怪我の功名⑨
テントの前まで来ると、中から何人かの話し声が聞こえてきた。
どうやら、皆もう起きているみたいだね。
声の大きさからすると、普通に会話をしているようだけど、何を話しているのかまでは聞き取れない。
もしかして、私のことを話しているのかな。
……いやいや、ここまで来てそんなことを考えても仕方ないよね。
私は入り口の前で立ち止まり、そっと目を閉じた。
まずは気持ちを落ち着かせよう。
昨日のことはちゃんと謝る。
それから、皆がどう思っていたのかを聞いて、私の気持ちも伝える。
うん、やることは決まっているんだから、何も難しく考える必要はないはずだ。
数秒ほど目を閉じて呼吸を整えると、私は意を決して大きく目を開いた。
よし、覚悟は決まった。
後ろを振り返ると、クレスとシルフ、ドライアドの三人が私を見守ってくれていた。
私が決意を込めた目で見つめると、三人とも静かに首を縦に振ってくれる。
……うん、大丈夫。
一人じゃないんだから。
よし、開けるぞ。
そう思って入り口の布へ手を伸ばしたんだけど。
……お、重い。
別に布そのものが重いわけじゃない。
ただ、持ち上げようとした手が鉛のように重く感じるんだ。
さっきまであんなに意気込んでいたのに、いざ中へ入ろうとすると急に緊張してきちゃった。
もう、ここまで来て何を怖がっているんだろう。
私は心の中で自分に喝を入れると、思い切って入り口の布を捲り上げた。
「た、ただいま~。」
少しだけ声が上ずってしまった。
うぅ、もっと普通に挨拶するつもりだったのに。
私は恐る恐るテントの中を覗き込んだ。
すると中にいたセリーちゃん達の動きが、一斉に止まった。
さっきまで聞こえていた話し声も、まるで誰かが音を消してしまったかのように途絶える。
そして、全員の視線が私へ集中した。
……えっと何、この空気。
誰も何も言わない。
ただ、皆がじっと私を見つめている。
まるで時間そのものが止まってしまったかのような光景だった。
うわぁ、何だか怖い。
これ、ホラー映画でよく見る場面に似ていない?
部屋に入った途端、それまで普通にしていた人達が一斉に動きを止めて、無言でこちらを見つめてくるやつ。
あの後、突然全員が襲い掛かってきたりするんだよね。
……いやいや、そんなことあるわけないでしょ。
相手はセリーちゃん達なんだから。
分かっているんだけど、誰も口を開いてくれないせいで、何とも言えない気まずさが漂っている。
せめて「お帰り。」くらい言ってくれたら、もう少し話しやすいんだけどな。
でも、ここで黙っていても何も始まらない。
私の方から切り出さなきゃ。
「え、えっと、心配掛けてごめんね。ちょっとだけ考え事をしたくて……。」
できるだけ穏やかな声で話し掛ける。
昨日は皆を避けるような態度を取ってしまったけど、別に嫌いになったわけじゃない。
ただ、どうしても一人で考えたいことがあったんだ。
まずはそれを伝えようと思った。
だけど、最後まで言い終えるよりも早く。
「アイラちゃん!」
「えっ?」
セリーちゃんが大きな声を上げた。
その瞬間、止まっていた時計の秒針が再び動き出したように、テントの中の空気が一気に変わった。
さっきまで固まっていたセリーちゃんが、突然こちらへ駆け出してきていた。
しかも、ものすごい勢いで。
「うわぁ!?」
ちょっ、ちょっと待って!
速い、速いよ!
私の目には、まるで猪が一直線に突進してくるように見えた。
思わず横へ避けようとしたけど、すぐに思いとどまる。
……いや、ここで避けたら駄目だよね。
せっかくセリーちゃんが駆け寄ってきてくれているのに、私が逃げたらどう思われるだろう。
昨日あんなことがあったばかりなんだから、また避けられたと勘違いさせてしまうかもしれない。
それだけは絶対に避けたい。
よし、ここは甘んじて受け止めよう……なんて考えたけど。
そもそも、力持ちなペドラーの瞬発力をハイサモナーの私が避けられる道理なんてないんだよね。
考えるまでもなく、結果は決まっていたのかもしれない。
避けようとしても、避けなかったとしても、きっと訪れる結末は同じだったんだろう。
「わわわっ!」
次の瞬間、セリーちゃんが勢いよく抱きついてきた。
どんっ!
うわっ、すごい衝撃!
抱きつかれたというより、完全にタックルされたような勢いだった。
私の体が後ろへ押し倒され、足が地面から離れそうになる。
咄嗟に踏ん張ろうとしたけど、まるで歯が立たなかった。
ええっ、全然無理!
ちっとも踏ん張れないんだけど!
セリーちゃんの勢いはまったく衰えず、私達は抱き合ったまま後ろへ倒れ込んでいく。
あっ、これ駄目なやつだ。
このままだと、二人揃って地面に激突しちゃう!
私は反射的に目を閉じ、衝撃に備えた。
ところが。
「……あれ?」
いつまで経っても、予想していた衝撃がやってこない。
それどころか、体がふわっと軽くなったような感覚があった。
倒れ込む勢いが急に弱まり、まるで柔らかい何かに包まれているような不思議な浮遊感が生まれる。
私は恐る恐る目を開いた。
すると、すぐ近くから聞き慣れた声がした。
「ふぅ、危なかったわね。」
シルフだ。
見ると、彼女がこちらへ手を向けていた。
どうやら、間一髪のところで魔法を使ってくれたらしい。
私とセリーちゃんの体がふわりと浮かび、地面へ倒れ込む勢いがすっかり殺されている。
うわぁ、助かったぁ。
あのままだったら、二人とも痛い思いをしていたところだよ。
さすがシルフ、こういう時は本当に頼りになるね。
だけど、安心したのも束の間だった。
浮き上がった体がゆっくりと下り始める。
セリーちゃんは私に抱きついたまま体勢を崩していたけど、そこへドライアドが素早く近付いた。
「こっち。」
ドライアドがセリーちゃんの体をしっかりと受け止める。
そのおかげで、セリーちゃんは地面に倒れることなく済んだみたいだ。
よかった。
……って、あれ?
それじゃあ私は?
そう思った瞬間、背中に誰かの腕が回された。
同時に、膝の裏にも別の腕が差し込まれる。
「わっ!」
ふわりと体が持ち上がった。
思わず反射的に、何か掴まれるものを探して手を伸ばす。
すると、すぐ近くにあった首元へ両腕を回していた。
……あれ?
この感触。それに、この高さ。
何だか見覚えのある顔が、すぐ目の前にあるんだけど。
恐る恐る顔を上げると、そこにはクレスがいた。
私の背中と膝の裏を両腕で支え、軽々と抱き上げている。
私はというと、彼の首に両腕を回したまま、すっかり体を預けてしまっていた。
……えっと。ちょっと待って。これって、もしかして。
私は自分の体勢をもう一度確認した。
背中を支える腕と膝の裏を通る腕。
そして、クレスの首に回された私の両腕。
うん、間違いない。
そこには、見事なお姫様抱っこが完成していた。




