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オル・トア ―短編集―  作者: 流留架
レスティア
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2/5

EP.レスティア

 その少女は、視線を目の高さのままにして、静かに座っていた。


 部屋に集まっていたのは、この国の中心となる人たちだ。

 視線を一身に受け、身体を固くしながらも、ただ受け入れているようだった。


 緊張して落ち着きがなかったのは、隣にいるユアンの方だった。

 隠しておきたかった宝物でも見るような目で、しきりにその少女を気遣っていた。


 歳は17、18くらいだろうか。

 腰まで落ちる白銀の髪は光に透け、異国の祭儀で纏うような正装で現れた。

 彼女は敬意を持って、この場に赴いた。

 それが伝わった。


 ひと目見て思った。

 この子は、自分という存在を深く理解している。

 人から自分がどう見えるか、それにどう対処するべきか。

 まだ若い彼女が、そうなった理由を、今になって考えてしまう。



「今日はゆっくり過ごしているのね」


 よく響く声に振り向くと、身なりを整えたナーシャが歩いてくる。

 深い緑の髪は以前のように艶めき、瞳は色を取り戻した。

 数日前まで、満足に起き上がれなかったとは思えない。


「ええ、少し……考えたくて」

「隣に座ったら邪魔になるかしら。久しぶりに、一緒にお茶でもと思ったのだけど」

「ありがとう。嬉しいわ」


 内務区画の中庭にある東屋は、レスティアの定位置だ。


 澄み切った蒼い空は、随分と高い。

 ほどよく木が茂り、木陰を抜ける風が空気を冷やす。

 本を読んだり、考え事をするときはいつもここに足が向いてしまう。

 忙しない王城の中で、ここはいつも静かだ。



「ライラ、新しいお茶を用意してくれる?」


 後ろに控えるライラに声を掛けると、ナーシャはライラを目線で制した。


「いいの、今日はレスティアと一緒に飲みたいお茶があるのよ。それでもいいかしら?」

「お茶を? 控えた方が良いのではなかった?」

「飲んでも身体に障らないお茶を頂いたの。とても美味しいから、あなたにも飲んで欲しいと思って」


 ナーシャはいつも、朗らかな笑顔を絶やさない。

 この人がいるだけで、場の空気は明るく和やかになる。

 子供の頃からずっと、ナーシャの周りはいつも笑い声で溢れていた。


「それは楽しみね。是非いただきたいわ」

「実はもう準備を頼んでしまったから、断られても飲んでもらうつもりだったのだけど」

「そうでしょうね、ミトの姿がないもの。予想はつくわ」


 ナーシャはくすっと笑い、視線を庭へと移す。

 大きく身体を伸ばし、深く息を吐いた。


「外は気持ちが良い……」


 庭を眺める横顔が、眩しそうに目を細める。

 この姿を見ると、自然と肩の力が抜けていく。


「本当に……元気になって良かった」

「……私も、そう思う。正直、何も考えられなくなっていたの」

「よく頑張っていたと思う」

「子供を諦めるつもりはなかったし、その為に自分がどうなってもいいとは思ってなかった。でも、じゃあ何をすればいいのか……考える余裕がなかったの」

「当たり前よ。20年以上一緒にいて、笑わないナーシャを初めて見た。あなたがそれだけ辛いのに、何もできない自分が情けなかった……きっと、それは皆同じだったと思う」


 ナーシャは小さく頷く。

 誰よりも人をよく見ている人だ。

 些細な心の機微に気付き、細やかに人を気遣う。


 だからこそ、皆の思いが辛かったはずだ。


「彼女には、心から感謝しているの。藁にもすがりたいって、本当にあるのね。ウィランの話を聞いたときも、期待を持てるほど心が強くなかった。断る元気すら……残っていなかったのよ」

「……ええ」

「……信じられる? 手を握って、ほんの数分よ。それで、それまでが嘘のように治ってしまった。……身体だけじゃなくて、心まで救われた気がしたわ」


 思い出すように語るナーシャは、心底幸せそうだ。

 人にこれだけ深く癒し、満たすのが彼女なのだ。


「私もそれは同じよ……彼女にはとても感謝している。でも……」

「……」

「それと同時に、怖いと思った」

「心配なのね」

「……それだけの力に、何の代償もないなんてあり得ない。人からどう見えるのかも、彼女は分かっているはず。分かった上で、迷いなくナーシャやユアンを助ける」

「そうね」

「自覚した上でそれを選べる彼女の強さは尊敬するわ。でも、どうしても危うく思えてしまう。彼女がこの国に与える影響も……。アルデニアがそれに支払う代償は、どれほどのものかしら」


