怪我の功名⑩
「ごめんアイラちゃん、早く謝んなきゃって思ったらつい……。」
すぐ近くから、セリーちゃんの申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
どうやら、さっきの勢い余った抱擁について謝ってくれているらしい。
「セリー! あんた、気をつけなさい。」
今度はシルフの声だ。
珍しく少し厳しい口調で、セリーちゃんに注意している。
うん、確かに今のは危なかったよね。
シルフが魔法を使ってくれなかったら、二人揃って地面に倒れ込んでいたところだった。
「大丈夫だったか?」
今度は頭のすぐ上から、クレスの心配そうな声が降ってきた。
「……。」
「アイラ、おーい?」
ドライアドまで私に呼び掛けている。
「……。」
皆が何かを話している。
私に声を掛けてくれていることも、何となく分かっている。
だけど、返事ができない。
というより、体がまったく動かない。
まるで石にでもなってしまったかのように、その場で固まっていた。
なぜか? 今、私の目の前にはクレスの顔があるから。
それも、ものすごく近い距離に。
さっきからずっと目と目が合ったままで、どうしても視線を逸らせない。
しかも、私はクレスに抱き上げられている。
背中と膝の裏をしっかり支えられていて、体が彼の胸元にぴったりと寄り添っている状態だ。
いくら何でも近すぎるよ!
いつもなら少し見上げないと目が合わないくらい身長差があるのに、今はほとんど同じ高さに顔がある。
少し顔を動かしただけで、もっと近付いてしまいそうな距離だった。
クレスの息遣いどころか、心臓の音まで聞こえてきそうだ。
ドクン、ドクン。
……あれ? 本当に聞こえている?
さっきから、やけに大きな鼓動が響いているような気がする。
もしかして、クレスも緊張しているのかななんて思ったけど。
……違う。これ、私の心臓の音だ。
そう気付いた瞬間、余計に意識してしまった。
ドクン、ドクン、ドクン。
あっ、何だか速くなってきた。
さっきまでだって十分早かったのに、今はもう胸の中で暴れているみたいだ。
何これ、どうしてこんなにドキドキするの?
クレスに抱き上げられただけだよね?
危ないところを助けてもらっただけなんだから、普通にお礼を言えば良いはずなのに。
それなのに、頭が全然働かない。
おまけに、顔まで急に熱くなってきた。
頬から耳まで、かぁっと熱が広がっていく。
うぅ、まただ。さっき手の甲にキスをされた時もそうだったけど、今日はどうしてこんなに顔が熱くなるんだろう。
それに、今はあの時よりもずっと熱い。
クレスの腕に包まれているような感覚があって、体のどこに力を入れれば良いのかさえ分からなくなってくる。
……あれ? そもそも、私ってここに何をしに来たんだっけ。
何か大切な用事があったはずなんだけど。
えっと、確か皆とお話をして、それから……。
「――ひゅ。」
口から、何とも情けない音が漏れた。
あっ、駄目だ。
もう頭の中が限界かもしれない。
ギャグ漫画だったら、きっと今頃、頭がボンッと破裂して煙が噴き出しているところだろう。
それくらい、私の頭はものすごい勢いで熱くなっていた。
思考のボルテージが最高潮に達して、何も考えられない。
「ど、どうしたアイラ?」
クレスの声が、すぐ近くから聞こえてきた。
ああ、そんなに心配そうな顔で見つめないで。
余計に恥ずかしくなっちゃうから。
とにかく、この状態から抜け出さないと、まともに話すことさえできそうにない。
私は必死に言葉を探した。
「……下ろして。」
ようやく絞り出せたのは、それだけだった。
自分でも驚くほど小さな声で、ぽそりと呟いてしまった。
だけど、クレスにはちゃんと聞こえたらしい。
「ああ、すまない。急だったとはいえ、異性を突然抱き上げるなんて無礼だったな。」
……あっ、違う。
別に怒っているわけじゃないんだよ。
むしろ、助けてもらったんだから感謝しているくらい。
ただ、今の私には刺激が強すぎるというか、何というか。
うぅ、そんなこと説明できるわけないじゃない。
「違う、大丈夫だから。早く下ろして。」
何とかそれだけ伝えた。
もうクレスの顔をまともに見ることができない。
さっきまで目が合ったまま動けなかったのに、今度は恥ずかしくて顔を上げられなくなってしまった。
しかも、手足から少しずつ力が抜けていく。
自分の体なのに、何だか思うように動かせないんだ。
心臓はまだドキドキしているし、頭の中はふわふわしたまま。
本当に、どうしちゃったんだろう。
クレスはそんな私の様子を見て、少しだけ腕に力を込めた。
そして、体勢を崩さないようにゆっくりと膝を曲げ始める。
まるで小さなパピー犬でも抱いているかのような、丁寧な扱いだった。
……いや、そんなに慎重にしなくても大丈夫なんだけど。
私は別に赤ちゃんじゃないんだよ?
そう思う一方で、落とさないように大切に扱ってくれていることが何だか嬉しくもある。
クレスは私の背中を支えたまま、足が地面に届く高さまでそっと下ろしてくれた。
足の裏に地面の感触が戻ってくる。
それを確認してから、ようやく背中と膝の裏に回していた腕が離れた。
……ふぅ。何とか地面に戻ってこられたみたい。
私はクレスの首に回していた両腕を、ゆっくりと下ろした。
これで、ようやくいつもの状態に戻れたはずなんだけど。
……駄目だ。全然顔が上げられない。
恥ずかしすぎて、どうしてもクレスの方を見られない。
私は下唇をきゅっと噛み締めながら、俯いてしまった。
頬はまだ熱いし、きっと顔も真っ赤になっていると思う。
こんな姿、誰にも見られたくない。
特にクレスには、絶対に見られたくないよ。
……って、違う違う! 何をやっているの、私!
これじゃあ、昨日の焼き直しになっちゃう!
昨日だって、色々と考えすぎて一人で落ち込んで、皆に心配を掛けてしまったんだよね。
それなのに、またこうして黙り込んで俯いていたら、皆がどう思うか分からない。
せっかく仲直りするために戻ってきたのに、これじゃあ本末転倒だ。
私はぶんぶんと首を横に振った。
しっかりしなさい、アイラ。
恥ずかしいのは分かるけど、今はそんなことをしている場合じゃないでしょ。
さっきテントの前で決意したばかりじゃない。
皆とちゃんと向き合って、昨日のことを謝るって。
クレスに助けてもらったことだって、落ち着いてからお礼を言えば良いんだから。
まずは目の前のことに集中しなきゃ。
私は胸の前でぎゅっと拳を握り、もう一度自分に言い聞かせた。
そうだ。私はここに、皆に謝りに来たんだから。




