逢魔が時⑦
「我ハ、番人。コノ迷宮ニ、侵入シテキタ愚カ者タチヲ屠るもの!」
中央のオーブから、再び不気味な声が響き渡った。
先ほどと同じ、洞窟全体を震わせるような低い声だ。
だけど、私はその言葉を聞いて、あることに気付いた。
さっきよりも、喋り方が滑らかになっていない?
最初に聞こえてきた声は、一つ一つの言葉を無理やり繋ぎ合わせているような、随分とたどたどしいものだった。
ところが、今は違う。
言葉を発するたびに発音が安定し、少しずつ自然な喋り方へと変わってきている。
まるで、今この瞬間にも人間の言葉を理解し、覚えているかのようだった。
……いや、ちょっと待って。
もし本当にそうだとしたら?
このモンスターは、今も何かを糧にして成長しているということになる。
言葉を覚えるだけならまだ良い。
だけど、それ以外の能力まで成長しているのだとしたら、話は大きく変わってくる。
そして、そんな特徴を持つモンスターに、私は心当たりがあった。
だとすれば、やっぱりこのモンスターの正体は。
「人型に変化していくわ!」
シルフの声に、私は中央の祭壇へと視線を向けた。
すると、黒く濁ったオーブの輪郭がゆっくりと崩れ始めていた。
球体だったはずの形が歪み、黒い塊となって祭壇の上に広がっていく。
やがて、その一部が上へと伸び始めた。
まるで粘土をこねて人形を作っているかのように、頭と胴体、そして手足が形作られていく。
その光景を見て、騎士団の人達も警戒を強めた。
「何だ、あれは……。」
誰かが小さく呟いた。
だけど私はその問いに答えることができなかった。
だって私の予想が正しければ、あのモンスターが化けようとしているのはおそらく。
「強き力、この中で最も強き者。貴様にしよう。」
先ほどまでのたどたどしさが嘘のように、はっきりとした言葉が響いた。
そして、人の形になりつつある黒い塊の顔に、二つの目が現れる。
その目がギラリと光り、ある人物を捉えた。
……クレスだ。
「……っ!」
クレスも自分が狙われていることに気付いたらしい。
すぐに両手で剣を握り直し、相手の動きに備えて構えを取った。
さすがクレス。
得体の知れない相手を前にしても、判断が早い。
だけど、残念ながら相手の目的は攻撃ではなかった。
黒い塊はクレスに視線を向けたまま、さらに姿を変えていく。
最初は輪郭しかなかった体に筋肉が盛り上がり、長身の逞しい体つきが形作られた。
頭部には金色の髪が生え揃い、黒一色だった体には重厚な鎧が現れる。
その鎧は、位の高い騎士が身に纏うような立派なものだった。
そして、最後に顔の形が整っていく。
鼻筋が通り、口元が形作られ、目元にまで細かな特徴が現れていく。
私はその顔を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
だって、そこに立っていたのは。
「クレスのドッペルゲンガー!」
私の叫び声が、広い空間に響き渡った。
間違いない。
目の前に現れたモンスターは、クレスと瓜二つの姿をしていた。
身長も体格も、金色の髪も、そして顔立ちまでもがそっくりだ。
まるでクレスがもう一人現れたかのようだった。
しかも、その手には大剣まで握られている。
これはまずい。
今考えられる中で、二番目に悪い結果だ。
あいつは、私達の中で一番強いのがクレスだと判断したんだ。
だからこそ、クレスの姿を模倣した。
つまり、あのドッペルゲンガーには、明確に強い相手を選んでコピーする意思があったということになる。
ただ目の前にいる人間の姿を真似するだけのモンスターじゃない。
相手の強さを見極めた上で、自分にとって有利な姿を選んでいるんだ。
……思っていた以上に知能が高いみたいだね。
私は内心で舌打ちした。
だけど、まだ最悪の結果ではない。
そう考えることもできる。
だって、もし私がレーヴァテインを持ったままこの場所に現れていたら?
