第17話 研究室
翌日、俺は集落の地下工場のさらに深部へと足を踏み入れていた。
白衣を着た李に言われるがまま連れられながら、違法複製工場から明かりもろくにないような地下道を下っていく。
今日のスケジュールは午前中は彼にこの集落を案内してもらい、夕暮れ時にあの赤い単眼の義体者『黒鉄』の訓練、そのさらに後にカーラ・キャンベルから何やら話があるらしい。
李が階段を降りていくたび、彼の持つLEDのランタンがぶらぶらと揺れる。一寸先も見えないほどの暗闇の唯一の光源が、右、左、右、左と小刻みに狭い地下道を照らすせいで、地面が揺れているような錯覚を起こしそうになる。
船酔い、乗り物酔いに似ている。
俺は気持ち悪さに耐え切れず、じっと彼の後頭部のつむじに視線を固定させた。
李。
彼はおそらく義体化手術を受けていない生身の青年だ。
年相応の価値観に、腐りきっていない精神、一見すると高校に通っていてもおかしくないように感じる。だが、それを否定するのが彼の白衣の下、両脇のホルスターにある二丁もの拳銃だった。
研究職然とした青年の着る白衣にも黒い染みが何箇所か残っており、想像するまでもなく返り血なのだろうことが分かった。しかし、目をよく凝らしてみると、他にも得体の知れない薬液がびっしりと染み付いている。
触れただけで指の皮膚がぼろぼろになりそうだ。
「…………」
階段を降りる。
そのたび、足元から這い上がる冷気がキツくなる。
あまりにも深すぎる場所にあるせいか、徐々に不安を覚えた俺は、前を歩く李に話しかけた。
「……なぁ、こんな深いところに、ホントーに研究室ってのはあるのか?」
「うん、あとすこしだよ。……これだけ深いところにあれば、万が一、実験中に暴発しても上の拠点に被害はでないからね」
しれっととんでもない発言を聞いてしまった。
逆に言えば、暴発すれば自分たちはタダでは済まないということ。この先に核爆弾でも眠っているのだろうか。
そうこうしているうちに、俺たちは目的地に到着したようだった。
遠くで地下水の滴り落ちる音だけが鳴るトンネルは、かなり昔に放棄されたのか懐中電灯でもなければ一寸先も分からない完全な暗闇に満ちていた。
地下鉄の駅ではなく、その道中の駅間トンネルらしい。よく見ると、両サイドが崩落しており、ここだけが密閉空間のようになっている。巨大な岩盤が道を塞いでおり、線路が捲れ上がっている。
ついこの前まで使われていた第三地区のインフラ網とは別で、それよりもずっと昔に使われていた地下鉄だろう。おそらく、俺がコールドスリープする前に使われていたもの――。状況から察するに、隕石落下あたりの災害でトンネルが崩落し、生き埋めにされた乗客がいたのかもしれない。
さっき通ってきた通路がいつここに繋がったのかはしらないが、彼らが餓死したなんて末路は見たくない。周囲は暗くてよく見えなかったが、俺は白骨死体でも見てしまわないように意識的に視線を外した。
ランタンの明かりがぼんやりと空間を照らしだす。
地下トンネルの奥には、幽霊船のように佇む地下鉄の車両があった。
脱線したまま放棄されたそれが、例の『研究室』らしかった。
簡単な足場を登り、緑色に発光する「EXIT」の非常灯だけが頭上で光る車内に入ると、李が近くのスイッチを操作して一両目の照明を点けた。
地上であれば物足りなく感じるだろう間接照明も、この暗闇の中ではすこし眩しく感じる。振り返って入口を見てみると、そこには深夜の海上のように真っ暗な地下に、車内の光源がじんわりと広がっていくところだった。
