逢魔が時⑨
「ドライアド、全力で防御! シルフはできるだけ私達を素早く運んで!」
私はドッペルゲンガーから目を離さず、二人に指示を出した。
「わかったわ!」
「任せて!」
二人が即座に返事をしてくれる。
今の私達にとって、唯一の救いはここが洞窟内の開けた空間だったことだ。
もし、さっきまで歩いていたような細い通路で戦っていたら、逃げ場なんてほとんどなかっただろう。
だけど、この場所は違う。
横幅だけでも二十メートル以上あり、天井も高い。
シルフが私達を浮かせて飛び回るだけの空間があるし、ドライアドが植物の壁を作るための土も十分にある。
もちろん、相手の速度を考えれば、それだけで安心できるわけじゃない。
だけど少なくとも戦うための条件は揃っていた。
私は二人に自分の身を預けると、練り始めていた魔力をさらに集中させる。
ここから先、私は一切の防御行動をしない。
回避も防御も、全てシルフとドライアドに任せる。
その代わり、私は全力で魔法を叩き込むことだけに集中するんだ。
……正直ものすごく怖い。
だって目の前にいるのはクレスを一撃で吹き飛ばしたモンスターなんだから。
少しでも二人の判断が遅れれば、私は何もできないまま殺されてしまうかもしれない。
だけど中途半端に防御まで考えていたら、あいつを倒せるほどの魔法を準備できない。
それに二人ならきっと私を守ってくれる。
私はそう信じて魔力を練り続けた。
その瞬間、ドォンッ!と、まるで何かが爆発したかのような音が、洞窟内に響き渡る。
ドッペルゲンガーが地面を蹴った。
ただ踏み込んだだけとは思えないほどの衝撃音。
そして、その姿が視界から消えたかと思うと、次の瞬間には私達の目の前まで迫っていた。
さっきクレスに攻撃した時もそうだったけど、改めて自分が狙われると、その異常な速度がよく分かる。
いや、分かるというより見えないと言った方が正しいかもしれない。
だけど、私より先に反応したのはドライアドだった。
「『プラントウォール』!」
私達の目の前の地面が盛り上がり、そこから大量の植物が一気に伸び始めた。
太い蔦が何本も絡み合い、瞬く間に分厚い植物の壁が形成されていく。
しかも、ただの壁じゃない。
蔦の表面には鋭い茨の棘が無数に生えていて、触れれば相手の体を傷付けるようになっている。
なるほど。これなら、無理やり突破しようとすれば多少なりともダメージを与えられるはずだ。しかし、
「ふんっ!」
ドッペルゲンガーは、まるで怯む様子を見せなかった。
大剣を構えたまま、勢いを落とすことなく植物の壁へと突っ込んでくる。
バキバキバキッ!
凄まじい音と共に、太い蔦が次々と引き千切られていった。
鋭い棘が鎧の隙間に食い込み、露出した部分を傷付けているのが見える。
だけど、あいつはそんなことを全く気にしていない。
多少の怪我なんてお構いなしといった様子で、体ごと壁を突き破ろうとしていた。
……やっぱり、この程度じゃ止まらないよね!
だけど、それで良い。
最初から、この壁だけで攻撃を防げるなんて思っていない。
ドライアドの役割は、相手を倒すことじゃない。
ほんの少しでも、あいつの動きを鈍らせることなんだから。
そして、その狙いは確かに成功していた。
どれほど強引に突き進もうとしても、植物の壁を破るには多少の抵抗が生じる。
ドッペルゲンガーの体が、ほんのわずかに勢いを失った。
「飛ぶわよ!」
シルフが叫んだ。
その瞬間、私の体が横方向へと一気に引っ張られた。
足元には何もない。
風の力で浮かされた私達は、地面を蹴ることなく空中を滑るように移動していく。
あまりの速さに思わず舌を噛みそうになったけど、今は魔力の集中を途切れさせるわけにはいかない。
私は必死に意識を保ちながら、シルフに身を任せた。
だけど、ドッペルゲンガーも黙って見送ってくれるわけじゃなかった。
「逃がさん!」
植物の壁を突き破ったあいつは、私達の動きを追うように大剣を大きく振りかぶった。
ブォォォンッ!
空間そのものを斬り裂くんじゃないかと思うほどの勢いで、巨大な剣が振り抜かれた。
その刃が、私の目の前を通り過ぎていく。
「っ!?」
あまりにも近すぎる!
剣先が鼻先を掠め、猛烈な風圧が顔に叩き付けられた。
ほんの少しでも移動が遅れていたら、間違いなく斬られていた。
私は目の前の危機に思わず息を呑んだ。
何か一つでも判断を間違えていたら、今の一瞬で終わっていたと思う。
ドライアドが壁を張るのが遅れていたら。
シルフが回避する方向を間違えていたら。
あるいは、ドッペルゲンガーが私達に剣が届かないと判断して、大剣そのものを投げ付けてきていたら。
どれか一つでも違っていたら、きっと助からなかった。
今回は、届くか届かないかのギリギリの距離だったおかげで、相手も剣を振れば当たると判断したんだろう。
結果として、その判断が私達を救ってくれた。
だけど、次も同じように助かる保証なんてない。
あいつはきっと学習する。
今の攻撃が外れたことだって、きっと次の判断に活かしてくるはずだ。
だからこそ、ここで決めなきゃいけない。
私は逃げながら練り続けていた魔力を、一気に解き放った。
「『グラウンドクランプル』!」
私の声が洞窟内に響き渡る。
そう、ここは土だらけの場所。
地面も壁も、そして天井までもが土や岩で構成されている。
だったら、使うべき魔法は決まっている。
土属性の魔法だ。
しかも、相手は今、私達を追って大剣を振り抜いた直後。
いくら身体能力が高くても、次の動作に移るまでにはほんのわずかな時間が必要になるはず。
その隙を逃すわけにはいかない。
ゴゴゴゴッ!
