GM権限、使えちゃいました⑧
「……ネームレスオンラインかぁ」
その名前を口にすると、不思議と胸の奥が少しだけ締め付けられた。
前世で、人生の半分以上を共に過ごした大切なゲーム。
学生時代は、一人のプレイヤーとして夢中になった。
社会人になってからは運営スタッフとして携わり、気が付けば二十年以上も関わり続けていた。
プレイヤーが操作する主人公は、名前を持たない一人の冒険者。
まだ何者でもない存在。
だからこそ、そのタイトルは――『ネームレスオンライン』。
名もなき冒険者が旅を続け、多くのボス――『ネームドモンスター』を討伐し、数え切れないほどの功績を積み重ねていく。
そうして少しずつ世界へ名を刻み、やがて誰もが知る英雄になっていく。
そんな物語だった。
「……結局、最後までは見届けられなかったな」
小さく苦笑する。
サービスが終了したわけじゃない。
私が、その前に死んでしまっただけだ。
あれからゲームはどうなったのだろう。
プレイヤーたちは、あの物語の続きを見届けることができたのだろうか。
名もなき冒険者は――。
最後には、本当に『名声』を手に入れられたのだろうか。
「私は、この世界でどうしたいのかな?」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に届くこともなく空へ溶けていく。
GMコマンドが使えるようになった。
なら、この力で何をすればいいのだろう。
英雄になりたい?
「違う。」
王様になりたい?
「それも違う。」
世界を支配したい?
「そんなの、絶対に楽しくない。」
どれも、私が望んだ人生じゃなかった。
「私は……。」
ゆっくりと目を閉じる。
「大好きだったこの世界で、幸せに暮らしたい。」
その言葉が、一番しっくりきた。
誰かを支配したいわけじゃない。
世界を救いたいわけでもない。
もちろん、滅ぼしたいわけでもない。
この大好きな世界で笑って、ご飯を食べて、友達を作って、冒険をする。
そんな当たり前の日々を、大切な人たちと過ごしたい。
それだけだった。
「結婚もしてみたいな。」
思わず頬が緩む。
前世では家庭の事情もあって、恋愛どころではなかった。
仕事に追われる毎日を過ごしているうちに、結婚という言葉はいつの間にか自分とは無縁のものになっていた。
でも今世なら、好きな人と出会って家族になって。
もし子どもが生まれたなら――。
「パパとママみたいに、いっぱい愛情を注いで育ててあげたいな。」
自然と笑みがこぼれる。
パパとママが私に向けてくれる、あの温かい愛情。
あんな家庭を、私も築いてみたい。
「もちろん、仕事は過労死しない程度に!」
くすっと一人で笑う。
前世のような働き方だけは、もう二度とごめんだった。
心地よい風が吹き抜け、芝生がさらさらと揺れる。
「そういえば……。」
ふと思い出す。
死ぬ間際、意識が遠のいていく中で「異世界転生できるなら」と願ったような気がする。
異世界転生ものは、運営の仕事柄、流行を追うために何作も読んでいた。
でも、まさか本当に自分が異世界へ転生するなんて、夢にも思わなかった。
「人生って、本当に何が起こるか分からないなぁ。」
そう呟いてから、少しだけ首を傾げる。
「……いや、さすがにこれは『人生何があるか分からない』で片付けていい話じゃないかも。」
誰に聞かせるでもないツッコミに、自分で思わず吹き出した。
穏やかな笑い声は湖畔へ静かに溶け込み、風が優しく運んでいった。
ゆっくりと流れていく雲を眺めながら、私は遠い前世へ思いを馳せていた。




