第16話 一触即発
コロシアム前の広場に着陸した反重力車両が、排熱マフラーから大量の水蒸気を放出している。それとは別に、車内の冷房による排水がぽたぽたと車の底から漏れている。
【月庵】
車体の装甲に書かれた白いデカールに、周囲にいた者たちがその目を大きく見開いた。
ある者はぺたんと尻餅をついたまま放心し、ある者は出店すら放棄して一目散に逃走、ある者はビール瓶を床に投げ捨てて銃を構えはじめる。
やがて、風圧で瓦礫を周囲にふきとばした影響でだだっ広いスペースが円形にできあがった広場で、ゆっくりと反重力車両の扉が開いていく。
そこから現れた男の姿に、その場にいた誰もが戦慄した。
奇形の義体者。
六つの腕に三つの顔。
木製であれば国宝として展示されていたであろう阿修羅像を模した義体には、悪趣味極まりない本紫の背広が着せられ、カービン銃と機械刀が装備されていた。そして、円環の盟約の集落にいる住民の一部は、その特徴的な容姿を知っていた。
忘れるはずもあるまい。
八年前、東京決戦による災害の傷跡が残る復興集落に、ひとりの無差別テロの実行犯が現れた。
大規模スタンピードに突破された第三地区の一部が流民と化し、身を寄せ合うように形成されていた十六ものキャンプ地すべてに、極めて殺傷性の高い神経ガスを投げ込んだ者がいたのだ。
L‐VXガス*によるテロ攻撃は、瞬く間に大人、女、子ども関係なく皆殺しにしていき、残った生存者はみな視力を潰され盲目患者となった。
愉快犯ではない。
同時多発的に発生したテロ事件は、のちに明確に殺意のあった計画犯がいたことが示唆される。当時、第三地区はネオミナトミライと敵対関係にあった企業が多数あり、たびたびヨソの企業同士を傀儡にした代理戦争をよく行っていた。
情報屋が言うには、第三地区そのものが邪魔だったネオミナトミライのどこかの企業が、“見せしめ”として行った惨事なのだろうと。これは『我々の利益独占に仇名す者は、如何なる者であろうと容赦しない』という意志表示に過ぎないのだと。
犠牲者の大半が第三地区の企業で働いていた労働者や管理者たちだったとはいえ、見境なくトドメを刺す所業に誰もが震え上がった。
いま、ここにいる住民の中には、当時そこで惨劇を目の当たりにした者も多い。皮膚と網膜、義眼移植によって視力は戻ったものの、彼らの中には譫言のように繰り返すだけの廃人になった者も少なくなかった。
六本の腕、三つの顔。
黒い箱、『月庵』の文字。
彼らはその言葉だけを、病床の上でいつまでも呪文のように呟いていた。
***
「この、クソ野郎――――ッ!!」
直後、当時の流民の生き残りたちが銃を手に取り、憎悪にまみれた顔でぶっ放しはじめた。彼らが集落を追われ、難民キャンプを放棄せざるを得なくなった仇敵と言ってもいい。それが目の前に立っているのだ。彼らにはトリガーを引く躊躇など微塵もなかった。
瞬間、凄まじい量のマズルフラッシュが点滅し、その阿修羅の男と反重力車両に弾幕が張られる。乾いた広場に鼓膜が破けるほどの銃声が響きわたる。車の防弾ガラスに弾痕が刻まれ、硝煙と砂ぼこりが阿修羅の義体を覆っていく。だが――
「『『ノイズ』』」
ボッ。
かろうじて聞き取れたのは、阿修羅男の奇怪な「単語」と周囲で連続する不可解な『爆発音』だった。阿修羅の三つの顔にある六つの瞳、そのすべてが点滅している。まるで鉄塔の航空障害灯と同じ赤色の点滅が、砂ぼこりの中からぼんやり滲み出るように現れる。
『はい、10キル』
『この円から内側はキルゾーン。入れば殺すよ~』
その瞬間、銃弾を放った野次馬の十数人が膝から崩れ落ちた。
頭部がなくなっている。気づけば、広場には脳漿をまき散らしながら倒れる死体が転がっていた。ぐずぐずに沸騰した脳漿が、アスファルトにへばりつくガムのように四方八方へと飛び散っている。
それに比べ、阿修羅の体には銃創ひとつなく、彼らはみみっちい銃撃に退屈するように首を鳴らすのだった。
「さて、どうしたものかな」
***
「よせッ、手を出すな!!」
「……、宮内団長っ……」
