逢魔が時⑫
「どうした、来ないのか?」
ドッペルゲンガーが挑発するように声を掛けてきた。
その表情には余裕があり、こちらの出方を楽しんでいるようにも見える。
私は相手から視線を外さないまま、心の中で反論した。
行かないんじゃなくて、行けないんだよ!
あいつの身体能力なら、こちらが動き出してからでも十分に対応できる。
クレス以上の速度で動き回れるうえに、攻撃の威力だって桁外れなんだから。
こちらが先に攻撃を仕掛けたとしても簡単に避けられてしまう可能性が高い。
そして、その攻撃によって生まれた隙を狙われたら今度こそ終わりだ。
たとえほんの少しの綻びでも、あいつなら見逃さないだろう。
何しろ、最初の戦闘ではクレスを一撃で吹き飛ばし、騎士団の人達までまとめて戦闘不能にしている。
あの時と違って今は全員が構えてる状態だけど、だからといって同じことが起こらない保証なんてない。
私達はあいつの攻撃を警戒しながら、確実に反撃できる機会を待つしかないんだ。
それが分かっていても歯痒かった。
目の前に敵がいるのに自分から攻撃することもできない。
せっかく魔力を練り上げているのに、放つ機会すら見つけられないんだから。
私は奥歯を噛み締めながら、ドッペルゲンガーの動きを観察し続けた。
「ふむ、睨み合いも悪くはないが時間を掛ければこちらが不利か。」
ドッペルゲンガーが何かを考えるように呟いた。
えっ、そっちが不利になるの?
私は思わず眉を寄せた。
どう考えても、こっちがずっと劣勢だと思うんだけど。
私達は大きな怪我を負えば、またセレナやドライアドに治療してもらわなければならない。
魔力だって無限にあるわけじゃないし、長引けば長引くほど不利になるのは私達の方だと思う。
それともドッペルゲンガーには何か別の事情があるんだろうか。
私には分からないけど、少なくとも今の状況で相手が焦る理由なんて思い付かなかった。
そんなことを考えていると、ドッペルゲンガーがゆっくりと姿勢を変えた。
折れた大剣を握り直し、片足を後ろへと引く。
その動作を見た瞬間、私は背筋が冷たくなるのを感じた。
来る!
「いくぞ!」
ドッペルゲンガーが大きく地面を蹴った。
ドォンッ!!
まるで地面が爆発したかのような轟音が洞窟内に響き渡る。
その凄まじい脚力によって、ドッペルゲンガーの体が一気に前方へと跳び出した。
さっきまで立っていた場所には土煙が舞い上がり、踏み込んだ地面が大きく抉れている。
ただ跳躍しただけで、あんなことになるなんて!
私はその異常な身体能力に驚きながらも、必死に相手の姿を目で追った。
だけど、あまりにも速すぎる。
視界の中で金色の髪が揺れたかと思うと、次の瞬間には目の前まで迫っていた。
そして、その進行方向にいるのは間違いなく私だった。
「『プラントウォール』!」
「避けるわよ!」
ドライアドが防御魔法を放つのと、シルフが風の力で私の体を動かそうとしたのは、ほとんど同時だった。
足元の地面が盛り上がり、植物が勢いよく伸び始める。
同時に、私の体を包む風が強くなった。
二人とも、私が何か言うより先に反応してくれたんだ。
だけど、それでも間に合わない。
私の体がわずかに後ろへ動き始めた時には、ドッペルゲンガーが既に目の前まで迫っていた。
植物の壁が完成するよりも早く、折れた大剣が振りかぶられる。
その動きを見た瞬間、私は直感した。
これは避けられない。
シルフがどれだけ頑張ってくれても、今からでは間に合わないだろう。
ドライアドの防御魔法だって、完全に展開する前に突破されてしまう。
だったら、少しでも衝撃に備えなきゃいけない。
だけど相手の速度があまりにも速くて、体が思うように動いてくれなかった。
きっと凄く痛いんだろうなぁ。
そんな場違いなことが頭に浮かんだ。
今から自分が攻撃を受けるというのに、どうしてこんな呑気なことを考えているんだろう。
私は迫り来る大剣を見つめながら、思わず身を強張らせた。
その時だった。
私の目の前に、大きな影が飛び込んできた。
「やらせん!」
クレスだ!
クレスが私とドッペルゲンガーの間へと割り込み、巨大なドラゴンスレイヤーを構えた。
次の瞬間、二人の大剣が激しくぶつかり合った。
ガァァァンッ!!
凄まじい金属音が響き渡り、衝撃波のような風が周囲へと広がった。
私は思わず顔を背けそうになったけど、何とか踏みとどまった。
目の前では、クレスがドッペルゲンガーの一撃を正面から受け止めていた。
「ぐっ!」
クレスの体が大きく後ろへと仰け反った。
両足が地面にめり込み、足元の土が激しく盛り上がる。
その衝撃の大きさは、見ているだけでも十分に伝わってきた。
だけど、クレスは倒れなかった。
両腕に力を込め、ドッペルゲンガーの大剣を押し留めている。
先ほどは一撃で壁まで吹き飛ばされてしまったのに、今度はその場に踏みとどまっていた。
「隊長!」
騎士団の男性が声を上げた。
「おおっ!」
周囲の騎士団の人達からも歓声が上がる。
私は目の前の光景に、思わず息を呑んだ。
やっぱりクレスは凄い!
