第24話 復讐③
起爆装置片手にヤツを待ち伏せして息を潜めていると、否応なしに自分の息が上がっていくことに気がついた。脳内麻薬が異常分泌されているせいだろうか。心臓に直接、冷水を浴びせたような異常な寒さと震えが、呼吸のペースを際限なく上げていく。
武者震いか、それとも単に怖気づいているだけなのか。
俺は起爆装置のリモコンをぎりぎりと握り締めながら、ガクガクと芯から震える体を必死に抑え込もうと、強化服の着圧を少しだけ上げる。
「…………」
どちらにせよ、ここから漂白地帯の端に位置するネオミナトミライまで、走って逃げるということは不可能だ。
さっきの腐敗臭のする緑色のガスは、ヤツが体内から噴射したもの。今まで気がつかなかったが、これはエイドフェイカーが獲物に付着させる臭い玉のようなものだ。獲物を逃がさないためにばら撒くチェッカーのようなもの。
もしこの場から逃げれたとしても、道中、臭いを嗅ぎつけた他のチルドレンに襲われ、数の暴力で喰い殺されるだけだ。実際、レベル5のいる地域から円を描くようにして、雑魚チルドレンたちが縁にシワ寄せされた状態で待機しているはず。
安易にその円から出ることは自殺行為に等しい。
そういった意味で、ここはヤツの絶対的な狩場と言える。自分の命大事さに我先にと逃げだした傭兵たちは、今ごろ、大量のオペラキャットの群れたちに襲われて腹の中に収まっているころだろう。
「ステラ……」
右目が鬱血しているような充血の仕方に、俺は下のまぶたを引っ張りながら、思わず舌打ちをした。安売りされてたナノマシンを使ってるせいだろう。いま俺が使用しているのは、公式通販サイトで3キロまとめ買い割引されていたものだ。
品質ランクはDマイナスと書かれていたが、このメカ・ケロイドの進行スピードだとGは軽く下回っているのではなかろうか。
これだから無名企業の特売セールは信用ならない。血中のナノマシンはおもに、生体電気を使用して稼働している。だが、それは使い過ぎれば血管などの体のパーツが損耗していき、メカケロイドの進行も早くなる。
脳や内臓などの毛細血管が破裂する限界点はかなり低い。この右目の鬱血もナノマシンによって引き起こされたものだろう。となれば、激しい運動をするだけでも破裂する可能性がある。
「左耳だけ、左耳だけだ。聴覚を三百五十パーセントに引き上げろ」
瞬間、左耳の奥がつっぱるような違和感と、自分の心臓の音がドクンドクンとうるさくなる。左の鼓膜だけが、すこしの布擦れに痛みを感じるほど敏感になる。
そうだ、この際QTEMバンドも必要ない。強化服のバッテリー残量を示すそれも、ヤツが光源の意味を理解するほどの知能を持ち、味方がいない今では邪魔でしかない。いや――
「囮にできるか?」
俺はボソリとそう呟くと、身に纏っていたQTEMバンドを脱ぎ、近くにあった手すりに括りつけていた。バッテリーとの接続ケーブルを切断するも、すぐに光が失われるということはなく、蓄光の性質によってぼんやりと光りはじめる。
見方によっては、そこに誰かが潜んでいるように見えなくもない。
ないよりかはまだマシだ。
やがて、ヤツの気配と足音がやってくる。
俺は片側の鼓膜が破れるのを覚悟で、そのときをじっと物陰で待つのだった。
***
レベル5は憤慨していた。
先の殺戮で数人逃しただけでなく、鋭利な金属棒で危うく致命傷になりそうなほどの勢いで斬りつけてきた白い髪の少女を仕留めきれなかったからだ。あれだけは殺さなければ怒りが収まらない。
瞬間、レベル5は通路脇にぼんやりと光を放つ何かを捉えた。QTEMバンドを括り付けていた手すりにドリルが直撃し、一瞬で木端微塵の塵芥へと変わる。
