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幕間 空模様、恋模様

ちょっとだけ、いつもと毛色が違います。

――私はアイラという女性に恋をしている。

銀色の髪に、赤い瞳。

私と同年の生まれでありながら、幼い顔立ちと小さな体は妹を思い出させる。


初めて彼女と出会ったのは、十歳の頃だった。

そして十二歳になって再会し、ようやくその名前を知った。


アイラ。

不思議な女性だった。


彼女が現れた場所では、決まって不可解なことが起きる。

二年前にはゴブリンが突然倒れた。

魔導都市レオでは犯罪組織が壊滅していた。

そして先日は、あれほどの強さを誇っていたヴォイドが突然吹き飛ばされた。


考えれば考えるほど分からない。

何かを隠していることだけは間違いないと思う。

それなのに彼女について考えれば考えるほど、もっと知りたいと思うようになっていった。


いつからだったのだろう。

気付けば私は、彼女に恋をしていた。


しかしアイラは平民だった。

貴族には貴族としての責務がある。

良家同士で婚姻を結び、血を繋ぎ、次の世代へ家を残して王国を守っていく。

特に侯爵家の長男である私には、それが求められている。


身分があまりにも違いすぎる。

アイラとの婚姻は難しいだろう。


きっと、この恋も時間が経てば風化していく。

そう、思っていた。


しかし私がロードナイトとなった後。

一つの報せが届いた。


天才ウィザードが、歴代最年少でサモナーになった。

その報告を耳にした瞬間。

まさかと胸が大きく脈打った。

震える気持ちを抑えながら報告書を手に取る。


思わず何度も読み返した。

名前、年齢、容姿、出身地。

報告書に書かれている情報の全てが、私の知る彼女と一致している。

もはや間違いない。

私が恋をした、あのアイラだった。


そして、ここで一つ、私の中に迷いが生まれてしまった。


『もしも彼女がこのまま功績を上げ続ければ、どこかの貴族の養子になれるのではないか?』

そんな考えだった。


例えば子爵家の養子にでもなれれば、私との婚姻も決して難しい話ではなくなる。

それにアイラは、平民の生まれとは思えないほど礼儀が正しい。

テーブルマナーもある程度把握していた。

文字の読み書きにも問題がない。


あれならば貴族として必要になる教育も、殆ど苦労することはないだろう。

そして歴代最年少の『サモナー』。

将来性まで考えれば、養子に迎えたいと考える貴族が現れても何ら不思議ではない。


むしろ、そんな優良物件となれば引く手数多になるはずだ。

そうなれば私がアイラと婚姻を結べる可能性だって、十分にある。


一度そんな可能性を考えてしまうと、諦めることができなくなった。

それからというもの。両親が持ってきた縁談を、私は全て断り続けた。


『私にはもったいない人です』

『まだ騎士団としてやるべき仕事があります』

そんな言葉を繰り返しては、のらりくらりと話をかわす。


さすがにこれは貴族として褒められた行為ではない。

そう罪悪感を覚えることもあった。

それでも私は、どうしても諦めきれなかった。


そんなある日。

母上とティアナから呼び出され、『お茶会』を開くことになった。


もちろん普通のお茶会ではない。

何について問いただされるのかは、最初から分かっていた。


席について紅茶を飲みながら、まずは日常の話から始まる。

最近の騎士団について。

ティアナの勉強について。

母上が最近参加した社交の場について。


貴族のこういうところは、ときどき面倒に感じる。

騎士たちとの付き合いならば、もっと単刀直入に本題へ入ることが多いだけに猶更だ。


そして、ある程度お互いの日常について話したところで。

ついにティアナが口を開いた。


『お兄様、どうして婚姻を断っているのですか?』

――来たか。

やはり本題はそれだった。


そして、これがこのお茶会にティアナまで同席している理由でもある。

父上や母上には言いにくいこともあるだろう。

しかし、まさかティアナにまで本当のことを言わないつもりではないだろうな?


