隠していた力①
ここは魔導都市レオ。
季節は夏。気温も湿度も高く、じっとしているだけで汗が滲むような蒸し暑い日だった。
天気は曇り。空一面を雨が降り出しそうな黒い雲が覆い、昼間だというのに街全体が薄暗い。
街の人間からすれば、そんな何でもない毎日のうちの一ページ。
冒険者は今日もダンジョンへ向かい。
商人は露店を開き。
住民たちはいつも通りの日常を過ごしている。
しかし残念ながら、これはそんな日常を描いた穏やかな日の話ではなかった。
一人の人物が、魔導都市レオの中心へ向かってゆっくりと歩いている。
深く被ったフードで顔を隠し、体全体を大きなローブで覆った人物。
背丈は百六十センチ程度。
体格すらローブの下に隠れており、一見しただけでは性別さえ分からない。
ただ、よく観察すれば歩幅や体の動かし方はどことなく男性的にも見えた。
だが、この人物を気に留める者はいない。
ここは冒険者が数多く集まる魔導都市レオ。
顔や装備を隠した人間など、決して珍しくはなかった。
その人物が目指しているのは、街の中心にある巨大な白い柱。
――『魔王の封印』。
魔導都市レオを象徴する建造物であり、今では観光地としても有名な場所だ。
男と思しき人物は寄り道することもなく、その封印へ一直線に向かっていく。
だが、それ自体に不審なところは何もない。
何故なら、こんな人物は一年に千人以上訪れる。
今日もただの観光客だろう。
周囲にいた誰もが、その程度にしか考えていなかった。
やがて人物は巨大な白い柱の前で立ち止まる。
「……。」
そっと手を伸ばした。
白い柱に掌を触れ、何度か表面を擦る。
それでも誰も気に留めない。
魔王の封印は、触れることを禁じられていない。
それどころか周囲に迷惑さえ掛けなければ、攻撃することさえ許されている特殊な国家遺産だった。
女神ガイアによって施されたと伝えられる封印。
その強度は、人間がどうこうできるようなものではない。
一般的な冒険者が剣で斬りつけようと。
ウィザードが本気の魔法を撃ち込もうと。
傷一つ付けることすらできない。
だからこそ、その頑丈さそのものが一種の観光資源となっていた。
自慢の武器を思い切り叩きつけてみる者。
覚えたばかりの魔法を試してみる者。
今日も誰かが魔王の封印へ攻撃を加え、そして傷一つ付けられずに帰っていく。
それが、この街の日常だった。
だから、もし今から、この人物が封印を攻撃したとしても。
誰も止めることはないし、警戒もしない。
また冒険者がやっている。その程度の認識で終わるはずだった。
「世界に悪意を。」
小さな声が漏れた。
ローブの奥から聞こえたのは、成人した男の声。
誰かに聞かせるためではない。
まるで何かへ捧げる言葉のように、静かに呟かれた。
男の腕へ魔力が集まる。その魔力は掌を通り、握られた一本の短剣へと流れ込んでいく。
「……。」
膝を曲げた直後。
ドンッ!と石畳が大きく鳴った。
「うおっ!?」
近くにいた人間が驚いて振り返る。
男の体は遥か上空へ跳び上がっていた。
垂直二十メートル。
冒険者にしても驚異的な跳躍力で巨大な柱の側面まで到達する。
そして柱そのものをもう一度足場にした。
ドンッ!もう一度。さらに高く跳躍する。
巨大な魔王の封印を見下ろせるほどの高さへ。
頂点まで跳躍した体が上昇の勢いを失い、重力に引き寄せられてそして落下していく。
やがてその体が柱の前まで近づくと、男は手に握られた短剣に黒い魔力を流して、白い柱へ振り下ろした。
同時に下方の誰も意識していなかった場所から何者かが拳を振りぬいたような衝撃が走る。
上から斬撃。下から衝撃。
二つの攻撃が、全く同じ瞬間に白い柱へ叩き込まれる。
バヂィッ!!黒い稲妻が走り、二本の黒雷が巨大な柱の中心で繋がる。そして、ピシッと小さな音がした。
ほんの僅かな亀裂。その場にいた誰もが目を見開いた。
ピシピシッ。
その亀裂が枝分かれした。
何本も蜘蛛の巣のように、白い柱全体へ広がっていく。
「……え?」
誰かが呟いた。あり得ないものを見たような声だった。
「お、おい……。」
周囲の冒険者たちも異変に気付き始める。
毎日のように攻撃されている。
誰が何をしても、傷一つ付かなかった封印。
その柱にはっきりと亀裂が入っている。
「おい、あいつ何やってんだ!?」
「魔王の封印が壊れて……!?」
ようやく周囲が事態の大きさを理解する。
「離れろ!」
「騎士を呼べ!」
「そこのお前、何をしている!?」
異変に気付いた警備兵たちが叫びながら走ってくる。
だが、もう遅い。全てが手遅れだった。
ピシピシピシピシッ!
亀裂は止まらない。
巨大な白い柱を駆け上がり、その根元に広がる魔法陣へと到達する。
「まずい! 全員ここから離れろ!!」
誰かが叫んだ直後、白い柱の一部が崩れ落ちた。
ガラガラガラッ!
それを皮切りに、巨大な柱そのものが崩壊を始める。
地面に刻まれていた巨大な魔法陣にも亀裂が走った。
ひび割れた箇所から、眩い光が吹き出す。
一筋、二筋と瞬く間に数え切れないほど増えていく。
人々が悲鳴を上げて逃げ惑う中、崩れゆく封印のすぐ傍で、先ほどの男はその光景を静かに見つめていた。
「「あぁ、ついにこの時が……。」」
男の声ともう一つ。二つの声が完全に重なった。
次の瞬間。巨大な魔法陣がガラスのように砕け散る。
封じ込められていた光が一気に解放されて魔導都市レオの全てが白い光に包まれた。