あいつが私の力を一番強いと判断して、私の姿をコピーしていた可能性だってある。
その上、レーヴァテインまで模倣されていたとしたら。
うん、考えたくもない。
少なくとも、今のところそんな事態は避けられている。
それに、相手がクレスの姿を模倣したということは、こちらには本物のクレスがいるということだ。
本人なら、自分の剣技の特徴や弱点だって理解しているはず。
確かに危険度は上がったけど、決して勝てない相手というわけではない。
私達だって、ただ見ているだけじゃないんだから。
そう考えて、少しだけ気持ちを落ち着かせようとした。
だけど、その考えはすぐに打ち砕かれることになる。
「いくぞ!」
ドッペルゲンガーが、突然声を上げた。
その声までクレスに似ている。
そして、両手で大剣を構えると、一気に地面を蹴った。
「……えっ?」
私は思わず目を見開いた。
速い!
さっきまで祭壇の上に立っていたはずなのに、次の瞬間にはクレスの目の前まで迫っていた。
しかも、その動きには一切の迷いがない。
両手で握った大剣を大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろす。
あれは、クレスが使っているドラゴンスレイヤーだ。
いや、正確にはそれを模倣したものなんだろうけど。
その巨大な剣が、恐ろしい速度でクレスへと迫っていく。
「っ!?」
クレスは咄嗟に剣を構え、攻撃を受け止めようとした。
その反応は、決して遅くなかった。
むしろ、あの距離から突然攻撃されたことを考えれば、驚くほど素早い判断だったと思う。
だけど。
ガァァンッ!
耳をつんざくような金属音が響いた。
次の瞬間、クレスの体が大きく後方へ吹き飛ばされる。
「……っ!」
防御の姿勢は取れていた。
確かに、クレスは剣で相手の攻撃を受け止めていたはずだ。
それなのに、ドッペルゲンガーの一撃はその防御ごとクレスを押し飛ばしてしまった。
クレスの体は地面から浮き上がり、そのまま後方の壁へと叩き付けられる。
ドンッ!
鈍い衝撃音が洞窟内に響き、壁から土埃が舞い上がった。
「クレス!?」
私は思わず叫んだ。
嘘でしょ?
あのクレスが、たった一撃でここまで吹き飛ばされるなんて。
しかも、今の攻撃はただ力任せに剣を振り下ろしただけじゃなかった。
構え方も、踏み込みも、剣の振り方も。
どこかで見覚えがある。
「今のは隊長の剣技!」
騎士団の男性が驚愕したように声を上げた。
やっぱり、あれはクレスの剣技だったんだ。
そして、さらに信じられない言葉が続いた。
「そんな、隊長より速かったわ!?」
女性騎士さんが、信じられないという表情でドッペルゲンガーを見つめている。
……隊長より速かった?
私は改めて、祭壇の前に立つドッペルゲンガーへと視線を向けた。
あいつはクレスの姿を模倣した。
それだけじゃなく、クレスの剣技まで再現している。
だけど、もし本当にクレスより速く動いていたのだとしたら?
ただ姿や技をコピーしただけでは説明がつかない。
もしかして、あいつは模倣した相手の能力を、自分自身の肉体で再現しているんじゃないだろうか。
つまり、クレスの剣技を使える上に、肉体そのものはクレスより強い可能性があるということだ。
……それって、ものすごくまずくない?
クレスは一次職時代でさえ、二次職の冒険者を上回るほどの実力を持っていた。
そのクレスの技を、クレス以上の身体能力で繰り出せる相手。
しかも、あいつにはまだどれほどの力があるのか分からない。
私は土埃の舞う壁際と、目の前に立つドッペルゲンガーを交互に見つめた。
クレスが無事なのかも、まだ分からない。
そして、私達の目の前には、そのクレスを一撃で吹き飛ばしたモンスターが立っている。
もし、私の予想が正しいのだとしたら。
私たちは今、絶体絶命のピンチに立たされていた。