ついさっき、腹を貫通してあろうことか胃袋を触れてきた男は、同じ目に合わせてやったからまだいい。代わりに、後ろでちまちまと撃ってきた青年からさきに殺そう。あの青年はたしか、全身に光ったリングのようなものを着けていたはず。
レベル5にだけ視認できる腐敗ガスの残滓も、ちらほらと通路に漂っている。これなら、すぐに見つけられる。レベル5はそう思い、廃墟のロビーへと繋がる通路へと入ろうとした。
だが、その瞬間、レベル5はジリッと脳の神経が焦げたような痛みを覚えた。
第六感。
もはや、直接、誰かに体を制止されているのではと感じるほどのソレに、レベル5はためしに帯電させていたドリルで天井を殴りつけようとした。
常時、高電圧をかけて回転を加速させたドリルは、手首の球体状の関節が摩耗するたび、チルドレンの回復機能をフル活用しているためダメージが本体にいくことはない。レベル5の体内には、筋繊維を変化させた発電板が大量にあり、電気うなぎと似た構造の発電器官が四つ存在している。
そのほとんどが背中の肩甲骨に集中しており、発電するたびにわずかだが外殻との間に排熱用の隙間が生じる。すこし不具合があるとすれば、加熱式機械刀の折れた先端がそこに突き刺さっていることか。そのせいで発火している。
その結果や、如何に。
だが、レベル5が腕を振りあげようとした、そのとき――
「おい!」
その通路の奥から、ひとりの青年が現れた。
それは光線銃を発砲してきた、あの青年だった。
「かかってこい、俺はここだッ!!」
直後、青年は持っていた光線銃をレベル5に向け、いかにも挑発するようにして発砲してくるのだった。光弾のように真っ白に熱せられた液体弾が外殻にかかり、一部が熱によってドロリと溶解する。それだけでもレベル5の堪忍袋の緒が切れたにも関わらず、青年は通路めがけて何かを投げてきたのだ。
それは一見すると、ただの発光するケミカルライトの類に見えた。だが、青年はそれに向けてエネルギー弾を狙撃すると、中に入っていた黄色の液体が空中でぶちまけられ、眩い光を放ちはじめ――
【■■■■■■■、□□□□――――】
一瞬でレベル5の視界が真っ白に染まり、四束の視神経が悲鳴をあげる。
レベル5はあまりの怒りに視界が赤く染まっていき、やがて、わずかに残っていた理性さえもを失った。
***
それは『賭け』だった。
チルドレンはどのレベル帯であろうと理性が弱く、外的要因による刺激で本能が暴走する特性があること。ヤツにとっての優先すべき事項が、殺戮と狩りを楽しむことであって『捕食』ではないこと。
それがヤツの足元を救う唯一の弱点のはずだ。
左耳の聴覚を限界以上にひきあげたのは、ポイント弾を認識したQADスコープの位置情報だけを過信しないため。何も酔狂ではない。
直後、レベル5が咆哮したかと思うと、その巨体を通路の外壁にぶち当てながら凄まじい速さで迫りくる。
俺はヤツをじっと睨みながら、そのときを今か今かと待機する。
ふいに、なにか違和感に気がついた。
レベル5の四つもある横並びの赤い眼球がすべて閉じている。瞼だか庇護膜だかをぎゅっと閉じた状態で、手探りで突進してきていたのだ。さらに言えば、目頭からわずかに緑色の泡があふれている。
「――――ッ!!」
なけなしの閃光弾は予想以上に強力だったらしい。
やがて、レベル5が蔵馬の仕掛けたポイントに踏み入れた瞬間、俺は持っていた起爆用リモコンを握り潰す勢いで、そのスイッチに親指を押し込んだ。
刹那、予想よりも数倍大きな爆炎が天井から噴出し、気づけば俺は無色透明な衝撃に体をふきとばされていた。
