アイラ先生のムキムキパワーレベリング⑨
それからも細い崖や溶岩の落ちた道など、危険な足元に気を付けてダンジョンの奥へ進んでいく。
場所によっては、人一人が通るだけでも精一杯なほど道幅が狭くなっている。
少し横を見れば、その先には真っ赤な溶岩。
足を滑らせれば大怪我では済まない場所ばかりだ。
ゲームの頃なら多少足場が悪くても、足を滑らせるようなことは無い。
だけど今は自分の足で歩いている。
岩の僅かな凹凸や、熱によって脆くなった足場まで気にしながら進まなければならない。
こういうところを歩いていると、モンスターと戦うことだけがダンジョン攻略ではないのだと嫌でも実感させられる。
「私やドライアドが踏み外した時はシルフの魔法で私を浮かせてね。」
「任せなさい。」
万が一の保険もちゃんと用意しておく。
常時お願いするのは私の経験にも繋がらないので、ギリギリまでは使用しない。
「ん?」
足を踏み外さないように慎重に足元を見ていると、少し離れたところに黒い影が見えた。
ヘルハウンドだ。
さっき戦った個体と同じように黒い体毛を持つ大きな犬が、溶岩の流れる横の細道をゆっくりと歩いている。
時折立ち止まって周囲の臭いを嗅ぐように鼻先を動かしているけど、こちらを見上げる様子はない。
今、私たちがいる場所とはかなりの高低差がある。
そのお陰か、私たちの臭いはあそこまで届いていないようだ。
まだ向こうはこちらの存在に気付いていない。
これは絶好の機会だ。
さっきは私がヘルハウンドと戦った。
次は二人にも、このダンジョンにいるモンスターとの戦闘を経験してもらおうと考えていた。
特にシルフにとって、ここにいる火属性のモンスターは相性が悪い。
だからこそ実際に攻撃して、普段との違いを体験してほしい。
「ちょうどいい相手がいるね。シルフ、やってみて。」
「いっくわよー!」
私が指示を出すと、シルフが元気よく手を上げて風の魔力を練る。
小さな竜巻が手首の横に発生すると、シルフは両手を前へ向けた。
周囲の空気が一気に集まり、鋭い風の刃へと変わっていく。
私の髪まで風に煽られて大きく揺れた。
これなら魔力を感じ取れない人でも十分に強い魔法だと分かるだろう。
少なくとも、相手が普通のモンスターなら不意打ちでまともに受けて無事では済まないはずだ。
狙いはもちろん崖下のヘルハウンド。
こちらの存在に気付かないまま歩いているその背中へ、シルフは容赦なく風の刃を放った。
風が一直線に駆け抜けて遠方のヘルハウンドを襲う。
空気を切り裂く音が僅かに遅れて耳へ届き、
「グルァッ!?」
結果は見事に直撃。
風の刃を受けたヘルハウンドの体が大きく揺れる。
完全な認識の範囲外から放たれた攻撃だ。
気付いたとしても回避する余裕なんてなかっただろう。
非の打ち所の無い完璧な一撃だった。
「やったわ!」
シルフが嬉しそうに声を上げる。
だけど私は、たった今攻撃を受けたヘルハウンドから目を離さない。
「当たりは良かったけど、やっぱり駄目だね。」
「え?」
目標は倒れていなかった。
風の刃は確かにヘルハウンドの体を切り裂いた。
黒い体毛には攻撃を受けた痕跡もしっかりと残っている。
それでも厚い体毛と、体を覆うように揺らめく炎に威力を阻まれ、致命傷には至っていない。
「グルル……。」
突然の不意打ちを受けたヘルハウンドが傷つきながらもこちらを睨む。
こちらを見上げ、牙を剥き出しにしながら悔しそうに低い唸り声を上げている。
だけど、この高低差ではこちらに攻撃が届かないようだ。
さっき私が受けたブレスを吐いたとしても、ここに到達する前に避けれるだろう。
対して、私たちは三人がかりで一方的に攻撃できる状況にある。
相手が動かないなら絶好のチャンス。もう一発お見舞いする?
