怪我の功名⑪
そう決意したものの、まだ顔の熱は引いていなかった。
クレスの方を見ようとすると、さっきのお姫様抱っこを思い出してしまいそう。
駄目だ。とりあえず今は、やるべきことに集中しよう。
私は少し俯いたまま、つかつかとセリーちゃんの方へ歩いていった。
「ア、アイラちゃん?」
私が近付いていくと、セリーちゃんが戸惑ったような声を上げた。
さっきの勢いはどこへやら、今はその場に立ち尽くしたまま、私の反応を窺っている。
きっと、まだ怒っていると思われているのかもしれない。
何か言って安心させてあげたいけど、今の私にまともに口が回るとは思えなかった。
だったら、言葉よりも先に行動で伝えよう。
私はセリーちゃんの目の前まで歩み寄ると、何も言わずに両腕を広げた。
そして、そのまま思いっきり抱きついた。
「きゃあ!?」
突然のことに驚いたセリーちゃんの体が、びくっと跳ねた。
ごめんね、びっくりさせちゃったよね。
でも、もう少しだけこのままでいさせて。
私はセリーちゃんの背中に腕を回し、ぎゅっと抱き締めた。
さっきはセリーちゃんに抱きつかれて倒れそうになっちゃったけど、今度は私の方からだ。
もちろん、あんな勢いで飛びついたりはしない。
ちゃんと二人とも立っていられるように、そっと抱き締めている。
私はセリーちゃんの肩口に顔を寄せ、ゆっくりと息を吸い込んだ。
そして、吐き出す。
もう一度、吸って、吐いて。
何度か深呼吸を繰り返しているうちに、ようやく胸の鼓動が落ち着いてきた。
さっきまであんなにドキドキしていたのに、今は少しずついつもの自分に戻っていくような気がする。
すると、最初は驚いて硬直していたセリーちゃんの体からも、ゆっくりと力が抜けていった。
私が何をしたかったのか、伝わったのかな。
やがて、彼女の両手がそっと私の背中に添えられた。
そして、今度はセリーちゃんも私を抱き締め返してくれた。
……ああ、温かいなぁ。
お互いの体温が伝わってくる。
胸元から感じる鼓動も、さっきまでの慌ただしいものとは違って、穏やかで心地良い。
まるで二人の体温と鼓動が一つになったような、不思議な安心感があった。
うん、もう大丈夫だ。
私はセリーちゃんを抱き締めたまま、静かに口を開いた。
「昨日は友達に心配掛けてごめんね。一度悪いことを考えて一人で勝手に落ち込んで。……皆のこと傷つけたよね。ごめんなさい。」
今度はちゃんと言えた。
昨日からずっと伝えたかった、私の心からの謝罪だ。
自分の中で何が起こっていたのか、全部を説明することはできない。
だけど、皆を傷つけてしまったことだけは、きちんと謝りたかった。
すると、セリーちゃんが慌てたように首を横に振った。
「え、違うよ! 私たちが勝手に盛り上がってアイラちゃんを傷つけたんだよ! アイラちゃんは何も悪いことしてない!」
その声には、はっきりとした後悔が滲んでいた。
きっと、昨日のことをずっと気にしてくれていたんだろう。
確かに、皆が少し悪ノリしていたのは事実だと思う。
私とクレスのことを恋人同士みたいに扱って、面白がっていたところもあった。
そして、それがきっかけで私が落ち込んでしまったのも間違いじゃない。
でも、問題はそこじゃないんだよ。
私が本当に苦しくなった理由は、もっと別のところにある。
「違うの。私が皆に今まで失礼な態度を取ってたんだよ。それに気付いて落ち込んでたの。私の大切な人たちに何てこと考えてたんだろうって。」
言葉にすると、また胸の奥がちくりと痛んだ。
本当に失礼なことをしていたと思う。
この世界で生きている人達のことを、私は心のどこかでNPCのように扱っていた。
皆にはそれぞれの人生があって、喜んだり悲しんだり、誰かを大切に思ったりしている。
そんな当たり前のことを、私はどこまで本当の意味で理解していたんだろう。
前世で知っていたゲームの設定や展開を、今も無意識に当てはめてしまっていたんじゃないだろうか。
そう考えると、どうしても自分が許せなかった。
だけど、そんなことをセリーちゃんに話せるはずがない。