左耳の鼓膜が破裂したが、そんなことはどうでもいい。
視覚情報、聴覚情報、QADスコープの位置情報、すべてがドンピシャだった。ヤツの肩甲骨の発電器官の排熱口に、間違いなく致死量の熱を逆流させたはず。
間髪入れずに、元々、経年劣化していた廃墟が今の一撃で悲鳴をあげ、やがて通路のみならず骨組みそのものが崩壊するような音を立てはじめる。俺は慌てて立ち上がると、元来たロビーを抜け、豪雨を浴びるべく外へと飛びだしていく。
右耳だけが土砂降りの雨模様だと主張する中、俺は轟音とともに崩れゆく廃墟に巻き込まれないようにすこし距離をとった。そのあいだも、アスファルトの道路で跳ねまわる雨音を、崩壊する廃墟の音がしばしのあいだ塗り潰す。
地響きに足が痺れながらも、やがて、カランカランと金属の棒が転がり落ちるのを最後に、再び止むことのない雨音が主権を取り戻すのだった。
「…………」
蔵馬の言っていたことが本当ならば、これでレベル5を討伐したことになるのだろうか。
ヤツに数千トンもの重量をどかせる馬力があるかは分からないが、生き埋めになった以上一ミリも動けないはず。
「……やった、のか?」
これで、終わりなのだろうか。
ふと、そんなことを思ってしまう。
同時に、すぐにでもステラの捜索をしなければという焦りと、今さら戻ることなんてできないじゃないかという諦念が相反し、顔に張りついてくる雨粒がその思考をさらにかき混ぜていく。
その場で立ち尽くす俺はそれとなく、自分の足がいま踏みつけている道路中央のマンホールを見下ろした。その瞬間――
「はっ!?」
俺が立っていたマンホールを中心に、いきなりアスファルトの道路が陥没したのだ。
立っていた地面が一瞬で消失し、半壊した下水管とともに勢いよく下に向かって落ちていく。あっという間に黒煙のような鬱々とした暗雲が遠ざかり、代わりに自分と同じ速度で落ちていく雨粒たちと目が合う。
(……地盤沈下!? いや、シンクホールか!! ――――深いッ!!)
シンクホール。
地下水による浸食、あるいは高層建築の重みに耐えきれず、地下にある岩石または空間が崩壊し、地表にまで到達する大きな穴が開くことがある。
不快な異臭がいっきに鼻腔を刺してくる。さっきの立坑に溜まっていた水が腐って、それが周囲の地盤に染みて浸食したことで陥没したらしい。レベル5が食事場所としていた異様な臭いの正体にようやく合点がいきながらも、俺は何とか掴まれそうな場所を探そうとする。だが――
「…………ッ!!」
先に落ちていく大量の下水と瓦礫の奥から、爛々(らんらん)と光を灯す四つの真っ赤な眼光――。
瞬間、陥没した穴に何度も反響し、威力を増した咆哮が下から放たれる。おそらく、この地盤陥没を意図的に引き起こした元凶。ヤツは巨大なドリルを回転させた腕を、足元で落下中の瓦礫を削りわけ、轟音を放ちながら伸ばしてくる。
(――レベル5ッ、こんな簡単には仕留められないか。……クソッ、避けられない!!)
俺は湿った泥にまみれながらも、何とか持っていた光線銃の銃身を盾にし、直撃だけは避けようとする。瞬間、目の前で凄まじい火花を散らしながら、銃身が真っ二つに切断されるのだった。
光線銃の電源が入ったままにも関わらず、強制的に高圧ケーブルが引っこ抜かれる。
「まずッ――」
直後、高圧ケーブルと銃身との接続部分から、失明を免れないほどの凄まじい閃光が放たれる。俺はとっさに光線銃を手放し、間一髪のところで右腕で目を隠すことに成功する。その真っ白な光は穴の全体を照らしだすほど強いもので――
――――――――!!!!