つまりこれは、そういう両親からの圧力である。

ここまでされてしまえばもう逃げられない。

私はようやく観念した。


『実は、心を寄せる者がいます。』

その瞬間、ティアナの目が輝いた。

対照的に、母上は僅かに眉をひそめる。


それだけで気付かれてしまった。

私は『心を寄せる者』と言った。

もし相手が身分の高い女性ならば、令嬢と言ったはずだ。


その言葉の機微にティアナは気付かず。

母上は気付いたということだ。


『それはどんな方ですか?』

ティアナが無邪気に尋ねてくる。

その純粋さが、今は怖い。


私は順番に説明していった。

初めて見たのは、私が十歳の頃だったこと。

ピクニックに行った帰りの馬車で話したあの少女の話。

その後、魔導都市レオで偶然再会したこと。


そして最近世間を騒がせている、歴代最年少の『サモナー』であること。


最初のうちは僅かに不穏な空気を出していた母上も、話が進むにつれて落ち着いていった。

ティアナに至っては、最初から最後まで目を輝かせたままだ。

どうやら身分差のある恋というものが、物語のようで気に入ったらしい。


さらにアイラの人柄について話していく。

礼儀正しいこと。

人への気遣いができること。

平民でありながら、ある程度の教養まで身につけていること。


話し終わる頃には、母上もすっかり機嫌を直していた。

どうやら婚姻を結べる可能性が全く無い人物ではない。

その程度には認めてもらえたらしい。


しかし母上は私の恋を応援したいと思う反面、問題は山積みだとも言った。


アイラ本人が私との婚姻を望むのか。

そもそも彼女に貴族になる意思があるのか。

もし貴族になることを拒めば、どうするつもりなのか。


次々と質問を投げかけられる。

どれも私には分からなかった。

私はまだアイラが私をどう思っているのかすら知らない。


ティアナは無邪気に私を応援してくれていた。

一方で母上は目を閉じ、しばらく何かを考えていたようだ。


やがてゆっくりと目を開く。

『十八歳までに、その恋心に決着を付けなさい。それまでは待ちましょう。』

『母上……。』


決着を付けなさい。

つまり。

アイラとの恋を成功させるか。

あるいは、諦めるか。


それを私自身に選ばせてくれるということだ。

侯爵家の長男である私に。

あと五年もの猶予を与えてくれる。


それがどれほど大きな譲歩なのか、分からないはずがない。

『ありがとうございます、母上!』

『良かったですね、お兄様。応援してますわ。』


私は深々と頭を下げた。

隣ではティアナが両手を上げて喜んでいる。

そんな私たちを見ながら、母上は少し困ったように眉を下げた。

『クレスが我儘を言うのはつい珍しいので、許してしまいました。』


その日の晩。

家族で食事をしている時。

軽く話を聞いた父上は、『そうか』とだけ答えると、それ以上深く尋ねてこなかった。

いつか私自身の口から説明する日を待っているのだろう。


申し訳ございません、父上。

もう少しだけ時間をください。



それからしばらく経った、ある日の夜。

アイラがクロードに襲われた。


結果としてシルフのおかげで無事だったものの、本当に危険な状況だったらしい。

一歩間違えていれば死んでいた。

そう聞いた時、私はその場でクロードを処刑しそうになった。


今になって考えれば、思いとどまることができて本当に良かったと思う。

もしあそこで感情のままクロードを処刑していたら。

当然、詳しい事情を調べるために調査隊が派遣されていただろう。


その結果、下手をすればアイラにまで火の粉が降りかかっていたかもしれない。

自制できて良かった。


帰り道、安心した私は、思わず彼女の頬へ手を触れてしまった。

どうして、あんなことをしてしまったのか。

後から考えれば考えるほど分からない。


女性の顔へ不用意に触れるなど、途轍もなく無礼な行為だ。

相手が令嬢だったなら、糾弾されていたとしてもおかしくない。


幸いにもアイラは、触られたこと自体をあまり気にしていないようだった。

本当に危なかった。色々な意味で。


そのまま宿泊所まで送り届けることになった。

道中では、アイラとたくさん話すことができた。

そして宿泊所の前で『また明日な』と言って別れた。


原因を考えれば、あまり喜んでいい状況ではない。

それでも以前より、ずっとアイラとの距離が近づいたような気がした。


そして翌々日。

街を去る前に、アイラは約束通り私のところへ次の行き先を伝えに来てくれた。


アールヴヘイムへ向かい。

その後は、アクエリアス。

滞在期間まで丁寧に教えてくれる。


私の下心など少しも疑っていないらしい。

やはり純粋な女性だ。


別れ際。

『どうか無事で。また会おう、アイラ。』

私は笑ってそう告げた。


すると。

『は、はい。』

彼女は少しだけ視線を逸らし、どこか恥ずかしそうにもじもじしながら返事をした。


可愛らしい。

そして同時に、一つの期待が胸に浮かんでしまう。

もしかして、ほんの少しでも私のことを意識してくれているのだろうか?

そうならとても嬉しい。


そんなことを考えていると、シルフが私の近くまで飛んできた。

そのまま耳元へ近寄ってくる。

そして私にだけ聞こえる声で囁いた。


『アイラはお子ちゃまだから、アンタの気持ちはハッキリ言わないと通じないわよ。』

『なっ!?』


思わず声を上げた。

シルフは悪戯が成功した子供のように笑っている。

その姿は、とても妖精らしかった。


しかし。待て。

どういう意味だ。


周囲を見る。

気付けば部下たちまで、こちらを見ながらニヤニヤと笑っていた。


まさか気付いていなかったのは私とアイラだけ、ということなのか?


そう考えた瞬間。

急激に体温が上がっていく。

顔が熱い。

耳まで熱くなっているのが自分でも分かる。


恥ずかしさで死にそうだ。

駄目だ。これ以上、今の状態でアイラと一緒にいられる気がしない。


『それでは失礼する。』

『はい。また。』


私は逃げた。

文字通り、逃げるようにその場を離れた。


情けない。自分でもそう思う。

だけど『また』、そう言ってもらえた。

たったそれだけのことが嬉しくて。

去っていく足取りは、自分でも分かるほど浮ついていた。


私は確かにアイラを愛している。


だけど、それを彼女へ伝えるのは。

もう少し先になりそうだった。

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