何っ!?」
男性が驚く間にも、ドッペルゲンガーはクレスへと攻撃を繰り返していた。
別の騎士が横から剣を振るっても、結果は同じだった。
『ハードスキン』によって硬質化した体は、通常の攻撃を完全に弾き返してしまう。
「だめだ、攻撃が全く通じない。」
「スキルを打ち込むだけの隙もないです!」
女性騎士が悔しそうに叫んだ。
スキルを発動するために構えを取ろうとしても、その間にドッペルゲンガーが移動してしまう。
下手に近付けば、クレスの振るう大剣に巻き込まれる危険さえあった。
しかも、ドッペルゲンガーは騎士達から攻撃を受けても反応すらしない。
もはや騎士団の人達の攻撃なんて、気にする必要すらないということなんだろう。
クレスとドッペルゲンガーだけが、周囲から切り離されたような速さで打ち合い続けていた。
私も何とか魔法を撃ち込もうとしたけど、狙いを定めることさえできない。
クレスとドッペルゲンガーの位置が、目まぐるしく入れ替わっている。
今なら当たると思った瞬間には、既に別の場所へ移動している。
こんな状態で魔法を放ったら、ドッペルゲンガーどころかクレスに命中してしまうかもしれない。
私は大魔法用の魔力を維持したまま必死に二人の動きを追い続けた。
「せめて五秒、いや三秒動きが止まってくれたら……。」
思わず声が漏れた。
たった三秒でいい。
その間だけでもドッペルゲンガーが動きを止めてくれれば、今まで練り上げた魔力を使って大魔法を放てる。
だけど、そんな隙が生まれる気配は全くない。
ガァンッ! ギィンッ! ガキィンッ!
目の前では、まるで稲妻が走っているような剣戟が繰り広げられていた。
大剣同士がぶつかるたびに火花が散り、衝撃で地面の土が舞い上がる。
ドッペルゲンガーが踏み込めば、クレスが受け止める。
クレスが反撃すれば、ドッペルゲンガーが瞬時に体を捻って回避する。
そこからさらに斬撃が繰り出され、再び激しい金属音が響く。
僅か数秒の間に何十回もの攻防が繰り返されていた。
まるで曲芸団の殺陣を見ているようだった。
いや、それ以上かもしれない。
あんな動き、人間にできるものなんだろうか。
クレスが振るうドラゴンスレイヤーは、人間の体ほどもある巨大な剣だ。
それを扱うだけでも大変なはずなのに、今は目にも止まらぬ速さで振り回している。
ドッペルゲンガーも折れた大剣を使いながら、まるで重さを感じさせない動きで攻撃を繰り返していた。
二人の周囲には剣が巻き起こす風が渦巻き、近付くことさえ難しい。
騎士団の人達も、シルフもドライアドも、今は援護する機会を探すことしかできなかった。
もう誰にも、あの二人を止めることはできない。
私は息を詰めながらクレスが攻撃を受け止めるたびに、胸の奥が締め付けられるのを感じていた。
いつまで続くんだろう。
『ランペイジ』はHPを消費し続けるスキルだ。
それはドッペルゲンガーだけじゃなく、クレスだって同じこと。
このまま打ち合いを続けていたら、先に限界を迎えるのがどちらなのか分からない。
私は何とか助ける方法を探したけど、どれだけ考えても良い案が浮かばなかった。
そんな戦いが始まってから、三十秒ほど経った頃だろうか。
ついに、その均衡が崩れた。
ガァンッ!
ドッペルゲンガーが振り下ろした大剣を、クレスが受け止める。
これまでと同じ攻防だった。
だけど、その直後にクレスの足が僅かに滑った。
地面に散らばっていた細かな土が、踏み込んだ足の下で崩れる。
そのせいでクレスの体がほんの少しだけ横へと傾いた。
普通の戦闘なら、隙とも呼べない程度の動きだったと思う。
だけど、今のドッペルゲンガーにとっては十分だった。
「あっ!」
誰が声を上げたのか分からなかった。
私も騎士団の人達も、きっと同じ瞬間に息を呑んだんだと思う。
ドッペルゲンガーが動いた。
だけど、クレスへ追撃を仕掛けたわけじゃなかった。
あいつは分かっていたんだ。
今ここで追撃を加えても、クレスを倒し切ることはできない。
クレスなら、多少体勢を崩したところで何とか防御してしまうだろう。
だからこそ、ドッペルゲンガーはその一瞬を別のことに使った。
ぐるりと頭がこちらへ向く。
その目が、真っ直ぐに私を捉えた。
「アイラ逃げて!」
シルフとドライアドの声が重なった。
周囲の人達の視線が、一斉に私へと集まる。
私は反射的に足を動かした。
クレスの後ろへ逃げ込めば、何とか攻撃を避けられるかもしれない。
そう考えて、全力で駆け出そうとしたけど、もう遅かった。
ドンッ!!
ドッペルゲンガーが地面を蹴った。
その姿が一瞬で視界から消え、次の瞬間には私の目の前へと迫っていた。
私は必死に体を動かそうとしたけど相手の速度に全く追い付けない。
黒い瘴気が、ぶわっと揺らめく。
その奥から、何かが私へ向かって突き出されるのが見えた。
避けられない。そう思った直後だった。
視界の端を、鮮やかな赤いものが横切った。
バシュッ!
何かが裂けるような音がして、鮮血の飛沫が私の横を掠めていく。
同時に、体を強く押された。
「きゃあっ!」
私はその勢いに逆らえず、後方へと弾き飛ばされた。
足が地面から離れ、体が宙に浮く。
そのまま地面へと転がり、何とか手を突いて体勢を立て直した。
「いたた……。」
思わず声が漏れたけど、思っていたほど痛くない。
確かに強い力で押されたけど、あのドッペルゲンガーの攻撃を受けたにしては衝撃が弱すぎる。
さっきまでの戦いを見ていれば、あいつの攻撃がこんなもので済むはずがないことくらい分かる。
一体、何が起こったんだろう。
私は顔を上げ、さっきまで自分が立っていた場所へと視線を向けた。
そこには、大きな背中があった。
クレスだ。
クレスが私とドッペルゲンガーの間へと体をねじ込み、立ちはだかっていた。
その姿を見た瞬間、ようやく理解できた。
クレスが……助けてくれた?
あの一瞬で私のところまで駆け付けて、ドッペルゲンガーの攻撃から庇ってくれたんだ。
私は安堵しながら、クレスへお礼を言おうとした。
「クレス、ありが……。」
だけど、言葉が途中で止まった。
クレスの足元に、何かが滴り落ちている。
ぽたっ。
ぽたっ。
赤い液体が地面に落ち、土の上に小さな水溜まりを作っていた。
最初は何なのか分からなかった。
だけど、次々に落ちてくる赤い雫を見て、すぐに気付いた。
血だ。それも、尋常じゃない量だった。
クレスの足元では、赤い液体が土を濡らし、ぬかるみのように広がっている。
私はその出所を確かめようと、地面からゆっくりと視線を上げた。
膝、腰、胴体。
そして、肩へと目を向けた瞬間。
「えっ……?」
私は思わず目を見開いた。
クレスの右腕が、無かった。