瞬間、明らかに悶え苦しむようなレベル5の金切り声が響き渡った。
威嚇や憤怒にまみれたものではない。どこか激痛によって捻りだされたようなソレは、すぐに地盤を揺るがすほどのボリュームまで引きあげられる。
確かに、至近距離で浴びれば失明する可能性のある光量かもしれない。
だが、それだけだ。チルドレンには心臓を丸々修復できるほどの自己再生能力がある。たかが眼球が潰れた程度で、そこまで叫ぶ必要はないはずだ。
「…………」
なぜ、こいつは豪雨のときばかり姿を現すのだろうか。
ふいに、そんなことを思った。
こいつが初めて俺たちと遭遇し、そのデータが持ち帰られて討伐隊が組まれたときには、すでに異常気象による秋雨は終わっていた。それからパッタリと目撃証言は止み、スタンピード発生はないように見えた。
そもそも、『レベル5』なんて記録は数度の世界企業戦争、直近では東京決戦のドサクサに紛れてテロ組織がデータセンターを爆破したせいでほとんど残っていない。海外の要塞都市との交信も、衛星がほとんど機能停止した今では不可能に近い。
このレベル5は、いったい――
「…………ッ!!」
気づけば俺は、盛大な水しぶきをあげながら地下水の湖へと着水していた。足から伝わる強い衝撃。すぐに全身を冷水が覆っていく。俺は急いで息を止め、上から降り注いでくる大量の瓦礫を避けながら、真っ暗な水の中を泳ぎながら水面へと浮上していく。
ヤツはその巨体のせいで、水中で大量の瓦礫に絡まれているようだった。目が見えていないせいで、それを敵の攻撃だと誤認したレベル5が水中で暴れている。両腕のドリルがスクリューのように周速を上がっている。
それが振り回されたことで発生した激流に巻き込まれないよう、俺は急いで水面へと浮上するのだった。
***
「――――っ、ぷはあ!!」
落下時間は二十秒ほど。
かなり地下深くまで落ちてきてしまったらしい。あたりにはドーム状の広い地下空間があるだけで、今しがた洞窟の天井に開いた穴から、わずかな陽光と雨が射し込んでいるだけだ。
落ちている時間は、おそらく二十秒ほど。
かなり地下深くまで落ちてきたらしい。
俺は急いで岸へと泳いでいき、生まれたての小鹿のような動きで這いずり上がるのだった。振り返ると、地底湖の底でレベル5のコアがぼんやりと動いている。もとは凪いでいた水面も、いまやヤツが暴れているせいで荒れに荒れている。
どちらにせよ、ここで戦うには場所が広すぎる。
ヤツと相対するには、巨体を制限する建造物の中の方が良い。
「あれは――」
そのとき、てっきり出口もなにもないと思っていた地下空間の壁に、ひっそりと光を灯す箇所があることに気がついた。人がいるはずもない地底湖の岸の奥まったところへと歩いていくと、そこには厚さ十数メートルはあるであろうコンクリートで覆われた金属扉があった。
それは三ツ橋重工が映像に残していた、地下深くで発見した重厚な扉にも似ており、そして、何よりその表面には――
「B.L.U.E.……」
俺は扉の掠れた文字を読み上げながら、心拍数が上がるのを感じていた。
傍にはアクセスキーか何かを認証するためのパネルがあるが、電源が落ちているのか扉がわずかに開いているだけだ。後ろを見ると、地底湖の水面もだいぶ落ち着いてきており、レベル5が水中から上がってくるのも時間の問題らしい。
扉はレベル5が通れるほど大きくはない。だが、ヤツをこの空間に閉じ込めようにも、扉が重すぎるせいで動かすことすらできない。俺はその隙間に体を滑り込ませていくと、薄暗い通路を足音を殺しながら歩きだした。
レベル5があの扉を潜り抜けることはできないはず。
そう願う反面、嫌な予感はどこか死神のように、常に体にへばりついている気がした。
***
「…………」
俺は無言のまま、かつて自分が目覚めた施設の中を歩いていく。
