怪我の功名①
「ん……。」
どこからか、穏やかな寝息が聞こえてくる。
一人だけじゃない。
すぐ近くからも、少し離れたところからも、規則正しい呼吸の音が聞こえていた。
あれ、私以外にも誰かいるの?
ゆっくりと目を開け、掛け布団から顔を出す。
ぼんやりとした頭のまま上半身を起こすと、いつの間にかセリーちゃん達が眠っていた。
皆、それぞれの寝床で気持ちよさそうに寝息を立てている。
どうやら私は、あの後いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
色々と考えているうちに泣いてしまって、そのまま疲れて寝ちゃったのかな。
最後に何を考えていたのか、少し曖昧になっている。
だけど、胸の奥に残っている重たい感覚だけは、眠る前と何も変わっていなかった。
皆の寝顔を見ていると、何だか申し訳ない気持ちになってくる。
特にセリーちゃんには、さっき心配そうに声を掛けてもらったのに、まともに返事すらできなかった。
ちゃんと謝らなきゃいけないんだけど……。
今はまだ、顔を合わせる勇気が出ない。
私は皆を起こさないように、そっとベッドから足を下ろした。
足音を立てないように気を付けながら、静かにテントの出入口へ向かう。
そして、布を少しだけ持ち上げ、外へ出た。
……明るい。
目の前には、相変わらず明るい空が広がっていた。
そういえば、ここは普通の世界とは違うんだったね。
今が何時なのか気になって時計を確認すると、針は午前二時を指していた。
もうそんな時間なんだ。
聞いていた通り、この異次元空間では夜になっても空が暗くならないらしい。
時計を見なければ、今が深夜だなんてとても思えない。
空はこんなにも明るいのに、私の心はまだ暗いままだった。
眠れば少しは気分が晴れるかと思ったけど、そんなに簡単にはいかないみたい。
今は、できれば知り合いと顔を合わせたくない。
皆が嫌いになったわけじゃないし、避け続けるつもりもない。
ただ、もう少しだけ一人でいたかった。
そういえば、シルフとドライアドはどこへ行ったんだろう。
テントに戻った時には外にいてくれたけど、今は二人の姿が見当たらない。
喚んでみようかな。
そう考えたものの、すぐに思い直した。
二人には悪いけど、今は顔を合わせるのも少し億劫だ。
何かあれば向こうから来てくれるだろうし、今はそっとしておこう。
周囲を見渡すと、あれだけ大勢いた人達の姿も、今はまばらになっていた。
きっと、ほとんどの人が眠っている時間なんだろう。
昼間はあんなに賑やかだったのに、今はしんと静まり返っている。
これなら、誰にも気付かれずに少し散歩できるかもしれない。
私は物音を立てないように気を付けながら、そっとテントから離れた。
人のいる場所を避け、なるべく目立たないように歩いていく。
別に悪いことをしているわけじゃないんだけど、今は誰かに声を掛けられるのも嫌だった。
しばらく進むと、少し離れたところに小高い丘が見えてきた。
あそこなら周囲を見渡せるし、人も少なそうだね。
私はその丘へ向かい、ゆっくりと斜面を登っていった。
それほど高い丘ではなかったので、頂上まではすぐに辿り着いた。
周囲に誰もいないことを確かめてから、地面へ腰を下ろす。
「ふぅ……。」
顔を上げると、どこまでも明るい空が広がっていた。
雲の様子も、空の色も、まるで昼間のようだ。
だけど、ここには風が吹いていない。
草木を揺らす音もなく、空気そのものが止まってしまったような静けさがある。
明るいのに、どこか不気味。
普通ならこんな時間には暗闇が広がっているはずなのに、ここでは何も変わらないんだ。
何だか、時間の感覚までおかしくなってしまいそうだね。
私はしばらく空を眺めていたけど、やがて小さく息を吐いた。
そういえば、この後は私も調査に協力するんだった。
皆が目を覚ましたら、いよいよレイディアントとの戦いに向けて動き始めることになる。
私だって、できる限りのことをしなきゃいけない。
それは分かっているんだけど……。
どうしても、やる気が出てこなかった。
「はぁ、しっかりしなきゃいけないのに。」
今度は口から溜息が漏れた。
私は両膝を抱えるようにして座り直し、その膝へ顔を埋めた。
目を閉じると、またさっきまで考えていたことが頭の中を巡り始める。
クレスのこと。
セリーちゃん達のこと。
そして、この世界で生きる人達に対する、私自身の向き合い方。
考えれば考えるほど、嫌なことばかり浮かんでくる。
……やめよう。
こんなの、ちっとも建設的じゃない。
悪いことばかり考えていたら、どこまでも沈んでいってしまいそうだ。
今すぐ答えが出せないことを、無理に考え続けても仕方ないよね。
それなら、もっと今の私にできることを考えよう。
そうだ、この後のレイディアントとの戦いについて整理しておこうかな。
私は膝から顔を上げ、頭の中でネームレスオンラインのイベントを思い返した。
まず、討伐隊が向かうことになるのは、現在調査中の洞窟だ。
ゲームでは『デーモンケイブ』と呼ばれていた場所だね。
そういえば、作中では魔王がいる洞窟としか説明されていなかった気がする。
デーモンケイブという名前は、ゲーム上での固有名詞なのかな。
まあ、呼び方については今はどうでも良いか。
問題は、その洞窟の中にいるボスだ。
デーモンケイブのボスは、いわゆるドッペルゲンガー。
挑戦しているパーティメンバーのうち、一人とまったく同じ姿になって現れる特殊な敵だった。
しかも、ただ姿を真似するだけじゃない。
コピーした相手の職業特性まで再現してくるんだよね。
戦士なら戦士、魔法使いなら魔法使いといった具合に、対象となった人物の職業に応じた能力を持って出現する。
ゲームではそういう仕組みだったけど、現実となったこの世界ではどうなるんだろう。
もし、コピーされた人物が持っている力を、すべて再現できるとしたら?