「ああ、そこの扉、手動式なんだ。悪いけど閉めといて――」
「あ、ああ……」
いや、目が慣れてきただけか。
どちらにせよ――夜の海を漂流中、遠泳漁業用の漁船に乗り込んだような安心感を感じながら、俺は車両の扉をスライドさせて閉じた。
こちらを歓迎するように眩しさを増した車内には――実際は扉に光が反射しただけなのだが――多種多様な実験用の家具が置かれていた。
まず、座席を取り外していることもあってか、想像よりもかなり広く感じる。運転席との仕切りや運転台が取り外されているせいもあるだろう。荷物を置く網棚のスペースや手すりに、びっしりとモニターやら機器やらが括りつけられている。
「クロノ、きみはQ粒子やチルドレンのことをどれだけ理解ってる?」
竹、蔦、仙人掌、薫衣草、鈴蘭、等々……。
植物園かと見紛うほどのラインナップ。置かれている研究機器からして、この研究室はバイオテクノロジーに特化したものらしい。
車窓にかけられた横長のワイドモニターにも、植物の断面がでかでかと映しだされている。マイクロスコープで撮影されたものだろうが、何を観察したかったのかまでは分からない。花と土の匂いを軽く吸い込んだあと、俺は口を開いた。
「Q粒子は空気よりも重い性質で、チルドレンの核の中にあって、無尽蔵のエネルギーを生み出している、くらいしか……」
「半分正解、半分不正解だね」
李はそう言って、そそくさと後部車両へと歩いていく。
奥にももう一両改造した部屋があるらしいが、貫通幌とスモークガラスに加工されているせいか見通すことはできない。だが、李が扉を開けた、その直後――
――――ギィィイイイ!!!!
車両が振動するほどの凄まじい叫び声とともに、がたんがたんと盛大に揺れだす。
ちらりと覗こうとするも、何かを育成しているのか、薄っすらとピンク色の蛍光灯に照らされた檻が見えるだけだった。
「ああ、あの悲鳴は気にしないで。あっちの車両はバイオプラスチックの研究に使う雑草もどきとか、実験用のラットとかを飼育してるスペースで、あいつらが光に反応して暴れただけだから」
扉が閉まるのと同時に、一瞬で叫び声が収まっていく。
一瞬、奥の部屋の防音性能がスバ抜けているのかと思いきや、単純に実験生物たちが休眠状態に入っただけらしい。
チルドレンは不死身とはいえ、自由に活動するために別のエネルギー源を必要とする種類もいる。雑草が自立歩行するように変異したエイドフェイカーともなれば、わずかな光で活発化し、逆に光がなければ動かなくなるのは自然の摂理なのかもしれない。
李がゴム手袋越しに抱えていたのは、一匹のトカゲだった。特に異常も凶暴性もない、いたって普通の個体だ。李はトカゲを摘まむと、テーブルの上に固定されているガラスケースへと放り投げた。
光の反射からして、防弾仕様のガラスケースらしい。
「今から、このトカゲに高濃度のQ粒子を吸収させる。……どうやって普通の生物が新生物化するのか、きみにはその過程を見てほしいんだ」
李はそう言って、近くの壁に固定されているガスボンベのバルブを捻り、放出用のホースを水槽の中に入れて蓋をした。すぐに気体が放出される音が鳴りはじめる。ホースから出てきたのは、ぎりぎり視認できるほどの大きさをした虹色の粒子だった。
李が「この程度でいいか」と、バルブを再び閉め直す。その頃にはすでに、ガラスケース全体がその粒子で充満していた。一秒、二秒、――三秒が経つ。トカゲに変化はない。だが、その粒子がふわふわと磁力で引き寄せられるようにトカゲの全身へと集まっていく。と、そのとき――