今度は単に地上を目指すのではなく、ここが何のための施設なのかを知るため、ふらふらとアテもなくさまよっていた。
だが、この地下施設はかなりの深さにあるにも関わらず、相当入り組んでおり、尚且つ膨大な広さがあるらしい。ひとつ通路を歩けば二手に分かれ、また、別の道の突き当たりまで歩くと、またもや通路が分岐する。
まるで迷路だ。
しばらく歩いていくと、ようやくコンクリートの殺風景な壁から、何やら水族館のような巨大なガラスが立ち並ぶエリアへとたどり着く。
俺はその『水槽』の中を見て、酷く後悔した。
「……ぅッ……」
そこにあったのは、ここの施設の職員だったのだろう白衣を着た大量の骸骨の山。それも無造作に投げ入れられたものらしく――かなり時間が経っているのか――ドス黒い染みが水槽全体にこびりついていた。
幸いにも他の水槽には死骸どころか、家具ひとつない空虚な部屋だったが、俺は口を抑えながらその水槽脇の通路を横切るのだった。
やがて、滝のような大きな水音が近づいてくる。
***
オフィスエントランスのような場所だったのだろう地下空間は、いまや汚臭を放つ腐った水で冠水した場所へと変わっていた。一部の排水設備だけがかろうじて生きているだけで、床には水が薄く張っている。
高級なホテルのロビーのような高潔さは微塵も残ってはおらず、何かのモニュメントが大広間の中央に残存しているだけ。薄暗さと壁や天井に張り巡らされた黒いツタがいっそうこの空間をブキミなものにしている。
元は天井から水をモニュメントめがけて流すインテリアだったのだろうが、いまや水道管は破裂し、代わりに流れ込んでくるのは汚水まじりの雨水だけだ。と、そのとき――
「――――、蔵馬……」
そのモニュメントの裏に、何やら見覚えのある青年を見つけた。
蔵馬だ。
胸に鉄骨が刺さったまま、水際でうつ伏せで横たわるそいつに、俺は急いで近づいていく。ずぶ濡れになりながらも、蔵馬の義体を回収しようと滝の内側へと入った瞬間、俺は思わず悲鳴をあげた。
「平気か、しっかりしろ! ――熱ッ!」
蔵馬の周囲の水が沸騰しかけている。
これは、間違いない。義体のQ粒子崩壊炉が炉心溶融しかけている。急いで強制終了しないと、ここら一帯が消滅することになる。
「……クソッ、」
義体の後頭部を探してみるも、純正品の脳核ではないらしく、強制終了用の電源ボタンがどこにあるのか分からない。意図的に取り外すことは違法なので、義体のどこかにはあるのだろうが、いくら探せど見当たらない。
あるのは何かを抉り取ったような痕だけだ。
俺は蔵馬の胸に突き刺さっている金属の鉄骨に目をつけると、指がじゅうと焼けるのも構わず引っこ抜こうとした。直後、蔵馬の口がわずかに動き、俺の腕を掴んでくるのだった。
『ヨセ、……モウ、間に合わナイ』
「……気づいたか!」
義体がもう限界らしく、蔵馬の声は人工的な機械音声へと変わってしまっている。上を見ると、ウォーターオブジェ用の水道管が破裂しており、蔵馬は運よくここに流れ着いたらしい。まるで滝のような水の勢いに押されながらも、俺は何とか蔵馬の義体を岸の方へと引っぱっていく。
『ヨセ、ヤメロ。……バックアップは、アル。……置いてイケ。……ヤツが……』
飛び出た義眼をパシパシと赤く点滅させながら、蔵馬は義体を動かそうとする。だが、すでに神経系の回路のほとんどが熱暴走で溶けているらしく、鉄骨の刺さった胸の中央からドス黒く変色した人工血液をぼこぼこと泡立てるだけだった。
『クソッ、マズイ、ヤツがクル――』
――――ドォン!!
蔵馬が何かをぼそぼそと言った、直後、このエントランス・フロアの壁が轟音とともにブチやぶられ、砂埃を纏いながら乱入してくる巨体な影があった。漠然と抱いていた嫌な予感が的中し、案の定、煙の中から四つの赤い眼光が現れる。
(こいつ、最短距離で壁をぶち抜いて――!?)
