逢魔が時⑪
「非常に、良い攻撃だった。これがこの世界の土。……いや、この洞窟の壁じゃなければ今の一撃で私が負けていただろう。」
突然、巨大な土の手の中からドッペルゲンガーの声が響いた。
その声を聞いた瞬間、私は思わず身構えた。
やっぱり生きていた!
しかも、あれほどの攻撃を受けたというのに、随分と余裕のある話し方をしている。
さっきまで聞こえていた亀裂の音も、今では明らかに大きくなっていた。
土の手の表面には無数の亀裂が走り、ところどころから細かな土の欠片が剥がれ落ちている。
このままでは、そう長く持ちそうにない。
だけど、それよりも気になることがあった。
この洞窟の壁じゃなければって、どういうこと?
私はドッペルゲンガーの言葉を頭の中で繰り返した。
あいつは今、私の攻撃を受け止められた理由が、この洞窟の壁にあると言った。
確かに『グラウンドクランプル』は周囲の土を利用して発動する魔法だ。
だから、どこで使うかによって威力が変わることはある。
だけど今回の攻撃は十分な量の土を使っているし、注ぎ込んだ魔力だって相当なものだった。
少なくとも、普通の洞窟だったら威力が足りないなんてことは考えられない。
それなのに、あいつはこの洞窟の壁だったから助かったと言っている。
私はそこで、あることを思い出した。
そうだ、ここはデーモンケイブだった!
冒険者を嵌めるための特殊な仕掛けが施されていたダンジョンだ。
その仕掛けというのが、洞窟全体に魔力が帯びているというもの。
デーモンケイブでは、その魔力によって魔物が生み出されていた。
さらに内部の通路も絶えず変化し続け、侵入した冒険者を迷わせる構造になっていた。
つまり、この洞窟そのものが巨大な魔力の塊みたいなものなんだ。
だからこそ普通の洞窟とは違って魔物が次々と現れ、通路まで変化してしまう。
そして、もしドッペルゲンガーがその魔力を利用できるのだとしたら?
私の魔法で作り出した土の手も、元を辿ればこの洞窟の壁だ。
ドッペルゲンガーは、まさにその土に全身を包み込まれている。
もし、あいつが洞窟から直接魔力を受け取れるのだとしたら私がどれだけ強く握り潰しても、その間に回復してしまう可能性がある。
私は自分の考えに嫌な予感を覚えながら、土の手を凝視した。
すると亀裂の入った指の隙間から、何か黒いものが漏れ出していることに気付いた。
最初は土煙かと思ったけど違う。
黒い煙のようなものが、ゆっくりと土の手の表面を這いながら立ち上っている。
あれは瘴気だ。
しかも、時間が経つにつれて少しずつ量が増えている。
私はその光景を見て、自分の予想が正しいことを確信した。
あいつは、この洞窟の魔力を利用している!
よりにもよって、私が作り出した土の手が、ドッペルゲンガーに魔力を供給するための通り道になっていたのかもしれない。
これじゃあ、必死に魔力を使って閉じ込めた意味がない。
私は慌てて土の手へと意識を向けた。
これ以上、あいつに魔力を与え続けるわけにはいかない。
まだ閉じ込められている今のうちに、さっき貯めたこの魔力をぶつければ!
だけど私が何かするよりも早く、ドッペルゲンガーが再び口を開いた。
「レイディアント様の真の脅威はこの男ではなく貴様だったか、女!」
その声には、先ほどまでの余裕とは違うものが含まれていた。
明らかな敵意。
そして、私を排除するという強い意志だった。
「っ!」
私は反射的に身構えた。
次の瞬間。
ドゴォォォンッ!!