突然、ドッペルゲンガーの頭上から不気味な振動音が響き始めた。
天井の土が盛り上がり、巨大な塊となって下へと伸びていく。
そして、その塊は瞬く間に五本の指を持つ巨大な手へと形を変えた。
「むっ? これは……。」
ドッペルゲンガーが異変に気付いて顔を上げた。
だけど、もう遅い!
天井から伸びた巨大な土の手が、その体を上から包み込むように掴み取った。
太い指が胴体と手足を押さえ込み、身動きを封じる。
「捕まえた!」
私は思わず声を上げた。
だけど、これだけじゃ駄目だ。
あいつほどの身体能力があれば、ただ掴んでいるだけでは簡単に抜け出されてしまうかもしれない。
だから、逃げられる前に。
「スクイーズ!!」
私はドッペルゲンガーに向かって大きく手を伸ばした。
そして、目の前にある何かを握り潰すように、思い切り指を曲げる。
それに合わせて、天井から伸びた巨大な土の手が動き始めた。
ググググッ!
五本の指がゆっくりと閉じていく。
その内側では、ドッペルゲンガーの体が凄まじい圧力を受けていた。
「ぐあああああっ!?」
洞窟内に、苦痛に満ちた叫び声が響き渡った。
同時に、何か硬いものが強い力で押し潰されるような、不愉快な音が聞こえてくる。
ギギギッ! バキッ!
自分で魔法を使っておいて何だけど、これはかなりきつい。
だって、今あの手に握り潰されているのは、どう見てもクレスなんだから。
金色の髪も、顔立ちも、逞しい体つきも。
全部、私の知っているクレスと同じなんだ。
もちろん、あれが本物じゃないことくらい分かっている。
本物のクレスは、さっき壁へと吹き飛ばされてしまったんだから。
だけど、いくら偽物だと分かっていても知り合いと全く同じ顔をした相手を握り潰すのは気が引ける。
でも今はそんなことを考えている場合じゃない!
私は必死に気持ちを切り替えた。
ここで手を緩めたら、あいつはきっと反撃してくる。
そうなれば、今度こそ私達が殺されてしまうかもしれない。
それだけじゃない。
倒れている騎士団の人達も、ハイプリーストの女性も危険に晒される。
だから、絶対に逃がすわけにはいかない。
「お願い、これで決まって……!」
私は祈るような気持ちで、さらに魔力を注ぎ込んだ。
伸ばした手にも、ありったけの力を込める。
それに応えるように、巨大な土の手がさらに強く締め付け始めた。
ゴォンッ!
突然、重々しい音と共に土の手が一回り大きくなった。
天井から新たな土が流れ込み、指と掌の隙間を埋めていく。
そして、ついにはドッペルゲンガーの体全体が土の手に覆い尽くされた。
もう、外からは姿が見えない。
見えるのは、巨大な土の塊だけだ。
だけど、その内側からはまだ何かが軋むような音が聞こえていた。
まだ終わっていない。
私はさらに魔力を集中させた。
もう、これ以上は無理なんじゃないかと思うほどの魔力を注ぎ込む。
伸ばした手にも力を込め続けた。
指先が震え、腕の筋肉が痛くなってくる。
それでも、決して力を緩めない。
もっと強く握る。
もうこれ以上、手に力が入らないと思うほどに。
私は歯を食いしばり、最後の力を振り絞った。
「っっ!」
ベキッ! バキバキッ! ゴキッ!
土の手の内側から、硬いものが砕けるような音が立て続けに響いた。
思わず顔をしかめたくなるほど、不快な音だった。
だけど、その音を最後に静かになった。
さっきまで聞こえていたドッペルゲンガーの叫び声も、何かが軋むような音も聞こえない。
洞窟内に、奇妙な静寂が訪れる。
「よっし!」
シルフが嬉しそうに声を上げた。
「やった!」
ドライアドも、珍しく興奮した様子で喜んでいる。
「やったの?」
少し離れた場所から、ハイプリーストの女性の声が聞こえてきた。
どうやら、彼女も私達の戦いを見ていたらしい。
私はその問いに、すぐには答えられなかった。
そうであってほしい。
だって、今の攻撃は私が出せる中でも、かなり強力な魔法だったんだから。
この場所が土に囲まれていたからこそ、あれほど巨大な手を作り出すことができた。
しかも、ただ押し潰しただけじゃない。
持てる魔力を限界まで注ぎ込み、相手の体を完全に覆った状態で握り締めたんだ。
あれで倒せなかったとしたら、私にはもうあいつを一撃で倒せる手段が残されていない。
もちろん、魔法が全く使えなくなったわけじゃない。
だけど、今の攻撃に耐えられる相手を普通の魔法で倒せるとは思えなかった。
かといって持久戦になれば確実にこちらが不利だ。
相手はクレス以上の身体能力を持ち、こちらの戦い方まで学習している。
シルフとドライアドがどれだけ頑張ってくれても、いつまでも攻撃を避け続けられるわけじゃない。
一度でも捕まってしまえば、それで終わりだ。
私は伸ばしていた手をゆっくりと下ろした。
だけど、魔法を解除することはできなかった。
もし、まだ生きていたら?
土の手を解いた瞬間、再び襲い掛かってくるかもしれない。
そんなことを考えると、どうしても力を緩められなかった。
私は息を潜め、ドッペルゲンガーを包み込んだ巨大な土の手を見つめ続けた。
その中から、何かが動く気配はない。
声も聞こえない。
だけど倒したと断言することもできない。
私は祈るような気持ちで、土の手の内側にいるはずのドッペルゲンガーの様子を窺っていた。




