危うい冒険心⑤
それに前触れはなかった。
空が光ることも魔法陣が現れることもない。
ただ一本の剣が頭上から静かに降りてきた。
「やっぱり、この世界にもあったんだ……。」
思わず息を呑む。
燃えるような深紅の刀身。
黄金に彩られた精巧な鍔と柄。
刀身全体からは揺らめく炎が立ち昇っているにもかかわらず不思議と熱さは感じない。
一目見ただけで普通ではないと分かる剣だった。
しかも全長は私の身長を優に超えている。
十歳の子供が扱うには、あまりにも巨大だった。
ゆっくりと降下した剣は、まるで持ち主を待つかのように私の目の前で静止した。
「……。」
恐る恐る両手で柄を握った、その瞬間だった。
眩い輝きと共に剣が形を変える。
長大だった刀身が魔力を吐き出しながら縮み、私の体に合わせるように姿を変えていく。
数秒後、私の手には十歳の体でも扱えそうな長さの短剣が収まっていた。
『レーヴァテイン』。
前世の仕事で何度も使用したGM専用装備。
通常のゲーム内手段では絶対に入手できない武器だった。
装備者の全能力値を爆発的に底上げし、プレイヤー用の装備には存在しないようなオプションが、これでもかと詰め込まれている。
まさに神のアイテムだった。
「っ!」
触れた瞬間、全身へ凄まじい力が流れ込む。
体の隅々まで力が満ちていく。
言いようのない高揚感。
胸が満たされるような幸福感。
世界のすべてを思いどおりにできるような全能感。
まるで脳内で大量の快楽物質が一気に溢れ出したような感覚だった。
今なら何でもできる。
誰にも負けない。
世界だって変えられる。
そんな気持ちになってくる。
「……って!」
我に返り、ぶんぶんと横に首を振った。
「ダメダメダメ!」
力に溺れれば、必ず悲劇を招く。
ここは一度、冷静になるべきだ。
私はレーヴァテインの柄を握り直すと、大きく深呼吸をする。
こんなの、ただの気休めなことは分かってる。
それでも何度かゆっくり呼吸を繰り返すうちに、少しだけ落ち着きを取り戻せた。
「……危なかった。」
やっぱり、この剣は危なすぎる。
間違っても他人に触られることがないよう、取り扱いには要注意である。
そんなことを考えている間に、私の手に馴染んだレーヴァテインは《HidePC》の効果を受けたのか完全に姿を消していた。
どうやら衣服や靴と同じように、装備している物として《HidePC》の対象になったらしい。
見えなくても、柄を握っている感触はちゃんとある。
試しにそのまま頭上へ掲げてみた。
「いくらなんでも軽すぎるよね?」
思わず首を傾げる。
自分のステータスが大きく上昇している影響もあると思う。
だけど、それを差し引いてもレーヴァテインは軽すぎた。
まったく重さを感じない。
「重量0の設定が現実に反映されてる?」
前世では、インベントリを圧迫しないよう重量0に設定されていた。
どうやら、その仕様までこの世界へ持ち込まれているらしい。
恐る恐る剣を振ってみる。
ヒュンと空気を裂く鋭い音が森へ響いた。
「おぉ……。」
前世から今まで、剣術なんて一度も習ったことはない。
完全な素人だ。
それなのに今の一振りは、町で見た冒険者たちよりも明らかに鋭かった。
二度、三度と続けて振る。
そのたびに鋭い風切り音が響く。
あまりにも簡単すぎて、逆に怖くなるほどだ。
「……うん。これなら、私でも扱えそう。」
レーヴァテインはGM専用装備。
職業制限もレベル制限もない。
作りたてのキャラクターでも装備できるよう設計されていた。
だから、今の私でも扱えてしまう。
「本当にチートな武器だなぁ。」
呆れるような、畏怖するような気持ちで感心していると、十メートルほど先の草むらで黒い何かが動いた。
さっき見かけた虫型モンスター『ピーグ』だ。
「うっ。」
姿を見た瞬間、やっぱり体が少しだけ拒否反応を示す。
できれば近付きたくない。
だけど、この剣を実際に使えるのか確認する相手としてはちょうど良さそうだった。
「……ごめんね。」
私はレーヴァテインを握り直す。
足に力を込めた。
そして、その力を一気に解放する。
「えっ!?」
次の瞬間、景色が一気に流れた。
自分でも驚くほどの速度で、体が前へ跳んでいる。
速い。そう認識した時には、目標が目前まで迫っていた。もう止まれない。
驚く暇もないまま、私は反射的にレーヴァテインを振るった。
赤い刀身がピーグの胴へ触れる。
ただ、それだけだった。
抵抗もほとんどなく、まるで何もなかったかのように刃が通り抜け、ピーグの体は綺麗に切断された。
二つに分かれた体が、その場へ落ちる。
「…………。」
私は無言で、その光景を見つめた。
ほんの少し前まで、あれほど嫌悪感を抱いていた虫型モンスター。
それを今、自分の手で斬った。
なのに不思議なほど何も感じない。
「……レーヴァテインの影響なのかな?」
剣を握った直後に感じた、あの異常なまでの高揚感と全能感。
もしあれが私の精神にまで何かしらの影響を与えているのだとしたら。
「これ、取り扱いも要注意だ……。」
まだそうだと決まったわけじゃない。
だけど、警戒しておくに越したことはない。
それから私は地面へ横たわったピーグへ視線を落とし、そっと両手を合わせた。
「それと虫さん、気持ち悪いからって実験台にしてごめんなさい……。」
虫は苦手。
それでも命を奪ったこととは別の話だ。
短く祈りを捧げてから、私は改めて手の中にある見えないレーヴァテインへ意識を向けた。




