逢魔が時⑩
「くっ、気を失っていたのか。」
突然、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
……えっ?
私は慌ててそちらに顔を向けた。
すると先ほど壁へと叩き付けられたクレスが、ゆっくりと立ち上がるところだった。
どうやら、ドッペルゲンガーの一撃を受けた衝撃で、しばらく意識を失っていたらしい。
クレスは軽く頭を振ると、自分の手足を動かして体の状態を確認し始めた。
腕を曲げたり、足を踏み締めたりしているけど、特に問題はなさそうだ。
鎧には多少の傷が付いているものの、見たところ大きな怪我もない。
良かった! あんな勢いで壁に叩き付けられたんだから、もっと酷い怪我をしているんじゃないかと思っていた。
どうやら無事だったみたい。
「隊長、ご無事でしたか!」
近くにいた騎士団の男性が、嬉しそうに声を上げた。
「あぁ、すまなかった。あいつはどうなった?」
クレスは周囲を見回しながら尋ねた。
どうやら、気を失っている間に何が起きたのか分かっていないらしい。
無理もない。クレスが吹き飛ばされてから色々なことがあったから。
私はシルフにお願いして地面へ降ろしてもらうと、急いでクレスのところへ駆け寄った。
「良かった、無事だったんですね!」
「ああ、心配を掛けたな。」
クレスが少し申し訳なさそうに微笑んだ。
その表情を見て、私はようやく少しだけ安心することができた。
だけど、まだ喜んでばかりもいられない。
周囲には怪我をした騎士団の人達が大勢いるし、何よりドッペルゲンガーを倒せたのかも分かっていないんだから。
私は隣にいるドライアドへと顔を向けた。
「ドライアド、今のうちに協力して皆さんを回復してあげて。」
「えぇ~、わかった。」
ドライアドが少し不満そうな声を上げた。
彼女は基本的に、私とシルフ以外のために魔力を使いたがらない。
もちろん、他の人達を嫌っているというわけじゃないんだろうけど、できることなら自分達のために力を残しておきたいらしい。
それに、今はまだ戦闘が終わったと決まったわけじゃない。
そんな状況で魔力を使うことに、抵抗があるのかもしれない。
だけど、今はそんなことを言っていられない。
騎士団の人達の中には、手足を失うほどの重傷を負っている人までいるんだから。
ドライアドもそれは理解してくれているようで、少し頬を膨らませながらも、倒れている騎士団の人達の方へと向かっていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
後でちゃんと褒めてあげよう。
すると、クレスが不思議そうに周囲を見渡し始めた。
「この大きな手はアイラの魔法か?」
その視線の先には、天井から伸びた巨大な土の手がある。
今もドッペルゲンガーを握り締めたまま、動かずにいるものだ。
「はい。さっきドッペルゲンガーに使いました。……中はどうなっているか分かりません。」
私は少し困ったように答えた。
クレスも改めて土の手を見上げた。
あれほど巨大なものが天井から伸びているんだから、初めて見たら驚くよね。
しかも、その中には自分と全く同じ姿をしたモンスターが閉じ込められているんだから。
「なるほど。あの中にいるのか。」
クレスは真剣な表情で頷いた。
そして私達は揃って巨大な土の手を見つめた。
……動かない。
今のところ何の変化もない。
土の手が揺れることもなければ、内側から音が聞こえてくることもない。
あれだけ強く握り潰したんだから普通のモンスターならとっくに倒れているはずだ。
だけど相手は普通ではない。
クレスの剣技を使い、本人以上の速度で動き回っていたモンスターだ。
「何ともないってことは倒したんじゃないの?」
シルフが土の手を見上げながら尋ねてきた。
「残念だけど、倒せたっていう確信はないよ。」
私は首を横に振った。
もちろん私だって倒せていると信じたい。
だけど、さっきまでの馬鹿げた身体能力を思い出すと、どうしても楽観的にはなれないんだ。
あいつはドライアドの植物の壁を体ごと突き破ってきた。
鋭い茨の棘で傷付いても、まるで気にする様子がなかった。
それにクレスの防御を正面から押し切るほどの力まで持っていた。
そんな相手が私の魔法で確実に倒せたと言い切れるだろうか。
正直、分からない。
だからといって土の手を開いて中を確認する勇気もない。
もし、まだ生きていたら?