凄まじい轟音と共に、巨大な土の手が内側から吹き飛んだ。
「きゃっ!?」
私は思わず両腕で顔を覆った。
砕け散った土や岩が周囲へと飛び散り、洞窟内に大量の土煙が舞い上がる。
天井から伸びていた巨大な指が次々と崩れ落ち、地面にぶつかって重々しい音を立てた。
私が全力で作り出した『グラウンドクランプル』が完全に破壊されてしまった。
しかも土煙の向こうには人影が見える。
ドッペルゲンガーが、崩れ落ちる土の塊の中から姿を現した。
私はその姿を見て思わず目を疑った。
大剣は半ばから折れ、身に纏っていた鎧も無残に砕けている。
肩や胸を覆っていた装甲は剥がれ落ち、あちこちに破損した跡が残っていた。
どうやら私の攻撃が全く効いていなかったわけではないらしい。
少なくとも武器や防具には相当なダメージを与えられたようだ。
だけど肝心の本体はどうだろう。
ドッペルゲンガーは何事もなかったかのように立っていた。
先ほどまで苦痛の叫び声を上げていたとは思えないほど、その姿には活力が満ち溢れている。
むしろ最初に遭遇した時よりも力強く見えるくらいだ。
体の周囲には黒い瘴気が漂い、その一部がゆっくりと体内へ吸い込まれていくように見えた。
やっぱり洞窟の魔力を吸収しているんだ。
あれだけの攻撃を受けておきながら、ここまで回復してしまうなんて。
私は練り上げていた魔力を維持したまま、ドッペルゲンガーの様子を窺った。
さっきから準備していた大魔法を放つべきか。
だけど、私はその考えをすぐに捨てた。
駄目。今のあいつに大魔法を撃っても、当たる気がしない。
もし大怪我を負って動きが鈍っている状態だったら、迷わず撃っていただろう。
だけど今のドッペルゲンガーは明らかに万全の状態だ。
あの異常な速度で動き回れる相手に、何の工夫もなく大魔法を放ったところで、簡単に避けられてしまう。
それなら確実に当てられる状況になるまで温存するべきだ。
私は魔法を放つのを諦め、相手の動きに集中することにした。
「不味いわよ。あいつ、洞窟の魔力を吸ってさっきよりもピンピンしてるわ!」
シルフが険しい表情で叫んだ。
「うん、私もそう思う。」
私は小さく頷いた。
やっぱり、シルフにも分かるんだね。
精霊である彼女なら、私よりも魔力の流れを敏感に感じ取れるのかもしれない。
だけど、そんなことを考えている余裕はなかった。
「完全にアイラを狙ってる。」
ドライアドが静かに告げた。
私はドッペルゲンガーへと視線を向けた。
その瞬間、全身の筋肉が強張るのを感じた。
あいつは私を見ている。
周囲にいる騎士団の人達にも、目の前で剣を構えているクレスにも、一切視線を向けていない。
ただ真っ直ぐに私だけを見つめていた。
その目には、はっきりとした殺意が宿っている。
これまでの人生で、ここまで露骨な敵意を向けられたことがあっただろうか。
少なくとも私の記憶にはない。
前世では普通の会社員として働いていたし今世でも命を狙われるような経験は決して多くなかった。
もちろんモンスターと戦ったことなら何度もある。
だけど今のドッペルゲンガーが向けてくる視線は、それらとは明らかに違っていた。
目が合っているだけなのに全身を鋭い刃物で貫かれているような感覚がする。
あいつは私を殺すつもりなんだ。
しかも、ただ敵として倒そうとしているだけじゃない。
レイディアントにとって脅威となる存在として確実に排除しようとしている。
その意思が痛いほど伝わってくる。
不思議なことに、恐怖で頭が真っ白になるようなことはなかった。
おそらく戦闘中の興奮状態が続いているからだろう。
それに、今は私一人じゃない。
シルフとドライアドが傍にいてくれるし、クレスや騎士団の人達も一緒に戦ってくれる。
その安心感があるおかげで、何とか冷静さを保てているんだと思う。
それでも、体は正直だった。
指先に力が入り、呼吸が少し浅くなる。