あれほどの攻撃を受け止めるなんて、普通なら考えられない。
しかもクレスは先ほど一度、ドッペルゲンガーと打ち合っただけ。
その時は相手の力を見誤って吹き飛ばされてしまったけど、今度は違う。
きっと、あの一撃で相手の実力を把握していたんだろう。
クレスは、たった一度の立ち合いから対策を考えていたんだ。
もちろん、今だって余裕があるわけじゃない。
地面にめり込んだ両足や、力を込めた腕を見れば、どれほど無理をしているのか分かる。
だけど、それでも受け止めてくれた。
私を守るために、あの恐ろしい攻撃の前へ飛び込んできてくれたんだ。
「やれ!」
クレスが鋭く叫んだ。
その号令を聞いた瞬間、周囲の騎士団の人達が一斉に動き出した。
「はっ!」
「おおっ!」
左右から複数の騎士が駆け寄り、クレスと鍔迫り合いをしているドッペルゲンガーへと斬り掛かる。
クレスが正面から相手を押さえ込んでいる今なら、側面から攻撃を仕掛けられる。
しかも、ドッペルゲンガーは折れた大剣でクレスの攻撃を受け止めている状態だ。
これなら、いくら身体能力が高くても簡単には避けられないはず。
「むっ?」
ドッペルゲンガーが初めて驚いたような声を漏らした。
その直後、いくつもの斬撃がドッペルゲンガーの体へと降り注いだ。
ガキンッ! ガンッ! ギィンッ!
洞窟内に奇妙な金属音が響き渡る。
騎士達の剣が肩や腕、胴体へと次々に命中している。
だけど、その音は明らかにおかしかった。
普通、人間の体を剣で斬り付けた時に、あんな金属同士がぶつかるような音がするだろうか。
私は不思議に思いながらも、攻撃の行方を見守った。
さすがのドッペルゲンガーも、四方から斬り掛かられてはその場に留まれなかったらしい。
クレスの大剣を押し返すと、騎士達の攻撃を振り払うようにして後方へと跳び退いた。
そして、私達から少し距離を取った場所で再び構え直した。
「隊長、あいつの体おかしいです。」
騎士団の女性が、困惑した様子で声を上げた。
私はその言葉を聞いて、改めてドッペルゲンガーの体へと目を向けた。
確かにおかしい。
さっきの攻撃は何度も命中していた。
それなのに、体のどこにも切り傷が見当たらない。
あれだけの斬撃を受けたんだから、普通なら血が流れていてもおかしくないはずだ。
だけどドッペルゲンガーの体には血の一滴すら見えなかった。
その代わり、肩や腕の表面に小さなへこみができている。
さらに胸元や脇腹には、細いひび割れのようなものまで見えた。
まるで硬い金属の塊を何度も叩いたような傷跡だ。
なるほど。
さっきから聞こえていた奇妙な金属音は、これが原因だったんだ。
見た目はクレスと全く同じ人間なのに、体の中身まで同じというわけじゃないらしい。
「なるほど、人間の体とは構造からして違うようだな?」
クレスがドラゴンスレイヤーを構え直しながら問い掛けた。
ドッペルゲンガーは、その質問に答えなかった。
ただクレスの顔をじっと見つめている。
そして、口元をわずかに歪めてニヤリと笑った。
まるで、その通りだと言わんばかりの表情だった。
「通常の攻撃ではたいしたダメージを与えられません。」
先ほど攻撃を仕掛けた騎士団の男性が、悔しそうに報告した。
その言葉に、クレスも小さく頷いた。
「となると、やはりスキルか魔法で倒すしかなさそうだな。」
私も同じことを考えていた。
あれほどの斬撃を受けても切り傷一つ付かないなんて、普通のモンスターとは明らかに違う。
もちろん、騎士団の人達の攻撃が全く効いていないわけじゃない。
体の表面にはへこみやひび割れができているし、攻撃を受けたことで後退もしていた。
だけど、あの程度の傷で致命傷を与えられるとは思えなかった。
しかも、あいつは洞窟の魔力を吸収して回復できる。
小さなダメージを積み重ねても、その間に回復されてしまう可能性が高い。
そうなると、やっぱり一撃で大きなダメージを与える必要がある。
私はドッペルゲンガーから視線を外さないまま、自分の中に蓄えている魔力へと意識を向けた。
先ほどから練り続けていた魔力は今も維持している。
いつでも大魔法を放てるだけの準備は整っていた。
だけど、ここで焦ってはいけない。
クレス達が相手の動きを止めてくれたとしても、攻撃する場所やタイミングを間違えれば、味方まで巻き込んでしまうかもしれない。
それに、ドッペルゲンガーは既に私を最大の脅威として認識している。
私が魔法を放とうとすれば、真っ先に対応してくるはずだ。
だからこそ確実に当てられる瞬間を見極めなければならない。
私はクレス達の動きとドッペルゲンガーの位置を確認しながら、魔力を放つ隙を窺い続けた。
今度こそ、あいつに強烈な一撃を叩き込んでやるために。