――バグンッ。
トカゲの体が膨張した。
心臓が脈打つたび、体内で爆発でも起こっているかのような振動が繰り返され、体が風船のように膨らんでいく。やがて――バグン、――ボグンと吃逆のように痙攣していき、最終的にトカゲは一、二まわり大きくなったところで落ち着くのだった。
トカゲの眼がキロリとこちらを視認する。
その瞬間、いきなりガン、ガン、とガラスケースに向けて頭突きを始めるのだった。明らかに殺意が漏れでた行為に、俺は思わず数歩下がってしまう。
「……クロノ、きみはこれをどう思う?」
「すこし大きくなった。あとは、人間に敵対心を持ちはじめた、くらいしか……」
「そう、それだよ」
李が指を鳴らした。
「つまり、Q粒子には何らかの『意志』がある。それこそB級ゾンビ映画のウイルスみたいに、生物間で感染して感染者を増やすような意志だ。でも――」
「でも、これはバクテリアやウイルスとかの有機生命体じゃない。無機質で、粒子状の、もっと違うナニカ……」
Q粒子の『Q』は正体不明の頭文字を意味しているのだろうか。それとも、電子顕微鏡で見たときの粒子の形がQに似ていたから――? どちらにせよ、ゾンビ映画に出てくる細菌の類でないことは確からしい。
遅まきながら話を遮ってしまったことに気づき、俺は慌てて顔をあげるも、そこにあったのは歓喜に満ちた李の顔だった。
「おおっ、ここまで物分かりがいいひとは初めてだよ、いいねいいね! じゃあ、コイツを使って次の実験をしようか」
李は「ええと、心臓を潰すための金槌は――」と物騒なことを呟きながら、引き出しの中身をガサゴソと卓上に散らかしていく。
「Q粒子が生命体を侵蝕するとき、じわじわと細胞の中に蓄積されていく。取り除くには、僕らの肉体の細胞膜を行き来できるほど微細な医療用ナノマシンが必要になる。月庵の最上級プランとかのやつだ」
「医療用のナノマシン?」
「……ナノマシンは安いほどサイズが大きい。無理やり毛細血管を通ろうとしたり、細胞に無理やり働きかけたりすれば当然小さな傷ができる。……だから、きみは数日前まで血尿だしてたんだろ」
俺は自分の背中の左右にある腎臓に小さな痛みが走ったような気がして、思わず腰をさすってしまう。
「じゃあ細菌やバクテリアなんかも、チルドレン化する可能性もあるんじゃ……」
「いんや、侵蝕先の生物が小さすぎると、膨大なエネルギーに耐え切れなくて自壊する。サイズは寄生虫くらいが限界だよ。こいつがぶくぶくとでかくなったように、侵蝕体は膨大なエネルギーに比例して体が大きくなる。逆に言えば、侵蝕された動物のサイズが大きければ――」
李はじっとガラスケース内のトカゲを見下ろす。
時間が経つにつれ、新生物化したトカゲは際限なく大きくなってきているように感じる。このままいけば、もしや闘技場で出てきたトカゲもどきのようになるのではないか。そんな一抹の不安がよぎる。
「あの闘技場にいたグミトカゲみたいになるのか……」
「一番ヤバいので言うとクジラとかかな。……あのトカゲもどきもやばいけど、やっぱり海洋型の新生物が怖い。海中だと浮力があるから、際限なくサイズが肥大していく。生物濃縮の係数もレべチだしね」
李が蓋を開けると、瞬間、トカゲがその身の丈に見合わぬ跳躍力で飛びだした。向かう先は李の首筋だ。新生物化の影響で鋭利に伸びた牙で、頸動脈を喰い破るつもりなのだろう。
しかし、李はゴム手袋で難なくそいつを鷲掴みにすると、そいつの胸部めがけて金槌を振り下ろした。
――――ガァン!!