例えば、私がコピーされた場合。
……いや、それはちょっと洒落にならないかもしれない。
私のGM権限まで再現されるかどうかは分からないけど、万が一そんなことになったら大変だ。
クレスだって、周りが二次職以下ばかりなのにグランドナイトに転職している。
そんな人間が敵として現れたら、相当厄介なことになるだろう。
それに、マリスがコピーされた場合はどうなる?
私やクレスがコピーされるよりも大きな被害が出ることは確実だろう。
その時にマリスが戦ってくれなかったら私がレーヴァテインを持って戦うしかない。
うーん、これは要注意だね。
ゲームでは対処法を知っていれば何とかなる相手だったけど、現実でも同じように戦えるとは限らない。
特に、誰の姿をコピーするか分からないというのが厄介だ。
コピーされる相手ができるだけ経験の浅い人間であることを願おう。
そして、そのドッペルゲンガーを倒して洞窟を抜けると、次に待っているのは森。
こちらもゲームでは『デーモンフォレスト』と呼ばれていた。
自然豊かな森なんだけど、ただの森じゃない。
いわゆる迷いの森になっていて、正しい道を進まなければ奥へ辿り着けない仕組みだった。
そして、その森にもボスがいる。
デーモンフォレストのボスは、何とレイディアントと同じ姿をした悪魔。
初めてプレイした人なら、きっとそこで本物のレイディアントが現れたと思うだろうね。
実際、ゲームでも最初はそう思わせるような演出になっていた。
だけど、あれはレイディアント本人じゃない。
設定上は、レイディアントが新しい肉体へ生まれ変わる際に捨てた、それまでの肉体に別の魂が宿った存在だった。
つまり、見た目が同じだけじゃなく、肉体そのものがレイディアントのものなんだ。
当然、その肉体に備わっている魔力だって強力なはず。
使い手が違うとはいえ、油断できるような相手じゃない。
ゲームでは中ボスという位置付けだったから、そこまで苦戦した記憶はないんだけどね。
でも、それはあくまでゲームの話だ。
現実になったこの世界では、敵の強さがゲーム内の難易度どおりに収まる保証なんてない。
むしろ、あれほどの肉体を持った存在が弱いはずもないだろう。
ここも十分に警戒しておいた方が良さそうだね。
そして、その森を抜けた先にあるのが、いよいよレイディアントの居城だ。
ファンタジーではお馴染みの魔王城。
そこには、もはや魔王から魔神とも呼べる存在へと昇華されたレイディアントが待ち構えている。
ゲームのストーリーでは、そこでレイディアント率いる軍勢と討伐隊が全面的に激突することになっていた。
大勢の敵味方が入り乱れる、大規模な決戦だ。
そして、最後にはプレイヤー達の手によってレイディアントが倒される。
だけど、それで終わりじゃない。
その後、女神ガイアが降臨するんだ。
そして、ガイアの手によってレイディアントは完全に消滅する。
確か、そういうストーリーだったはず。
ゲームのイベントとしては、かなり大掛かりな内容だったんだよね。
洞窟を抜けて、森を進み、最後に魔王城で決戦。
改めて考えると、今回の討伐隊がこれから進む道のりは相当長い。
それに、ゲームでは描かれていなかった部分が、この世界ではどうなっているのかも分からない。
……あれ? そういえば、少し気になることがある。
異次元へ身を隠した後のレイディアントは、ゲームのストーリーでは世界の色々な場所で暗躍していたはずだ。
各地で事件を起こしたり、裏から人々を操ったり。
そういう出来事がいくつもあったと記憶している。
だけど、今のところ私の耳には、そうした話がほとんど届いていない。
どうしてだろう。
私の知らないところで誰かが解決してくれたのかな。
それとも、この世界ではそもそも事件が起こらなかった?
あるいは、今もどこかで何かを企んでいるのかもしれない。
答えは分からない。
私がすべての出来事を把握しているわけじゃないし、情報が届いていないからといって何も起きていないとは限らない。
だからといって、ここで一人で考え続けても答えは出ないだろう。
分かっているのは、もうすぐレイディアントとの決戦が始まるということだけだ。
今はほとんどの人が眠っているけど、皆が目を覚ましたら討伐隊は再び動き始める。
その先には、ゲームで知っている以上の危険が待っているかもしれない。
名前も出ない人物がどこでどう命を落としたかなんてプレイヤーには知る由もなかったから。
私はもう一度、明るい空を見上げた。
こんなにも静かで、穏やかに見える場所なのに。
この先では、大勢の人達が命を懸けて戦うことになるんだ。
私も、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
そう思いながらも、胸の奥に残る重たい感覚は、まだ完全には消えてくれなかった。