数分後――。
広場に宮内がやってくる。
すでに周囲は難民ではなく、それなりに武装した戦闘員に囲まれており、阿修羅に複数のスポットライトが浴びせられていた。
俺はひとり野次馬の一番外側から、何とかその様子を見ていた。
「離せ、離せよバカヤロ――!」
阿修羅はひとりの少年を人質にとっていた。
のっぺらぼうの白い義体の少年だ。実年齢は知らないが、少年は年頃の子どもらしく役員の腕元で暴れている。少年ががじがじと役員の腕を齧ったりする中、阿修羅の男は気にすることなく、残りの二対で握った銃を周囲に構えている。と、そのとき――
「バカ、隠れてなさい!」
「ァっ、ぶッ――」
突然、誰かに地面へと捻じ伏せられる。
何とか横目で後ろを見ると、そこには鬼気迫った顔のカーラがいた。そうしている間にも、状況は瀬戸際で硬直したままだ。それを打ち破ったのが、阿修羅が声高に言うキルゾーン内に堂々と踏み入った宮内だった。
「ご用件でしたら、応接室にて紅茶の一杯でも用意しますが……」
あくまでも柔和な態度で、宮内は阿修羅男を穏便に対応したいらしい。さすがに企業の対応は慣れているとはいえ、相手があのネオミナトミライの三大企業のうちの一社ともなれば慎重になるというもの。
だが、月庵の使者はあくまでも退屈そうに返答するのだった。
「ふん、応接室というのは、このようなみすぼらしい集落にある家畜小屋の一室に使われていい言葉ではないのだよ。……まァ、いい。要件は今この場で告げる。貴様らに拒否権はない」
瞬間、周囲にいた傭兵崩れたちの殺気が膨れ上がる。
だが、みな銃口を向けこそすれど、今回はトリガーを引くのに誰もが躊躇していた。
阿修羅男の攻撃手段は、あの六つの腕が持つ四丁の銃に二本の機械刀だけに見える。だが、先ほど見せたあれはハッキングによる頭部の爆破だ。何が起こったかは理解できる。しかし、その手段がまったく分からない。
今しがた殺された連中の中に、脳ミソを脳核に変えた義体者はわずか数人しかいなかった。それなのに、実際に死んだのは十人。つまり、さっきの見えざる攻撃は単なる脳核をオーバーヒートさせたものではない。
原理が分からない不可視の攻撃。
それが彼らのトリガーの引く指を躊躇させていた。
「数日前、我がネオミナトミライ上層・月庵本社より、クロノと呼ばれる男が脱走した。ヤツは補強中だった下水管の中を通り、最下層へと逃亡。その後、地下空洞を伝って周辺の集落まで逃亡した可能性があると」
「……クロノ? さあ、聞いたことないですね」
『とぼけるな。調べはついている』
「さあ、そう言われましても……、仙台の方に行ったんじゃないですかね? あそこは酒と爆発物の闇市があることで有名なので、……ほら、半年前の下層の天井を爆破したやつも潜伏してるって噂ですし」
カーラ・キャンベルはゴミ集積場にこちらの頭をめり込ませたまま、さらにゴミ袋に顔を生めるように後頭部を押し込んでくる。万が一、顔認証でもされたらマズいことを知っているからだろう。
あの車両の装甲板の下には360度を録画する高性能カメラがついているはずだ。今この瞬間も、野次馬ひとりひとりの顔を認証している。不幸中の幸いはスポットライトの逆光が、その作業を妨害していることくらいか。
野次馬の足のスキマから、広場の中央がわずかだが観察できる。
『ハハッ、あいつ嘘ついてるよ!』
そのとき、突然、阿修羅の右側の顔が無邪気な口調で喋りはじめる。心臓がないはずの宮内の義体がわずかに揺れる。修羅のガキはそれを動揺したと捉えたのか、懐から何かを取りだしながら声高に叫びはじめる。
『これを見てみなよ! 月庵は治療費が払えず、逃げようとするやつには発信機付きのナノマシンを点滴に混ぜる。そして、これはこのクソガキが持ってた血を吸うヒルだ。探知機は発信源をこのヒルを示してる。つまり、僕らの探す逃亡者はこの集落に来て、姿を眩ますため痕跡を消したってことさ!!』
「…………」
うねうねと動くヒルに、阿修羅に掴まれたのっぺらぼうの白い子どもの顔色はますます悪くなっていく。今では白かった顔も真っ青に変わっていく。