俺はヤツと四度目の対面をして、ようやくこれが過去最悪の状況であることに気がついた。さっきまで持っていた光線銃もなく、メインウェポンすらない。あるのは後ろ腰の加熱式小型ナイフと、エディの遺品である多目的応用銃だけ。
だが、いくらエクスマルチキャリバーでも液体弾は取り扱い範囲外だ。
おまけに共闘可能な仲間もいない。
いるのはいつ暴発するかも分からない瀕死の義体者ひとりだけ。そんな最悪の状況に下唇を噛んでいると、後ろから老人のようにヒビ割れた機械音声が聞こえてくる。
『イイ、行ケ』
振り返ると、そこには顔のシリコンの皮膚がどろどろに溶け、下瞼がなくなったせいで義眼がこぼれ、視神経で振り子のように眼球を左右にぶらぶらと遊ばせる蔵馬がいた。
「……蔵馬、だが……」
『そろそろ、オレの、炉心が完全に溶ケル。義体の強制終了プログラムを切った。……ダカラ、ジキ『ヴォイド』が生まれる。……ヤツを道連れにする。……オマエは、その隙に逃げろ』
蔵馬はぐちゃぐちゃになった左手の平を開き、脳核の一部回路や枝状の毛細血管がこびりついた物体を露わにする。自分で後頭部から毟り取ったのだろう部品は、ドス黒い液体の人工血液にまみれていた。
どうやら、ここで死ぬつもりらしい。
いや、義体化手術をして三途の川を行き来できる権利を得た義体者に、『死』という概念はない。だからといって、このまま見殺しにするわけにも――。
『イケッ、あの子ヲ、ダズゲル、……ダロウ!』
「…………」
舌や声帯も溶け始めたのか、急激にその声色から知性と意味がなくなっていく。
いま、この時点において、蔵馬と俺の命には天と地ほどの差がある。少なくとも、蔵馬はそう思っているらしい。
「……すまない」
以前の自分であれば、何が何でも蔵馬の義体を運ぼうと手を貸していただろう。だが、この時代に来てもう長い。そんな行為が無駄なことくらい分かってしまう。
俺はいつしか自己嫌悪するほど物分かりの良くなった自分が、この世界に温もりのある血を瀉血されているような気がしてならなかった。
血液は全身に酸素と温もりを運ぶが、人工血液の役割は義体の通電補助と炉心溶融を防ぐための冷却材。同じ人型で血管の中を流れるのに、役割はまるで真逆なのは、この世界が冷たすぎるからだろうか。
蔵馬を置いてレベル5が現れた壁とは反対の通路へと駆けていく中、俺は左手の義手がいつも以上に冷えっているような錯覚を起こしていた。
***
V.B
対消滅ではない。チルドレンの天然物のQ粒子崩壊炉、および、ニンゲン義体の心臓部で稼働するQ粒子擬似崩壊炉。それらの原理はどちらもQ粒子を崩壊させて電力を得るということ。核融合炉とはまったくの別物だが、仕組みの完全な解明もされていない。
ただ、ひとつ言えることがある。
それは崩壊用の炉心であろうと、溶ければただでは済まないということ。
『ク、た、ばれ――』
瞬間、蔵馬は自らの鉄骨をフレームの飛び出た左手で、奥へ、奥へと押し込んでいく。
レベル5はそんな蔵馬の義体を完全に叩き潰すべく、壁をぶち破るために使っていた巨碗を振りあげていた。
アルト・サインのように、強制終了プログラムが働いていれば、義体に基準値以上の衝撃が加わった時点でQ粒子擬似崩壊炉は強制停止させられる。だが、逆にそれさえ取り外してしまえば――義体の巨額のコストと僅かばかりの記憶を犠牲にすれば――どんな相手であろうと道連れにすることができる。
この距離であれば、外さない。
――――――――ッ!!!!
レベル5が吠えた、直後、蔵馬は全身全霊をかけて自らの炉心に高負荷のプログラムをかけた。同時に突き刺さっていた鉄骨をさらに奥へと押し込み、冷却肺を完膚なきまでに機能停止させる。変化はすぐに訪れた。
蔵馬の義体を中心に、黒い球体が膨張しはじめたのだ。
スピードはさして速くない。だが、物質、音、光すべてを取り込み、まるでブラックホールのようにして周囲の物体を吸い込んでいく。その引力は本物の特異点には及ばないものの、地下深くに建造された研究施設の一部を消滅させるには充分な威力を誇っていた。
異変に気がついたレベル5が逃げようとするも、すでに片足を喰われているせいで動きを取れないらしい。自ら足を切り落として進もうにも、片足だけではこの吸引力からの脱出は不可能に見える。そのことを悟ったらしいレベル5が、最期の雄叫びを声帯が破裂するほどあげるのだった。
***
俺は近くの手すりにしがみつきながら、爆発的に膨れ上がる黒い球体に呑み込まれないよう必死に耐えていた。掃除機のような轟音は止むことなく、全身は常に暴風に晒されている。何十秒経ったのかは分からない。だが、通路の遠くで黒い物体が壁や天井を無視して膨れ上がるのが見えており、あれに吸い込まれたら死ぬという直感だけは働いていた。
それでも、その強風も一分もすれば収まっていき、やがてバチンと大きな破裂音が一度響いたかと思うと、黒い球体は急激に蔵馬の爆心地へと収縮していくのだった。
俺は重力通りに床に両足をつけると、しばらく様子を見てから、その爆心地の方へと歩きだした。
レベル5が討伐されたのか。
もし生きていたとしても瀕死の状態のはず。チルドレンの特性として体を回復している間は動けないというものがある。そうであれば、しっかりとトドメを刺しておかなければならない。
そうして、俺が爆心地のエントランスロビーを覗き込もうとしたとき、ひとつの異変に気がついた。
(なんだ、蒸気……?)
