GM権限、使えちゃいました⑥
時刻は昼過ぎ。
町を歩き回って疲れた私は、広場のベンチに腰掛けていた。
ベンチの硬い感触を確かめながら、昨日、壁へ額をぶつけたことを思い出す。
「……壁は、すり抜けられなかった。」
地面も同じだ。つまり、姿が見えなくなっているからといって、何もかも無視できるわけではない。
例えば、この状態のまま崖から落ちたらどうなるのだろう。
地面をすり抜けられないのなら、そのまま叩きつけられる可能性が高い。
しかも、誰にも姿を見つけてもらえないまま大怪我をすることになる。
最悪の場合は――。
「……もしかして死ぬ?」
ぽつりと漏れた言葉に、自分で背筋が冷たくなった。
思い返せば、ゲーム内でも《HidePC》を使っている間、イベントそのものが無効になるわけではなかった。
決められた場所へ入ればイベントは始まったし、地形による処理も受けていた。
それなら、落下のような環境による影響まで無効になるとは限らない。
むしろ、普通に影響を受けると考えた方が自然だ。
「……すっごくありそう。」
昨日までは、この力さえあれば安全に冒険できると浮かれていた。
けれど、本当にそうなのだろうか。
誰にも見つからないということは、裏を返せば助けを呼んでも誰にも気付いてもらえないということだ。
その事実に気付いた瞬間、ぞっとして自分の腕を抱きしめ、小さくため息をついた。
「やっぱり、過信は禁物だよね。」
今の体は、前世とはまるで違う。
五歳児特有の頭が大きく重心の高い体つきで、少し走るだけでもふらつき、簡単にバランスを崩してしまう。
こんな体で崖や急斜面のような危険な場所へ近づくなんて、自殺行為に等しい。
「実際にこの前それで死にかけたし。」
あれ、すごく痛かったなぁ。
思い出しただけで、ちょっと泣きそうになる。
あと少しハイプリースト様の到着が遅れていたら、今こうして生きていなかった。
どれだけ《HidePC》が便利でも、不慮の事故までは防げないと思う。
「せめて回復アイテムとか、冒険用の装備があればなぁ。」
また一つ、ため息がこぼれる。
ゲーム時代なら、回復薬はいくらでもあった。
防御力の高い装備や、移動を補助する便利なアイテムも数え切れないほど存在していた。
そのうちの一つでもあれば、安全性は大きく変わるはずだ。
だけどどれも高すぎて子供の手に入るような代物ではない。
「アイテムがあれば?」
ふと、自分の頭の中から出た言葉が引っかかった。
私がGMコマンドを使うことができるという事実は、これまでを見ても否定しようがない。
ということは、もしかして――。
「アイテムも、作れる?」
その可能性に気付いた瞬間、背筋を冷たいものが駆け抜けた。
「いや、いやいやいや。」
私は慌てて首を横に振る。
「それ、まずくない?」
もし本当にゲーム時代と同じように、アイテムを自由に生み出せるのだとしたら回復薬に、武器、防具。
希少な鉱石や金貨ですら、欲しいものを好きなだけ生み出せることになるかもしれない。
「そんなことができたら、この世界の経済、壊れちゃうんじゃ?」
まず発想からしてあまりにも非常識すぎる。
《HidePC》だけでも十分に世界の理から外れているのに、それ以上の力まで使えたら、本当に取り返しがつかないところまで行ってしまう。
「……でも、気にならない?」
頭の中では、試すなと警鐘が鳴っている。
興味本位で手を出していい力ではないことくらい、分かっている。
それでも好奇心が、心の片隅で小さく囁いた。
本当に使えるのか確認しなくていいの? これからも我慢できるの?
「…………。」
ほんの数秒、迷った。
けれど結局、私はその誘惑に勝つことができなかった。
「石なら、問題ないよね。」
誰に言い訳をするでもなく、頭の中で静かにコマンドを思い浮かべる。
《CreateItem Stone》
何かが現れる気配を感じ、私は反射的に両手を差し出した。
そして、その掌の上へ小さな石が当たり前のように落ちてくる。
「…………。」
私は掌の石を見つめたまま、完全に思考停止した。
十秒ほど経ってから、ようやく処理が追いつくと恐る恐る石を握りしめる。
ぎゅっ。硬い感触が掌へ伝わった。
今度は少しだけ上に放り投げてみる。
ひょい、と宙へ浮いた石は重力に従って落ちてきて、再び私の手の中へ収まった。
「……石だ。」
どう見ても、どこからどう見ても普通の石。
幻でも、見間違いでもない。
《CreateItem》によって生み出された、本物の石だった。
「これ、絶対に気軽に使っちゃいけないやつだ。」
私は無意識のうちに石を強く握りしめていた。
ただの五歳児だったなら、きっと素直に喜んでいたと思う。
欲しい物が、何でも手に入る。
そんな夢みたいな力を前にして、胸を躍らせない子供の方が少ないはずだ。
だけど、私には四十年以上を生きた前世の記憶がある。
際限なく物を生み出せる力が、社会へどれほど大きな影響を与えるのかも理解しているつもりだ。
市場、流通、希少価値、貨幣。
そのすべてを、この力は簡単に壊してしまう可能性がある。
私は冷静になるよう、小さく首を横へ振った。
「この力で気軽にアイテムを作るのは禁止!」
誰かに命じられたわけじゃない。
自分自身へ課す、とても大切な制約だ。
どうしても必要な時を除き、この力には頼らない。
私はそう固く心に誓った。