『逃亡犯を匿うことは、ネオミナトミライ最深部のマリアナ海溝鉱山送りになる。強制労働は最低でも三十年コースだ』
「……うちでは元々、あなた方の月庵のナノマシンの模造品も作っているので、その過程で同じ信号を放つようになった個体かもしれません。どちらにせよ、うちにはそのような人物はいないので、早々にお引き取りください」
にこにこと微笑みながら、なおもシラを切る宮内に業を煮やしたのか、阿修羅は露骨に苛立ちを隠そうともしなくなっていく。
「はぁ――、まぁいい」
直後、阿修羅の正面の顔がタメ息をつき、ようやく口を開いた。
正常な人間の肩の位置から生えている中段の腕は、その正面の顔が支配権を持つものらしい。さっきまで人質として使っていた子どもを容赦なく突き飛ばすと、阿修羅は両腰の機械刀の鞘に手を添えながら鯉口を切る。
「埒が明かない。皆殺しにして探す方が早い。……最後のチャンスをやろう。……逃亡者を出せ、でなければ――」
「そうなれば当然、オレが出てくることくらい、分かるよな?」
次の瞬間、阿修羅を模した義体の左肩に、鈍い光を放つ機械刀を置く者がいた。
黒鉄だ。
レイピアのように細い両脚、赤く光る単眼の義体者は、スポットライトの当たる範囲ぎりぎりの外側から機械刀だけを突き出している。そのせいか、暗闇の中で赤い単眼だけが浮いているように錯覚する。
照明は牽制であり、奇襲の成功率を上げる布石。原始的とはいえ、相手の視界を妨害するにはこれ以上ない手段だったのだ。すでに抜刀し相手の首筋に刃を置いた時点で、後は義体者の弱点のひとつである頸椎を切断すれば、阿修羅を殺すことは充分に――
「ふむ、なるほど。電波妨害も動いている。いま、ここで私の首が切断されれば、脳核と義体とが連携できなくなりスクラップにできる。そう考えているわけだ」
「…………」
「それにしても……光学迷彩か。相変わらず、姑息な奇襲しかできない畜生どもが」
「はっ、お前ら企業が言えたことか? お互い様ってヤツだろーがよ」
ブラフ、ハッタリ。
憎悪、畏怖、苛立ち、怒り。感情のヘドロを腹の底に押し込んでお互いに牽制し合う中、阿修羅の両サイドの人格の顔が、焦った表情でぼそぼそと喋りはじめる。
『まずい、まずいよ。……こいつ、よりにもよって三ツ橋を裏切った黒鉄だ。いま戦うのはまずいよ』
『不覚、だな』
機械刀から中段の手を離しながら、阿修羅の正面の顔は無表情のまま静止している。だが、しばらくしてようやくタメ息とともに撤退の意思を固めたようだった。
「ふん、まァいい。やつの居場所であればすぐに探し出せるだろう。今はそれで済ませておいてやる。……だが、一ヶ月後、我々はこの集落を滅ぼす」
「……ァア? 見逃すとでも……」
阿修羅は首筋に刃を当てられたまま、黒鉄の方をゆっくりと向いた。
「お前は私を殺せない。いま、ここにいる私を殺したところで、無数にあるバックアップのうちのひとつが消えるだけだからな」
「…………」
「勘違いするなよ? これは私からの温情、……情けなのだよ。いま、この場でこの義体が大破するまで殺し合いをしてもいいが、黒鉄、いかにお前の力でもここにいる非戦闘員をすべて守りながら戦うのは無理だろう」
「……チッ」
黒鉄は渋々、機械刀を納めると腕を組んだ。
「では、我々は帰るとしよう。黒鉄、あんたのことは報告しないでいてやる。そのときの相手は我々ではなく、おそらくヤツが――」
阿修羅は思い出したくもない人物を考えてしまったような苦い顔を一瞬すると、頭を振って反重力車の扉を叩くのだった。
阿修羅が開いた扉を潜り、ソファー型の座席に腰かけると、再び音もなくスライドして扉が閉まる。反重力車両がゆっくりと上昇していき、月明かりを浴びながら急速にネオミナトミライ方面へと加速していく。
あっという間にテールランプの赤い尾が消えていくのを、野次馬たちはしばらく放心しながら眺めているのだった。
ひゅうと夜の生暖かい風が吹く中、ようやく危機が去ったことを認識したのか、各々の作業へと戻っていく。人質の子どもを介抱する者、瓦礫を撤去する者、どさくさに紛れて物品をくすねる者、そして死体を服で隠す者。