自分達のことを作り物の登場人物のように考えていたなんて、口が裂けても言えないよ。
だからこそ、せめて今までの失礼な考えを改めて、皆とちゃんと向き合いたかったんだ。
私がそう伝えると、セリーちゃんはすぐには答えなかった。
「うーん……。」
私の言葉を確かめるように、少し考え込んでいる。
何か言おうとして口を開きかけたけど、また閉じてしまった。
逡巡した後、セリーちゃんは何かを決めたように小さく頷いた。
そして、私の方を見て口を開いた。
「それ、たぶん勘違いだよ。」
「勘違い?」
思わず聞き返してしまった。
何が勘違いなんだろう。
私が今まで皆に失礼なことを考えていたのは事実なのに。
すると、セリーちゃんは迷いのない声で答えた。
「うん、だってアイラちゃんは私の人生の中で一番の友達だもん。」
その言葉は、驚くほど力強かった。
まるで疑う余地なんて最初からないとでも言うように、はっきりと言い切ってくれた。
私は思わず言葉を失った。
セリーちゃんにとって、私は人生で一番の友達。
そんなふうに思ってもらえていたんだ。
嬉しいけど、同時に少しだけ胸が苦しくなる。
そんな大切な友達に対して、私はあんなことを考えていたんだから。
「多分、嫌なことされて心が暗い方に引き摺られていただけで、普段のアイラちゃんはそんなこと考える人じゃないよ。」
セリーちゃんは私を安心させるように、優しく続けた。
……そんなこと、ないよ。
現に私は、この世界の人達をどこかでゲームの登場人物のように見ていた。
それは昨日突然考え始めたことじゃない。
ずっと心の奥に残っていた、前世の記憶から来る認識なんだ。
だから、ただ気持ちが落ち込んでいただけなんて言えない。
私はそのことを否定しようと口を開きかけた。
だけど、その前にセリーちゃんが尋ねてきた。
「それともアイラちゃんは私の友達じゃないの?」
「っ!」
はっとして顔を上げた。
そこには、少しだけ不安そうに笑うセリーちゃんの顔があった。
笑顔を浮かべてはいるけど、その瞳にはどこか心細そうな色が見える。
まるで、私の返事を待つのが怖いとでもいうような表情だった。
……ああ。何を考えているんだろう、私。
自分が今までどう思っていたかなんて、そんなことばかり気にして。
目の前には、こうして私のことを大切な友達だと言ってくれる女の子がいるんだよ。
それなのに、私はまだ自分のことばかり考えていた。
「友達だよ!」
気付いた時には、声が出ていた。
自分でもびっくりするくらい、大きな声だった。
考えてから答えたわけじゃない。
言葉を選ぶ余裕もなかった。
ただ、セリーちゃんにそんな不安を抱かせたくなくて、反射的に叫んでいたんだ。
……あれ? 何だか、前にもこんなことがあったような気がする。
そうだ。パパに怒った時だ。
あの時も、頭で考えるより先に言葉が飛び出していたんだっけ。
自分でも驚くくらい自然に、心の奥にあった気持ちが声になっていた。
今も、きっと同じなんだと思う。
私はセリーちゃんの友達だ。
そんなの、考えるまでもないことじゃない。
「うん、そうだよね。」
その瞬間、セリーちゃんの表情がぱっと明るくなった。
さっきまで浮かべていた不安そうな笑顔が消えて、ほにゃっと頬が緩む。
目元まで柔らかくなって、本当に嬉しそうに笑ってくれた。
……ああ、よかった。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥に残っていた苦しさが少しだけ和らいだ気がした。
私が何を考えていたとしても、セリーちゃんが私を大切な友達だと思ってくれていることは変わらない。
そして、私もセリーちゃんのことを大切な友達だと思っている。
それだけは、絶対に間違いない。
私はもう一度、セリーちゃんの背中に回した腕へそっと力を込めた。
すると、彼女も嬉しそうに抱き締め返してくれる。
その温もりが、今は何よりもありがたかった。
目の前で笑っているのは、私の大切な友達。
そして、その笑顔は私が今まで見てきた中で、何よりも綺麗な友達の笑顔だった。




