逢魔が時⑧
「アイラ、呆けてる場合じゃないわよ!」
シルフの鋭い声が耳に飛び込んできた。
「来る!」
続いてドライアドが叫んだ。
私は慌ててドッペルゲンガーへと視線を戻した。
すると、あいつは既に両手で大剣を握り、腰を落として構えを取っていた。
その姿を見た瞬間、背筋に冷たいものが走る。
……あれ? あの構えって、まさか。
「『グランドストンプ!』」
ドッペルゲンガーが叫ぶと同時に、巨大な剣を地面へと叩き付けた。
ドゴォォォンッ!
凄まじい轟音が洞窟全体に響き渡った。
剣が地面に触れた瞬間、足元の土や岩が爆発したかのように砕け散る。
そして、その衝撃は地面を伝わりながら、周囲へと一気に広がっていった。
「っ!」
私は咄嗟に身構えたけど、避けられない!
足元から押し寄せる衝撃波だけじゃなく、砕けた石の礫までが猛烈な勢いで飛んでくる。
しかも、その攻撃は私達だけを狙ったものじゃない。
周囲にいる騎士団の人達も含めて、この空間にいる全員を巻き込もうとしている。
私は両腕を顔の前に上げ、少しでも被害を抑えようと防御の姿勢を取った。
そして、迫り来る衝撃に備えて強く目を瞑る。
次の瞬間、激しい風と共に、何かが砕けるような音が響いた。
バキバキッ!
さらに、無数の石が何かにぶつかる音が続く。
あまりの轟音に、耳が痛くなりそうだった。
だけど……あれ? 痛くない?
あれほど凄まじい攻撃だったのに、体のどこにも痛みを感じない。
それどころか、さっきまで足元にあった地面の感触まで消えていた。
一体、何が起きたんだろう。
私は恐る恐る目を開いた。
すると、目の前には信じられない光景が広がっていた。
私の体が、宙に浮いている。
地面から少し離れた高さで、まるで見えない何かに支えられているかのようだった。
そして、その下ではボロボロになった植物の蔦が、次々と地面へ落ちていく。
千切れた蔦の間には砕けた石がいくつも挟まっていて、どれほど激しい攻撃を受けたのかが分かる。
なるほど、ようやく何が起きたのか理解できた。
どうやらシルフが風の力で私たちを浮かせてくれたらしい。
それと同時にドライアドが植物の蔦を張り巡らせて壁を作り、飛んでくる石の礫から守ってくれていた。
「間一髪ね。」
シルフが小さく息を吐いた。
「危なかった。」
ドライアドも、ほっとしたように呟いた。
「二人ともありがとう、助かったよ!」
私は心からお礼を伝える。
本当に危なかった。
あのまま攻撃を受けていたら、私も無事では済まなかったかもしれない。
二人が咄嗟に動いてくれたおかげで、何とか助かったんだ。
だけど、顔を向けると返ってきたのは、どこか硬い笑顔だった。
「ええ、でも何度もは通じないわ。」
シルフが真剣な表情で答えた。
「今回限り。一度しか使えない。」
ドライアドも静かに頷いた。
……そうだよね。
確かに、今の方法でもう一度攻撃を防げるとは限らない。
あのドッペルゲンガーは、ただ強いだけのモンスターじゃない。
相手の能力や技を模倣するだけでなく、状況に応じて戦い方を変えるだけの知能を持っている。
そんな相手に、私達は防御の手段を見せてしまったんだ。
次に同じ攻撃を仕掛けてくるとしたら、きっと何らかの対策をしてくるだろう。
空中に逃げることを見越して攻撃してくるかもしれないし、植物の壁を破る方法を考えるかもしれない。
少なくとも、同じ方法で何度も助かるとは思わない方が良い。
……それより、他の皆はどうなった?
私は慌てて周囲を見渡した。
洞窟の中には、まだ凄まじい量の土煙が漂っている。
さっきの衝撃で地面が大きく抉られ、外周に並んでいた土の柱や像にも損傷が見られた。
視界が悪く、少し離れた場所にいる人の姿すらはっきりと見えない。
だけど、次第に土煙が薄れていくにつれて、周囲の様子が少しずつ明らかになってきた。
そして、私はその光景を見て言葉を失った。
「うぅ……。」
騎士団の男性が、苦しそうに呻いている。
「ぁ、足が……。」
別の場所からは、女性騎士さんの震える声が聞こえてきた。
……嘘でしょ。
そこには、先ほどまで立っていた騎士団の人達が、全員地面に倒れている姿があった。
ある人は壁際に倒れ込み、別の人は地面に伏せたまま動けずにいる。
鎧には無数の傷が付き、周囲には砕けた石が散乱していた。
おそらく、飛んできた石の礫をまともに受けてしまったんだろう。
しかも、被害はそれだけじゃなかった。
中には、手や足を失っている人までいる。
地面には血が広がり、苦しそうな呻き声があちこちから聞こえてきた。
……ひどい。たった一度の攻撃で、ここまでの被害が出るなんて。
しかも、相手が使ったのはクレスの剣技だ。
本来なら頼もしいはずの味方の技が、今は私達を追い詰めている。
私は唇を噛みながら、必死に頭を働かせた。
どうしよう。このままじゃ、まともに戦える人がほとんどいなくなってしまう。
まずは怪我をした人達を治療しないと。
……そうだ、ヒーラー!