宮内と黒鉄が話し合っている。周囲の喧騒が増えたこともあり、ここからでは会話を聞くことはできない。
だが、何かを憂慮するような顔つきをしている。
後頭部の圧が減り、俺はようやくカーラ・キャンベルから解放された。振り返ると、彼女の顔もまた険しいものだった。
「まったく、いったい何だったんだ?」
そのとき、座り込んでいた俺の近くの野次馬のひとりがぼやき始める。彼らはどちらもこの後夜祭に店を構えていた物売りらしい。
もうひとりの男がそれに答えるように口を開いた。
「あれが定期的に来る、企業の挨拶ってやつだろう。やつらは何か要求があると、事前連絡なしでいきなり来るんだ。珍しいことじゃない。だが、まさか月庵が来るとは……」
「あいつ、この集落を潰すとか言ってなかったか。……なんで一ヶ月なんだ?」
「おそらく、企業間条約『首都三大企業連盟』を更新するための『C3サミット』が、今からちょうど一ヶ月後にあるからだろう」
「なんじゃそりゃ?」
阿保っぽい言い方で、そいつは口を半開きのままにしている。
「オメー知らねーのかよ。……医療、情報、武力。大企業三社が互いを助け合い、ネオミナトミライの障害を排除する。そういう協力関係のことだ。……ま、当初は善意での協力関係だったんだろうが、すでに都市が建設された二百年前に締結されたものだから、今じゃ、どうやって他の二社を出し抜いてやろうかしか考えてないだろーよ」
「ははー……、つまりいま、月庵がすこしでもヘマをやらかせば、他の二大企業に対して不利になる。だから、さっきの阿修羅野郎はテキトーな理由つけて帰ったんだなー」
気づけばカーラの姿が消えており、周囲には襲撃の復興作業に勤しむ団員でごった返していた。とはいえ、このような事態は日常茶飯事なのか、凄まじい勢いで瓦礫が撤去されていく。人の生き死にも珍しくないのか、悲しむような声は聞こえてこなかった。
(……なんだ?)
そのとき、視界の端で黒鉄の眼光が一瞬、野次馬のスキマから見る俺の方をじっと見ていたような気がした。
宮内団長が言うには、あの義体者が今度なんらかの訓練をしてくれるらしい。
月庵の刺客と渡り合えるほどの実力の持ち主がどんな人物なのか、そんなことを考えているといつの間にか黒鉄の姿もなくなっており、俺は気づけば自室の方へと歩きだしていたのだった。
***
いろいろなことが起こりすぎて、もう一歩も動けそうにない。
小綺麗なホテルの客室のベッド、何ひとつ私物のない部屋。どこかからかスキマ風が吹いている。誰かの口笛のようなソレを聞きながら、俺はぼんやりと天井を見上げた。
義手も試さなければならない。
必要なもの、足りないものだって山のようにある。身を守るための武器、装備、食料、その他諸々。この集落のさっきいた場所には、たしか夜だけ開かれる闇市があったはずだ。地域ルールはあるだろうが、慎重に行動すればいきなり撃ち殺されたりはしないだろう。
新しい左腕は前よりもすこし太く、右と比べてかなり重く感じる。それでも、俺はその金属の塊を枕代わりに後ろにまわすと、そのまま眠りにつくのだった。
「L‐VXガス」
浴びた者は顔の皮膚が溶け、鼻と喉が焼け、全身の毛穴から血が噴き出す。一部、ナノマシン活動の制限解除によって生き残った者もいるが、そのほとんどが失明し盲目患者となった。
ある程度の規模の集落であれば、簡単なカプセルで臓器培養ができてしまう。そのため、肉体の四肢欠損に対する危機意識はかなり低く、ジッサイ皮膚と網膜の移植もすぐに行われるも、流民分子の中には痛みと過去から目を背けるため記憶改竄プログラム*を浴びる者も少なくなかった。
*記憶改竄プログラム
呼び方に種類はあるものの、ポリゴンショックのように強い光の点滅を浴びながら、脳に電磁波を当てることで記憶の改竄や人格の修正ができると謳われている。てんかん発作のリスクがある民間療法。当然、保険は効かない。
(第1章 閑話「PTSD磁気治療法」参照)




