危うい冒険心③
私は森の小道を慎重に歩いていた。
崖や急な段差には近づかない。
視界の悪い草むらには入らない。
そして、決して無茶をしない。
それが今日、自分自身へ課した一番大切なルールだった。
小道に十メートルほど入ったところで、不意に視界の端で何かが動く。
「何!?」
足を止め、その方向へ視線を向けた。
そこには、小さな切り株のようなモンスターがちょこんと立っていた。
つぶらな瞳。
短い枝のような腕。
根っこのような短い足。
ぼんやりと日向ぼっこでもしているような姿は、とても魔物には見えない。
「か、可愛い……。」
思わず頬が緩む。
それは記憶にある植物型モンスター『スタンプ』だった。
私は前世から植物型のモンスターが大好き。
モンスターと旅をするゲームでは、植物モンスターばかり相棒に選んだ。
目の前のスタンプは、どこかのんびりした雰囲気があって、見ているだけで癒やされる。
初めて実際に動く姿を見たけれど、やっぱり可愛かった。
そのまま眺めていると、今度は近くの草むらで黒い何かが動いた。
丸い体。
艶のある黒い甲殻。
六本の脚をせわしなく動かしながら歩く、虫型モンスターだった。
「うっ……。」
思わず一歩後ずさる。
前世では虫嫌いじゃなかった。
子どもの頃は父の趣味に付き合って、よく一緒に虫取りへ出掛けたくらいだ。
だから平気なはずだった。
だけど――。
「なんか、すごく嫌かも……。」
理屈じゃない。
体が本能的に拒否しているような感覚だった。
前世では平気だったのに。
これも『アイラ』の感覚なのかな。
それなら、それで仕方がない。
「これからは、昆虫型モンスターにはできるだけ近づかないようにしよう」
小さく頷き、その場を離れる。
もっとも、この辺りにいるモンスターは比較的大人しい種類ばかりだ。
こちらから危害を加えない限り、人を襲ってくることはまずない。
もちろん、うっかり踏みつけて反撃された、なんて話は何度も聞いた。
でも、それはモンスターが悪いんじゃない。
冒険中に足元への注意を怠った人間側の責任だ。
私も気を付けよう。
そんなことを考えながら歩いていると、小道へ入って五分ほど経った頃だった。
木陰の下で、ぷるん、と赤い何かが跳ねた。
反射的に身を低くし、草の隙間へ目を凝らす。
そこには、ぷるぷると震える赤い半透明の体。
まるで水まんじゅうがそのまま跳ねているような、不思議な生き物がいた。
胸が高鳴る。
「いた、『スライム』だ。」
レベルを上げるため、その第一歩となる相手。
今日はこの子たちを倒してレベルを上げるために、ここへやって来た。
草むらから姿を現したスライムは、ぴょこんと一度跳ねる。
キリッとした眉。
丸くてつぶらな瞳。
そして、大きく開いた口は笑っているようにも見えた。
「この子もかわいい。」
思わず両手で口を押さえる。
ゲームでは何度も見てきた。
だけど、実物の破壊力は比べ物にならない。
ぷるぷると揺れる姿は、見ているだけで頬が緩んでしまう。
しかもスライムは、分類上は植物型モンスターだ。
植物型モンスターが大好きな私にとっては、まさにど真ん中。
好みのストライクゾーンだった。
「……でも。」
可愛いからといって、侮ってはいけない。
ゲームでは最弱モンスター。
初心者が最初に倒す相手。
そんな印象しかない。
だけど、ここはゲームじゃない。
目の前にいるスライムは、成人男性の顔より一回り大きい。
体のほとんどは水分でできているとはいえ、最小個体でも数キログラムはある。
そんな塊が数十センチも跳び上がって体当たりしてくるとなれば、十分すぎるほど危険だった。
実際、駆け出しの冒険者が「スライムくらいなら大丈夫」と軽い気持ちで近付き、
体当たりをまともに受けて悶絶することもあるらしい。
運が悪ければ、そのまま意識を失う。
そして動けなくなったところへ何度も体当たりを受け続け、命を落とす。
そんな話も冒険者たちから聞いていた。
ゲームなら攻撃を受けてもHPが減るだけで済んだ。
でも現実では違う。
殴られればよろける。
痛みで動きは鈍くなる。
一度転べば、それだけで致命傷になることだってある。
命のやり取りをしているという事実を忘れた者へ訪れるのは、
――死だ。
大きく深呼吸をする。
大丈夫、落ち着いてと自分に言い聞かせて周囲を見渡す。
視線を足元へ向けると、両手で抱えるほどの石を見つけた。
「よいしょ!」
持ち上げると、ずしりと腕へ重みが伝わる。
おそらく目の前にいるスライムと同じくらいの重さだ。
私には少し辛い。
それでも、がんばって石を胸の前まで持ち上げた。
スライムは何も知らず、ぷるん、と楽しそうに跳ねている。
「……ごめんね!」
小さく謝ると、全身の力を込めて石をスライム目掛けて投げ放った次の瞬間。
パァンッ! と、スライムの体が大きく弾け飛ぶ。
石の重みをまともに受けたスライムは、そのまま動かなくなった。
「……倒せた。」
人生で初めて。
モンスターの命を、自分の手で奪った。
もう少し抵抗があるものと思っていたけど、意外と平気だった。
でも、嬉しくも楽しくもない。
ただ胸の奥が、少しだけ重い。
前世の価値観が、まだどこかに残っているのかもしれない。
それでも乗り越えなくちゃいけない。
ここはゲームじゃない、現実だ。
もし躊躇っていたら、足元へ転がっているのはスライムじゃなく、明日の自分かもしれないから。




