怪我の功名⑥
そんなことを考えているうちに、会話が一段落してしまった。
クレスも騎士団の人達も、もう謝罪について話すことはなさそうだ。
何となく皆の間に静かな時間が流れる。
……うん、話すことも無くなったようだし、そろそろお暇した方が良いかな。
私も朝の準備をしなきゃいけない。
これから探索に向かうことを考えれば、いつまでもここで立ち話をしているわけにはいかないよね。
それに、騎士団の人達も訓練の途中だった。
私が来たせいで中断させてしまったみたいだし、これ以上邪魔をするのも申し訳ない。
会話が途切れた今がちょうど良い頃合いだろう。
「皆さんも、私のことで心配を掛けてしまい申し訳ありませんでした。今日からの探索、頑張りましょう。」
そう言って、私は皆に向かってにこっと微笑み掛けた。
昨日はあんな態度を取ってしまったけど、今日はちゃんと笑顔で接したい。
そう思っていたんだけど。
「おぉ……。」
なぜか、若い騎士の人達が目を大きく見開いていた。
中には、ぽかんと口を開けたまま固まっている人までいる。
……あれ? 私、何か変なことを言ったかな。
ただ挨拶をしただけなんだけど。
不思議に思って、騎士達の方へ視線を向けようとした。
ところが、その間にすっとクレスが割って入ってきた。
「少しだけアイラと話があるから、各自、自主練をしておくように。」
「は、はい!」
クレスの指示に、騎士団の人達が慌てて返事をする。
そして、彼は私の方へ向き直ると、穏やかな声で続けた。
「……テントまで送っていこう。」
「あっ、ありがとうございます。」
こんな時でもクレスは紳士的だね。
私が帰ろうとしているのを察して、わざわざ送ってくれるなんて。
もっとも、テントまでそれほど距離があるわけじゃないんだけど。
私一人でも迷わず帰れるし、危険な場所を通るわけでもない。
だから、本当なら遠慮しても良いところなんだろうけど。
……うーん。そういえば、貴族の男性からエスコートを申し出られた時って、どうするのが正しいんだろう。
私は平民だから、貴族の細かい作法なんてほとんど知らない。
でも、せっかくの申し出を断ったら、相手の誇りを傷つけてしまう可能性もあるよね。
ましてや、相手は侯爵家の嫡男であるクレスだ。
本人は気にしないかもしれないけど、ここは素直にお願いしておいた方が良さそうだ。
「よろしくお願いします。」
私がそう答えると、クレスは小さく微笑んだ。
そして、自然な動作で私の手を取った。
……あれ? 手を引いて連れていってくれるのかな。
そんなことを考えた、次の瞬間だった。
クレスが私の手をそっと持ち上げ、その甲へ顔を近付けた。
そして、ちゅっ。
「へ?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
今、何をされたの?
手の甲に、何か柔らかいものが触れたような気がする。
ほんの一瞬だけだったけど、確かに温かい感触が残っている。
……いや違う。何をされたのかなんて、本当はちゃんと分かっている。
手の甲にキスをされたんだ。
そう、キス。クレスが、私の手に。
頭の中では、今起こった出来事を正確に理解できている。
言葉にすることだってできる。
ただ、その事実に感情がまったく追いついていなかった。
「~~~!?」
声にならない声が喉の奥から漏れた。
次の瞬間、顔が一気に熱くなっていく。
頬の血管が広がって、血液が勢いよく流れ込んでくるような感覚があった。
耳まで熱い。
きっと今の私、ものすごく顔が赤くなっているんだろうな。
心臓も何だか落ち着かないし、頭の中までふわふわしている。
えっ、えっ、ちょっと待って。
これって貴族の挨拶?
それとも、女性をエスコートする時の普通の作法なの?
いや、そういう文化があることくらいは知っているけど、実際に自分がされるなんて思ってもいなかったんだけど!
私は口をぱくぱくと動かしながら、その場に固まってしまった。
何か言わなきゃと思うのに、言葉が出てこない。
そんな私の様子を見て、クレスが少しだけ悪戯っぽく笑った。
「私の提案にお許しをいただき、身に余る光栄に存じます。それでは参りましょうか、姫。」
ひ、姫!? 今度は姫って言った!?
さっきまで普通に話していたのに、急にこんなことをされたらどう反応すれば良いのか分からない。
クレスは私の混乱など気にする様子もなく、片方の腕を軽く曲げた。
そして、私の手をその肘の辺りへ導く。
どうやら、そこに手を添えて歩くらしい。
「このまま歩いてくれ。」
「は、はい。」
私は言われるがままに、クレスの腕へ手を添えた。
本当なら、もう少し落ち着いて対応したかったんだけど。
不意打ちを受けたせいで、すっかり思考が停止してしまっている。
クレスが指示してくれることに従うので精一杯だ。
周囲の人達が何やらこちらをちらちらと見ていたけど、そんなことに気付く余裕さえなかった。
こうして私は、クレスにエスコートされながらテントへ向かって歩き始めた。
歩き出してみると、クレスの歩く速度は思っていたよりもずっとゆっくりだった。
私の歩幅に合わせてくれている。
クレスは私よりもずっと背が高いし、普段ならもっと大きな歩幅で歩くはずだ。
それなのに、今は私が無理なく歩けるように、自然な速度で足を進めている。
こういうところも、やっぱり気遣いができる人なんだなぁ。
……って、違う違う。
今はそんなことを冷静に分析している場合じゃないよ。
私、クレスの腕に手を添えて歩いているんだよね?
それも、ついさっき手の甲にキスをされたばかりなのに。
うぅ、思い出したらまた顔が熱くなってきた。
手を添えている腕から、彼が歩くたびにわずかな動きが伝わってくる。
隣には背の高い男性がいて、その人に歩調を合わせてもらいながら、一緒に歩いている。
何だろう、この感じ。
すごく恥ずかしいのに、嫌な気持ちはしない。
むしろ、少し落ち着くような、不思議な感覚があった。
さっきから心臓は落ち着かないし、頭の中もふわふわしているのにね。
……こんな経験、アイラとして生きるようになってから一度もなかったな。
男性と並んで歩くこと自体は、もちろん何度もある。
クレスとだって、これまで何度も一緒に行動してきた。
だけど、こうして腕を取って、女性として丁寧にエスコートされるなんて初めてだ。
だから、どう振る舞えば良いのか分からない。
何を話せば良いのかも分からないし、どこを見て歩けば自然なのかさえ分からなくなってくる。
うーん、何かに似ている気がする。
そうだ。前世で初めて彼女ができた時のことを、ふと思い出した。
あの頃、初めて二人でデートに出掛けた時も、こんなふうに緊張していたっけ。
隣を歩く彼女の手を繋いでも良いのか分からなくて、ずっと悩んでいたんだよね。
手を伸ばそうか、やっぱりやめようか。
そんなことばかり考えて、会話の内容まで頭に入らなくなっていた。
……あれ? でも、今の私は手を繋ぐ側じゃなくて、エスコートされる側なんだよね。
しかも、相手は男性。
前世とは立場も性別も違うのに、どうしてあの時と似たような気持ちになるんだろう。
考えれば考えるほど、よく分からなくなってくる。
ただ、一つだけ分かることがあった。
私は今、クレスとこうして歩いていることを、少なくとも嫌だとは思っていない。
それどころか、隣にいてくれることに少し安心している自分がいる。
……うぅ、何だか余計に恥ずかしくなってきた。