銃弾が暴発したような音が鳴った。
金槌はトカゲの胴体を貫通し、テーブルは盛大に陥没していた。むろん、半分ほど心臓がコア化していたが、李の一撃はそれもろとも木っ端みじんに粉砕していた。
「ふー、死んだか」
虹色の粒子があたりに霧散していく。
一瞬、侵蝕されると体を退くも、トカゲを大きくしたことで量が減っていたのか、そこまで粒子の量は多くなかった。
「……意外と扱いやすいんだな」
「放射性物質じゃないからね。ただ、このボンベがぜんぶ爆発するとさすがに死ぬから、万が一のときはここの地下トンネルごと生き埋めになる手筈になってる」
李は続いて、近くの壁掛けのモニターにあるものを映しだした。左右で区切られた二枚の写真は、どちらも何かをマイクロスコープで撮ったものなのか、断面図のような円が密接にくっついているものだった。
「これを見てくれ。僕らが普段使ってるナノマシンを水で溶かしたやつと、Q粒子を水に溶かしたやつだ。どっちも水に溶けやすいからね。この図はパレットの底に沈殿していたものを、乾かして光学と電子顕微鏡で撮影したときのものだ。……なにか思わないかい?」
左の写真のナノマシンが『10μm』で赤血球と同じ程度のサイズで、よく見ると円の中に小さな機械部品のようなものが確認できる。
だが、右の写真のQ粒子は『10nm』と書かれており、ナノマシンよりも千分の一以下のサイズであることが分かる。インフルエンザウイルスとほぼ大きさが変わらない。そして、その円の中には何かが――
「……構造が、似てる?」
サイズこそ違えど、その構造は驚くほどそっくりだった。
「そう、それなんだよ。ナノマシンと構造が酷似している。でも、侵蝕の仕組みや増殖方法がまるで分からないんだ! なぜ生物を変異させ、無機物を漂白するのか。どうやって莫大なエネルギーを生んでいるのか」
「…………」
「つまり、この粒子を僕らのいまの文明で再現することは不可能なんだ。月庵や世界の企業たちは、この粒子を参考にナノマシン技術を飛躍させた」
「……なら、Q粒子は俺たちが普段、使ってるものよりも高度な技術で作られたナノマシンってことになるのか? だが、いまの月庵とか三ツ橋重工の最新技術なら――」
饒舌に喋っていた李がぐっと唇を噛み、ゆっくりと頭を横にふった。
「いいや、無理だ。……縄文時代の石で投げやりとか作ってるやつに、今のナノテクを理解させようとするのと同じだ。文明のステージがあまりにも違いすぎる。それに、僕たちの使ってるナノマシンは元々、このQ粒子の構造を参考にして作られたものなんだ。まるで、僕たちよりも遥かに先を行く文明によって作られたみたいに」
「それは、いったい――」
「これは持論なんだけど、これを今から三百年前……いいや、地球に来るまでの年月を考えれば遥か昔なんだろう過去に創りあげたやつがいる」
モニターが別の映像へと切り替わる。
ライブカメラ。それも俺がこの時代に来る前のものだ。渋谷のスクランブル交差点あたりだろうか。このころはまだ近くに海上自衛隊用の港もあったはず。だが、直後――街が眩い光に照らされる。
一度は収まったその光も、しだいに激しさを増していく。
カメラの揺れが看過できないものへと変わっていく。映像がノイズで乱れ始める。街が閃光に包まれていく。立ち尽くす人々は顔を見上げたまま、やがて――
そこで映像は暗転した。
「……三百年前、世界中に飛来した隕石群があった。五十万年に一度あるかどうかのそれは地上の通信網をほぼすべて破壊し、ほとんどの国は小さな自治体ごとに独立することでしか社会を保てなくなった。当然、人種や宗教、国家間での軋轢が生じて戦争が始まった。混乱に乗じて核爆弾も何発か発射されたらしい」
李は「どこに落ちたのかまでは知らないケド」と付け加えた。
「僕らはこれを見るまで、第三次世界大戦の可能性も考えていたんだ。でも、これは核の放射能汚染で変異した細菌やウイルスじゃない。どこかの研究所から漏れ出た生物兵器の類でもない。この地球上の誰かが作ったものですらないんだ」
「…………」
「なら、この粒子たちは誰が作って、――いったい、どこから来たんだろうね?」
李の瞳が好奇心旺盛な子どものように爛々と輝いている。
照明が点滅する。
地下水が滴り落ちる音が、ほんのすこし聞こえた気がした。
例.
髪の毛の太さが90μm
白血球が6~30μm
赤血球が2~3μm
インフルエンザウイルス100nm