解放された瞬間に再び襲い掛かってくるかもしれない。
そう考えると、今はこのままにしておくのが一番安全な気がする。
だけど、いつまでも閉じ込めておくわけにもいかないんだよね。
私はどうしたものかと考えながら、巨大な土の手を見つめ続けた。
すると背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「アイラ、全員無事だった。」
振り返るとドライアドがこちらへ戻ってくるところだった。
その後ろには、先ほどまで倒れていた騎士団の人達もいる。
どうやら、ハイプリーストの女性と協力して治療を終えたらしい。
さっきまで苦しそうに呻いていた人達も自分の足で立ち上がっている。
失っていた手足も元に戻っているようだった。
本当に良かった。
あれだけの被害が出たんだから最悪の場合は犠牲者が出ていてもおかしくなかった。
だけど、どうやら全員助かったみたい。
私はドライアドのところへ歩み寄ると、その頭にそっと手を乗せた。
「えらいえらい。」
そう言いながら、優しく頭を撫でてあげる。
ドライアドは最初こそ少し不満そうな顔をしていたけど、すぐに表情を緩めた。
「ん。」
気持ち良さそうに目を細めながら、私の手に頭を預けてくる。
ふふっ、可愛い。
やっぱり、こうしている時のドライアドは本当に素直だね。
嫌々ながらも皆を助けてくれたんだから、ちゃんと褒めてあげないと。
私はもう少しだけ頭を撫でてから周囲の様子を確認した。
するとクレスがハイプリーストの女性へと声を掛けていた。
「セレナ、うちの被害状況は?」
どうやら騎士団の隊長として部下達の状態を確認しているらしい。
私はそこで、あることに気付いた。
今セレナって言った?
セレナって、あのセレナ!?
私は思わず、クレスが話し掛けたハイプリーストの女性へと視線を向けた。
あっ、と私は思わず息を呑んだ。
間違いない。あの人は、セレナだ!
前世のネームレスオンラインで、ハイプリーストのメインビジュアルキャラクターとして登場していた女性。
そして、正史ではクレスの恋人になる人物でもある。
まさか、こんなところで出会うなんて!
私は驚きのあまり、彼女の顔をじっと見つめてしまった。
セレナといえば月の女神を思わせるような美しい黄金の髪が特徴的だった。
その髪は柔らかな光を纏っているかのように輝き、見る者を惹き付ける。
さらに誰に対しても分け隔てなく接する慈愛を持ち、聖女とさえ称えられた女性だ。
前世では、その美しい容姿と優しい人柄から多くのプレイヤーに親しまれていたんだよね。
もちろん私だって知っている。
何しろ運営として何度も目にしてきたキャラクターなんだから。
だけど、まさか本人がこんなに近くにいたなんて全然気付かなかった。
だって特徴的な黄金の髪が帽子で隠れているんだもん。
しかも洞窟の中は薄暗いし、さっきから戦闘続きで周囲をゆっくり観察する余裕もなかった。
だから彼女のことをただのハイプリーストだと思い込んでいたんだ。
でも、こうして改めて顔を見ると確かに見覚えがある。
優しげな目元に穏やかな表情。
そして、どこか人を安心させるような雰囲気。
うん、間違いない。
すごい。クレスだけでも驚いたのに、今度はセレナまで。
しかも二人が同じ部隊にいるなんて。
これって、もしかして。
私は思わず二人を交互に見つめてしまった。
正史では恋人同士になる二人。
だけど今の二人はどんな関係なんだろう。
もう恋人になっているのかな?
それとも、まだお互いに意識していない段階なんだろうか。
……気になる。
前世で知っていた物語の登場人物達が、今こうして目の前で普通に会話している。
それだけでも不思議な感覚なのに、まさか二人が揃っているところを見られるなんて。
私は驚きと興奮で高鳴る胸を、どうしても抑えることができなかった。
「アイラ、どうした?」
突然、クレスがこちらを振り返った。
「私の顔に何か付いてますか?」
続いてセレナまで不思議そうに首を傾げた。
私はハッと我に返った。
しまった。どうやら、二人のことをじっと見つめすぎていたらしい。
そうだよね。いきなり顔をまじまじと見られたら誰だって気になると思う。
しかも、今はそんなことをしている場合じゃないんだから。
私は慌てて姿勢を正すと軽く頭を下げた。
「何でもありません。すみません、ジロジロと顔を見てしまって。」
「いえ、気にしないでください。」
セレナは優しく微笑んでくれた。
その穏やかな表情を見て、私はますます前世の記憶と重ねてしまいそうになる。
うん。やっぱりセレナだ。
でも今は考えるのをやめておこう。
クレスとセレナの関係がどうなっているのかも気になるし、聞いてみたいことだって山ほどある。
でも、それは全てが終わってからでいい。
何しろ私達の目の前にはまだ巨大な土の手が残っているんだから。
そして、その中にはドッペルゲンガーが閉じ込められている。
本当に倒せたのかどうかも分からないまま、安心するわけにはいかない。
私は気持ちを切り替えると、改めて土の手へと視線を向けた。
今は、これからどうするべきかを考えなきゃいけない。