まるで、何かが急激に蒸発したかのような煙が、球体状にくり抜かれた空間に立ち込めていたからだ。V.Bの大きさからして、いくら破裂した水道管の水を取り込んだところで、こうはならないだろう。
それどころか、すこしむわりと肌に張き、温度が他よりも高い気がする。
何か、何かがおかしい。
警鐘を最大限鳴らすように、この場から引こうとした。そのとき――
「は」
直後、QADスコープのまったく無反応の方向から、煙幕を突き破って巨大な腕が伸びてくる。薙ぎ払う動作であることを認知したときには、それはすでに俺の脇腹にめり込んでいた。
――メキョッ
その瞬間、ぶわりと全身の肌が逆立った。
明らかに体内から鳴ってはいけない音。言うなれば、もっとも重要な臓器が潰れてしまったような音。何か生温かいものが喉の奥から溢れてくる。口から糸を引きながら、ツウ――、と出てきた液体は赤く、遅く流れる時間の中で唯一ぎらついた光を放っていた。
「――――」
レベル5の前腕による薙ぎ払い攻撃によって、案の定、俺の胴体はへの字にへし折りながらふきとばされていた。
【B3F(地下三階)】
そう書かれた壁際を通り過ぎ、気づけば俺は研究用実験台がずらりと並んだ部屋へとふきとばされていた。台の上に置かれていたフラスコやビーカーを背中でなぎ倒しながら、淡い破砕音を立てながら落ちていくそれを横目でぼんやりと眺める。
なぜ、あのヴォイドに呑み込まれていないのか。なぜ、QADスコープに映らない位置から攻撃されたのか。なぜ、あんな視界不良の中で俺の位置を把握して――
ありとあらゆる疑問が噴出する中、俺は信じられないものを見ることになる。
遠くで、レベル5が自ら抉り取った右脚の断面を泡立たせていき、一瞬で足を生やすのが見えた。ヤツは勝利を確信したようにして口元を歪ませると、肩甲骨のあたりから体内の熱を排出するようにして、大量の蒸気を漏らして俺の方へと視線を向ける。
ヤツの目は鮮血のように、どこまでも赤く光っている。
レベル5には所々、何かにごっそりと消滅させられたような外傷があった。つまり、あのヴォイドの縁を自らの肉体を削ぎ落ちしながら再生し、その反動で自分の体が完全に呑み込まれるのを阻止していたのだ。後ろに何かを置いていけば、強引にでも前に進める。だが、こんなのは運動の第三法則の悪用でしかない。
「……は? ……ふざっ、け、んな……」
(あんな化け物に、勝てるわけないだろ……)
ヤツの本能は『貪食』、すべてを喰らうことで力を得てきた故の生存本能。チルドレンにとって、コアさえ残っていれば、あとは自然に全回復する。頭部が欠損しようと、手足がもげようと、内臓が破裂しようと元通りになる。
だが、あのレベル5はその速度が異常なのだ。
あまりの理不尽さに、俺は自分の心が折れる音が聞こえ――
【■■■■■■、□□□□――】
そのとき、ふと、頭の中で糸屑のように絡まっていた違和感が解けていくのを感じていた。
俺はなにか重要なことを見落としている。……いや、見誤っている。
ヤツは本当に熱に弱いのか?
確かに、Q粒子崩壊炉という半永久的なエネルギー生成器官の代償として、体外に熱を放出しなければならないという縛りがチルドレンには存在する。だが、ヤツにとって排熱の有無はさして重要ではないのではないか。
なにか、なにか別の問題を見落としている。
レベル5の本当の弱点は別にあるんじゃないのか。俺はそう思わずにはいられなかった。
(考えろ、考えろ、そのちっぽけな脳みそで状況を把握し、対抗策を、――勝ち筋を考えろ!)
一度、未完成の方を誤って投稿してしまいました。すみません




