第15.5話 阿修羅
『ふん、たかが逃亡犯ひとりのために、こんな僻地まで行かされるとはな』
反重力車両の中、月庵の役員仕様の豪華なインテリアの車内で、ビシリと本紫色のスーツを着た男がスパークリングワインを煽っている。だが、肝心の正面の顔は仏頂面で目を閉じているだけで、今しがた喋ったのは男の左側にある顔だった。
男には阿修羅像のように顔が三つあり、腕に至っては六本スーツから飛び出ていた。三面六臂の奇形義体は――男の自然な振る舞いからして――殺陣に特化していくうちに自ら改造したのだという説得力がある。
一人の肉体に三人の人格が共存しているのだ。
その方法が、三人の精神を一人の肉体に捻じ込んだのか、元の人格を三つに分裂させたのかは分からない。ただひとつ言えることは、彼らは『力』と引き換えに人間の枠から逸脱した存在であるということくらいか。
『イヤじゃイヤじゃ! 拙者、こんな女子もいない辺鄙な場所に出向くなぞ、絶対に嫌じゃ――!!』
すると今度は、キーキーと子どもの喚き声が右側の顔から放たれる。
シリコンの皮膚が激しく歪み、涙が出ていないにも関わらず、泣いているような表情をつくりだす。赤子のように幼く甲高いそれは、声の主が相応の年齢であることを思わせる。
そのとき、正面の顔がようやく目を薄く開き、苦言を呈した。
「静かにしないか、二人とも。これは月庵からの直々の命令なのだ。断るわけにはいくまい」
だが、左右の顔はその注意にも聞かぬ存ぜぬといった具合で、口笛を吹きながら明後日の方向を向くだけだった。
どっぷりと日が暮れた大地は暗く、車窓から見える空はすでに深い青色で覆われていた。それは成層圏から見た宇宙と同じ色をしていた。
『でもでも、勅命って断ったらどうなるんだろー?』
『もし極刑となるなら、斬首で晒し首が20%、圧縮機スクラップが30、電子海への漂流刑が50だろうな』
『うひょー、拙者グロ画像すら耐性ないのに、自分があんな目に会うとか想像したくないでござるよー』
左側の少年と右側の青年がべらべらと雑談を続けている。
共有の頭頂部をがりがりと掻きながら、しきりに楽しそうに会話を弾ませる。
『所詮、あの月庵 宗次郎もぼんくら息子よ。我らの永遠の雇用主はヤツの父であり、息子ではないのだからな。であるならば、我々がこの命をテキトーに済ませ、さっさと上層の甘味処で暇をつぶしても問題ないというわけだ』
『おお、そ~れいいね! 賛成、さんせー、ダイサンセー!』
そのとき、車窓の外にようやく鉄塔の障害灯の赤い点滅が見えてくる。反重力車両が山を飛び越え、さらに南下していくとようやく、文明の明かりが密集する街が視界に入るのだった。
対チルドレン用の防護壁がないとはいえ、この規模の集落であれば対空センサーくらいはあるだろう。反重力車両とはいえ、補助もなしに空を自由飛行できる型は企業の軍用車をおいて他にない。今ごろ、企業の襲撃が来たのかと慌てふためいているころだろう。
「……まぁ、いい。……そろそろ目的地が近づいてきた。二人とも、万が一のことがあれば頼むぞ」
『承知した』
『もちろんさ!』
彼らの手にはそれぞれ、上段、下段が援護射撃用の四丁ものカービン銃、中段には接近戦に備えた機械刀が二本握られていた。それらはいずれも、三ツ橋重工との代理戦争の末に、傘下の軍事企業を吸収した際に製造させた特注品だった。
銃弾一発で人体など粉みじんになり、その機械刀で一刀両断した相手は人体模型のようになり、しばらく内臓が出血すらせずに脈打つという。
やがて、反重力車両は集落を横断し、コロシアム前の広場に目をつけた。まだ、撤収作業中の屋台や人通りがあるにも関わらず、後夜祭の熱が冷めきらぬ広場に黒い箱状の車両が高度を下げていく。風圧で周囲の出店や通行人を薙ぎ倒しながら、それはようやく着陸するのだった。
【名】
正面「痲逗陀」
右「暗洛」
左「蟷螂」