相手から視線を外したら、その瞬間に襲い掛かってくるような気がして、瞬きすることさえ躊躇われた。
私は唇を引き結び、ドッペルゲンガーの一挙手一投足を見逃さないように意識を集中させた。
すると、すぐ近くからクレスの声が聞こえてきた。
「アイラを狙っているのは事実のようだが、私があいつなら、こちらが隙を見せれば確実にセレナを狙う。各員警戒しろ。」
その声は、普段のクレスからは想像できないほど小さかった。
ドッペルゲンガーには聞こえないように、周囲の仲間達だけへ伝えているらしい。
私は視線を動かさないまま、その言葉の意味を考えた。
確かにクレスの言う通りだ。
ドッペルゲンガーは今、私を最大の脅威だと認識している。
だからこそ私に対してこれほど強い殺意を向けているんだろう。
だけど、あいつが本当に私だけを狙い続けるとは限らない。
何しろ、最初の戦闘では騎士団の人達をまとめて倒した後、真っ先にヒーラーを狙おうとしていたんだから。
あの時、私が魔法を使おうとしなければ、セレナが攻撃されていた可能性は高い。
そして今のセレナは騎士団の人達を治療し、全員に防御の奇跡まで掛けてくれている。
ドッペルゲンガーだって彼女がどれほど重要な存在なのか理解しているはずだ。
もし私を狙っていると見せかけてセレナへ攻撃を仕掛けてきたら?
私達がそちらへの警戒を怠っていたら、簡単に隙を突かれてしまうかもしれない。
だからこそクレスは全員に注意を促したんだ。
騎士団の人達も、その意味を理解しているらしい。
誰もドッペルゲンガーから視線を外さない。
だけど、クレスの言葉を聞いた瞬間、それぞれの表情がわずかに引き締まった。
武器を握る手に力を込める人もいれば、足の位置を少し変える人もいる。
大きく動けば相手にこちらの意図を悟られてしまう。
だから、あくまでも自然な動作の範囲で警戒を強めているんだろう。
さすがはクレスの部下達だね。
言葉を交わさなくても、隊長が何を警戒しているのか理解しているみたい。
私はそんな騎士団の人達を横目に、改めて自分達の置かれた状況を考えた。
つまり、アタッカーの私とヒーラーのセレナを守りながらの総力戦ってことね。
クレス達はドッペルゲンガーの攻撃を防ぎながら、私が魔法を撃てる状況を作らなければならない。
同時に、セレナが狙われた場合にも対応できるようにしておく必要がある。
もちろん、私だってただ守られているわけにはいかない。
シルフとドライアドに防御を任せながら、相手の隙を見つけて攻撃するつもりだ。
だけど、こちらから不用意に仕掛けるのは危険すぎる。
ドッペルゲンガーは、クレス以上の身体能力を持っている。
それに、今は洞窟の魔力まで利用しているんだから。
こちらが先に動けば、その隙を突かれる可能性が高い。
特に大魔法を放とうとすれば、どうしても一瞬の隙が生まれてしまう。
その瞬間を狙われたら、私だけじゃなく周囲の人達まで危険に晒してしまうだろう。
だから、相手が動くまではこちらも動けない。
かといって、いつまでも睨み合っていれば良いというわけでもない。
攻撃力も速度も桁外れ。
こちらの攻撃は避けられるし、何とか当てても少しくらいのダメージならダンジョンの魔力で回復してしまう。
そのうえ、こちらの重要な戦力を的確に狙ってくるだけの知能まで持っている。
下手に先制攻撃を仕掛ければ、その隙を突かれて全滅しかねない。
こんなの、どう考えてもバランスがおかしいでしょ!
まるで最難関ダンジョンのボスモンスターだ。
本当はレイディアントの配下の一人でしかないというのに。
だけど、今は文句を言ったところで何も変わらない。
目の前にいるドッペルゲンガーは、今も私を殺すつもりでこちらを睨み付けている。
そして私達は、相手が動き出すその瞬間を待ち続けるしかなかった。
こうして、決してこちらから仕掛けてはいけないクソゲーが始まった。