そう思って見ていると、
「グルッ!」
ヘルハウンドは素早く身を翻した。
「あ。」
こちらへ向かってくるどころか、そのまま私たちとは反対方向へ向かって全速力で走り出す。
「あっ、こら待ちなさーい!」
シルフが崖の上から叫んだ。
だけど、シルフの言葉なんて聞くはずもない。
仮に聞こえていたとしても待ってくれるわけがない。
ヘルハウンドは一度も振り返ることなく、あっという間に洞窟の奥へと離れていった。
「逃げちゃったね。」
私は小さくなっていく黒い背中を眺める。
さすが野生に生きるモンスター。
モンスターが狩りを行うのは生きるためであって死ぬためではない。
突然不意打ちを受けた状況で無理に戦おうとせず、危険だと判断したら即座に逃げる。
実に賢明な判断だ。
ゲームのモンスターなら、攻撃を受けた瞬間に戦闘状態へ移行して、決められた行動範囲の中でこちらを狙い続けるものも多かった。
でも、この世界ではモンスターだって生きている。
勝てないと思えば逃げるし、自分が不利な状況なら戦わない。
そういうゲーム時代との細かな違いも、私にとっては小さな発見になっていく。
「逃げられちゃった。」
ドライアドが遠ざかっていくヘルハウンドを眺めながら呟いた。
「むぅ……。」
一方のシルフは不満そうだ。
ヘルハウンドが消えていった方向を睨んでいる。
絶対に一撃で倒せると思ってたんだろうな。
私も倒せるかもしれないとは思っていたけど、こればかりは実際に試してみないと分からない。
だからこそ、わざわざ相性の悪いモンスターと戦わせたんだしね。
「やっぱり属性相性は大事だね。あれだけの魔法でも倒せなかったし。」
シルフが放った魔法は決して弱くはなかった。
むしろ、今のシルフが使える攻撃としては十分に強力な部類に入る。
狙いだって完璧だった。
相手に気付かれることなく背後から攻撃を当てたのだから、戦い方にも問題はない。
ヘルハウンドではなく、同じ体格の水属性や地属性のモンスターだったら問題なく倒せていただろう。
しかし今回は、相手が悪かった。
ネームレスオンラインには、それぞれのモンスターが持つ属性と、その組み合わせによる相性が存在していた。
相性が良ければ大きなダメージを与えられる。
反対に相性が悪ければ、本来の威力を発揮できない。
どれだけ強い魔法を使っても、相手との相性次第で結果は大きく変わる。
今の戦闘は、それが非常に分かりやすい例だった。
風の魔法は火属性モンスター相手にはゲームシステムと同じくダメージが半減されているようだった。
ゲームだった頃なら画面に表示されるダメージを見ればすぐに分かったけど、今は数字なんて表示されない。
だから実際の傷や相手の反応から判断するしかない。
それでも、今の結果を見る限りではゲーム時代と同じ仕様が残っていると考えて良さそうだ。
「シルフの魔法が弱かったわけじゃないからね。相手との相性が悪かっただけ。」
「分かってるわよ。」
そう言いながらも、シルフは逃げていったヘルハウンドの方向をまだ少し悔しそうに見ている。
「次は倒すわ。」
「うん。頑張ろう。」
負けたわけじゃないんだけど、本人としては納得できないらしい。
まあ、悔しいと思えるのも悪いことじゃない。
次はどうすれば倒せるのか。
自分の攻撃が通りにくい相手と戦う時には、何をすればいいのか。
そうやって考えるきっかけになるのなら、今回の冒険にも意味があったということだ。
相性が悪いからといって必ず負けるわけでもなければ、相性が良いからといって絶対に勝てるわけでもない。
属性は戦闘を有利にする要素の一つでしかないのだから。
今みたいな余裕があるうちに何度も経験して、のびのびと成長していってほしい。
いつも授業で済むとは限らないのだから。