ヒーラーはどこにいるの?
私は急いで周囲を見回した。
今回の部隊には、治療を担当するハイプリーストが同行していたはずだ。
彼女さえ無事なら、まだ立て直せる可能性がある。
私は倒れている騎士団の人達を一人ずつ確認していった。
そして、ドッペルゲンガーから最も離れた場所に、見覚えのある法衣を纏った女性の姿を見つけた。
彼女も地面に膝をついていたけど、幸い意識はあるようだった。
周囲を見回しながら、倒れた仲間達の様子を確認している。
少なくとも、見たところ大きな怪我は負っていないみたいだ。
良かった。彼女が無事なら、まだ何とかなる。
ハイプリーストの治癒魔法なら、重傷を負った騎士団の人達を助けられるはずだ。
まずは彼女を守りながら、負傷者を治療してもらおう。
そうすれば、クレス達も再び戦えるようになるかもしれない。
私はわずかな希望を感じながら、ハイプリーストの女性へと視線を向けた。だけど。
「意外としぶといな。」
ドッペルゲンガーの声が響いた。
私は慌てて振り返った。
あいつは大剣を肩に担ぎながら、周囲に倒れている騎士団の人達を見渡していた。
その表情には、まるで感情が感じられない。
ただ、目の前の状況を確認しているだけのようだった。
まずい。あいつはクレスの剣技を使えるだけじゃない。
人間の言葉を理解し、相手の強さを判断し、戦い方まで考えている。
もし、人間の知識まで模倣しているのだとしたら。
この状況で、次に誰を狙うのかなんて決まっている。
「貴様たちを詰ませてやろう。」
ドッペルゲンガーが、ゆっくりと顔を動かした。
その視線の先にはハイプリースト。
「まずい!」
私は思わず声を上げた。
あいつは、ヒーラーを真っ先に始末するつもりなんだ。
確かに、戦い方としては合理的だと思う。
どれだけ騎士団の人達を傷付けても、ハイプリーストが治療してしまえば再び戦えるようになる。
だけど、治療役さえ倒してしまえば、負傷者はそのまま戦力から脱落することになる。
ましてや、今の騎士団はほとんど全員が倒れている。
ここで彼女まで殺されてしまったら全滅しかねない!
私は反射的に魔力を練り始めた。
今から走って彼女のところへ向かっても、間に合うとは思えない。
だったら、魔法でドッペルゲンガーの動きを止めるしかない。
少なくとも、あいつの注意を引くことができれば、彼女が逃げる時間を稼げるかもしれない。
私は持てる魔力を一気に集中させ、強力な魔法を放つための準備を始めた。
だけど、その瞬間だった。
「む、さっきの攻撃から逃れていたのか。」
ドッペルゲンガーが、こちらを振り返った。
その目が、真っ直ぐに私を捉える。
「アイラ、バカ! 迂闊よ!」
シルフが叫んだ。
「気付かれた!」
ドライアドも焦ったように声を上げる。
……あっ。私はようやく、自分が何をしてしまったのか理解した。
さっきの『グランドストンプ』を防いだ時、私達は土煙に紛れていた。
だから、ドッペルゲンガーも私達が無事だったことには気付いていなかったのだろう。
それなのに、私が魔法を使おうとしたせいで気づかれてしまった。
これは完全に私のミス。
もっと慎重に行動するべきだった。
少なくとも、あいつの注意を引くなら、先にシルフ達と連携するべきだったんだ。
だけど、ハイプリーストが狙われていると気付いた瞬間、そんなことを考える余裕なんてなかった。
彼女を助けなきゃいけない。
その気持ちだけで、反射的に動いてしまった。
でも今さら後悔しても遅い。
ドッペルゲンガーは、もう私を見つけてしまっている。
しかも、その表情が先ほどとは明らかに変わっていた。
ギラリと光る目。
獲物を見つけた猛獣のような、獰猛な視線。
それは、先ほどクレスを狙った時と全く同じもの。
私は練り上げた魔力を維持したまま、ドッペルゲンガーを見つめ返した。
あいつの次の標的は、私になってしまったようだった。




