隠していた力⑪
私は急いでヴォイドの元へ向かう。
「あ、アイラ待ちなさいー!」
呆気に取られていたシルフも、慌てて後ろからついてきた。
今の一撃は《HidePC》状態で放ったものだ。
騎士団や冒険者たちからすれば、突然ヴォイドが雷に打たれたかと思ったら、次の瞬間には凄まじい衝撃と共に吹き飛んでいったようにしか見えていないはず。
何が起こったのか分からず戸惑っている人たちが動き出すより先に、急いでヴォイドの状態を確認しないと。
何度も地面を転がったヴォイドのところまで駆け寄り、その傍らにしゃがみ込む。
まずは呼吸。胸元に目を向けると、ゆっくりと上下しているのが分かった。
「良かった、息はある。」
弱々しくも呼吸を続けている姿にホッと胸を撫で下ろす。
さすがにちょっと心配だったんだよね。
いくら魔王の力で強化されているとはいえ、レーヴァテインを装備した状態で思いっきり殴っちゃったから。
次に怪我の状態を確認する。
「うわぁ……。」
擦り傷は全身にあるし、何か所か骨折もしているみたい。
これでもあれだけ吹き飛ばされたことを考えれば、随分と軽傷なんだろうけど。
ヴォイドは魔王復活の原因を作った上に、騎士や冒険者たちを大勢傷つけている。
このまま騎士団に捕まったら、多分まともな治療なんてしてもらえないよね。
さすがに放っておくのは後味が悪い。
急いで治してあげなきゃ。
そう思って手を伸ばそうとした、その時だった。
「お、おい……何だよ、あれ。」
少し離れたところから、誰かの怯えた声が聞こえてきた。
何だろう。
「アイラ、上!」
シルフの鋭い声に反応して顔を上げる。
「えっ?」
そこには、先ほどまでヴォイドの全身を覆っていた黒い魔力が浮かんでいた。
ヴォイドから離れた黒い魔力は消えることなく、むしろ少しずつ膨れ上がりながら空中へ集まっていく。
黒い霧のようだったものが渦を巻き、次第に一つの形を作り始める。
人の形に似ている。
でも、人じゃない。
頭部から何かが伸び、背中が大きく膨らむ。
さらに腰の辺りから細長いものが生まれ、黒い魔力がそれぞれの輪郭を形作っていった。
やがて、それは完全な姿を現す。
「お、おおお……。」
低く、不気味な叫び声が周囲に響き渡った。
頭には角。
背中には大きな翼。
そして長い尻尾。
どこからどう見ても、悪魔としか言いようのない姿だった。
「何なのコイツ!?」
シルフが警戒しながら私の前へ出ようとする。
だけど私は、その姿を知っていた。
「魔王……。」
前世の記憶とも相違ない。
禍々しくて、恐ろしくて、見る者に本能的な嫌悪感を抱かせる姿。
そして同時に、私にとっては哀れなモンスターでもある。
人間の前に現れては恐れられ、魔王と呼ばれている存在。
ただし、目の前にいるこれは本体じゃない。
「これがヴォイドに取り憑いていた魔王の分体……。」
ネームレスオンラインでも、その存在自体は語られていた。
ヴォイドを利用し、その精神へ干渉しながら魔王復活へと導いた存在。
だけどゲームではテキストで説明されるだけで、実際にその姿を見ることはできなかった。
こんな姿をしていたんだ。
魔王の分体は苦しそうに体を震わせている。
「おお……おおお……。」
低い唸り声が響く。
さっきヴォイドに叩き込んだ『インパクトストライク』のダメージは、どうやら取り憑いていた分体にも届いていたらしい。
よく見ると、その体はやたら不安定だった。
黒い魔力が何度も揺らぎ、形を維持できなくなっている。
やがて手足の先端が崩れ始めた。
「ああ、あああ……っ!」
魔王の分体が苦しそうな声を上げる。
もう自力では崩壊を止められないみたいだ。
指先から黒い粒子へと変わり、腕が消え、足が崩れていく。
やがて胴体も霧のように薄くなり始めた。
誰も動かなかった。
クレスも、騎士も、冒険者も、シルフも。
全員が息を呑み、その異様な光景を見つめている。
そして最後には角も翼も輪郭を失い、黒い霧となって風に流されていった。
跡形もなく消えていく。
「……。」
これで、分体は倒せたのかな。
そう思った瞬間、足元に倒れているヴォイドの存在を思い出した。
「はっ、ヴォイドの治療しなきゃ!」
魔王に気を取られてる場合じゃなかった。
私はすぐにヴォイドへ向き直り、手をかざす。
『ヒール』
淡い光がヴォイドの体を包み込む。
ただし全快させるつもりはない。
骨折や手足の火傷、体内の損傷みたいな、放置すると危険な怪我を優先して治していく。
打撲や擦り傷くらいなら残っていても問題ないだろうし、今ここで完全に元気になられても困る。
それにしても。
「あんなに吹き飛んだのに、この程度の怪我で済んでるのもおかしいよね。」
三十メートル以上吹き飛ばされて、地面を何度も転がったんだよ?
普通の人間だったら骨折だけでは済まない。
これも魔王から与えられていた力のお陰なのかな。
何にしても、生きていてくれて良かった。
私はヴォイドを殺したかったわけじゃない。
ゲームでのヴォイドは魔王の影響を受けて凶暴化していた。
今見た分体がその原因だったのなら、それを倒したことでヴォイドも正気を取り戻しているはず。
少なくとも、さっきみたいな恐ろしい力で暴れ回ることはないと信じたい。
治療を終えて周囲を確認する。
少し離れたところから、クレスたちが警戒しながらこちらへ近づいてきていた。
いや、正確には私たちの姿は見えていないから、ヴォイドに向かって歩いてきている。
ヴォイドの身柄は騎士団に任せればいい。
私がこれ以上、ここに残る必要はない。
「シルフ、このまま魔王の様子を見に行くよ。」
「分かったわ。」
これで事件が解決したわけじゃない。
倒したのはあくまでヴォイドに取り憑いていた分体だけ。
本物の魔王は今も南で騎士団や冒険者たちと戦っているはず。
そっちがどうなっているのか確認しないと。
「シルフ、さっき話してたバフ、やっぱりお願いできる?」
「任せなさい!」
思いっきり魔力を込めたのを見て慌てて制止する。
「待って待って、ほんのちょっとでいいからね。」
今のシルフの魔力で普段通りに強化されたら、私までどんな速さになるか分からない。
シルフには慎重に加減してもらい、私一人だけに移動速度を上げる精霊魔法をかけてもらう。
「これくらい?」
シルフの精霊魔法を受けると体がふっと軽くなった。
これくらいなら大丈夫そう。
私はヴォイドたちをその場に残し、シルフと一緒に南へ向かって駆け出した。
「南の人たちも、どうか無事でいますように。」
願いながら、少しだけ足に力を込める。
途端に周囲の景色が勢いよく後方へ流れていった。
「わっ、速っ!」
建物も瓦礫も次々と視界の端へ消えていく。
まるで電車の車窓から景色を眺めているみたいだ。
……これでほんのちょっとなんだ。
やっぱり今のシルフに、全力でバフを使わせなくて正解だったね。