 ナーシャは黙ったまま、笑みを崩さない。



「お待たせいたしました」


 ミトが用意したカップからは、爽やかな花の香りが立つ。

 ガラスポットの中で、乳白色の花弁が見事に開く。

 見た目も美しい花茶だ。


「白澄花《しらすみか》という花のお茶なのですって。美しいでしょう?」

「本当ね。淡い香りも安らぐわ」


 カップを持ち上げると、鼻の奥に芳醇な香りが届く。

 口に含むと、ほのかな甘みがすっと広がり、クセもなく飲みやすい。


「……花茶って、見た目を楽しむためのものだと思っていたけれど、これはお茶としてもとても美味しいわね」

「そうでしょう? 花茶って……ちょっと独特の味のものが多いけど、これは飲みやすくて気に入っているの」



 ナーシャはきっと、何かを伝えようとしてここに来たのではない。

 気持ちの整理をするための、話し相手になってくれようとしたのだ。


「ナーシャはルティナさんを信じているのね」


 柔らかな表情のまま、ナーシャはレスティアに目を合わせる。


「もちろん、彼女のことも信じているわ。それは施術を受けて、彼女という人を直に感じたのも大きいと思う。でも、それだけではないの」


 カップを置き、景色を眺めるように目を上げる。

 その目は、この庭の先――王都の景色が見えているようだった。


「私は、この国の人を信じているのよ。私が心から信頼する人たちが、皆ルティナさんを信じている。ミオル、ユアン、ウィラン、レイラン、アルヴィンもかしら。彼らは少なくとも、きちんと物事を見て判断することができる人たちよ。その人たち全員が、彼女を信頼している。私には、これ以上の理由はいらないわ」

「そうね、端から見ていると不思議なくらいよ」

「レスティアは、全部を心配しているのね。ルティナさんのことも、皆のことも、アルデニアのことも……アルデニアが、彼女によって変化したあと、前に進めるか。確かに、きっとひずみは生まれるわ。反発もあるだろうし、後に起こることをすべて予測することなんて無理だと思う」


 ナーシャは、それを考えた上で、それでも彼女を受け入れている。


「あなたの言う代償を払うことになるかは、こちら側の問題だと思っているの。ルティナさんに問題があるわけではないわ」

「わたしも、彼女のせいで……とは考えていないけれど……」

「アルデニアの人たちは、自分で受け止めるわ。彼らはとても優秀よ。決して、盲目になっているわけではないし、ルティナさんのせいだと思うこともない」


 それは分かっている。

 きっと誰もそんなことは思わない。

 でも、皆が冷静な判断をできているとは思えない部分もある。


 知っているだけでも、彼女の関わっていることが多すぎる。

 普通の人の数倍の仕事を、ほぼ中心で動かしているようなものだ。


 彼女はとても不思議な人だ。

 あんなに若いのに、当たり前のようにすべてをこなそうとする。

 接する人が気を遣わないように、大丈夫だと思えるように振舞う。

 それも、ごく自然に。


 本人も無理をしているつもりがないのだろう。



「彼女といると、頼りたくなるのかしら……」

「そう……かもしれない。レスティアは直接話をしていない?」

「……ええ、ご挨拶もしていないわ」

「一度話してみたら、何か分かることもあるんじゃない?」

「……まだ、やめておくわ」

「意識して距離を取っているのね」

「意識したのは、ここ最近よ」


 ナーシャは安心したように、嬉しそうに笑ってみせた。

 どうやら、これを確かめたかったようだ。


「それは……皆が彼女を頼っているのが見えたから?」

「そうね。きっとそういう空気を持っている人なんだと思ったわ。彼女の話し方や人との接し方は相手を常に思っているし、誰もが気付かないうちに心を開いてしまうような気がしたの」

「確かに……それはあると思う」

「誰が悪いわけでもない、でも、受け止めるにも限界があるでしょう? 彼女がそうしたくても、彼女は1人しかいないのだから」


 ナーシャは納得したように目を伏せ、小さなため息を吐いた。


「人と人の関係って、ままならないものよ。本人たちがそう思っていなくても、一方通行の関係性は続かない。皆が信頼し、彼女が応える。じゃあその逆は、いつ起こるのかしら。今のままでは、しばらくは想像できないわ」

「耳が痛いわ……」

「ナーシャはいいのよ。むしろ、そう在ってくれて良かったと思ってる。あなたは彼女の心を包んであげられる」


 肩をすぼめているナーシャが、やけに可愛く見える。


「私はまだ彼女と直接接していないから、客観的に見ていられる。接点を持ってしまったら、同じように彼女を頼りたくなったり、彼女の思いを優先したくなるかもしれない。それを彼女が望んでいても、止められる人が誰かひとりくらいいないと……彼女はいつか、苦しむことになる気がする」


 ナーシャと話して、整理がついた。

 アルデニアのために尽くしてくれる人に、自分ができることはこのくらいだ。


「あなたには、敵わないわ。何か考えてのことだとは思っていたけど……」

「今日ナーシャと話して、整理がついたのだと思う。このままだと、いつか駄目になる予感くらいしかなかった」

「私も、レスティアと話してすっきりしたわ。自分の立ち位置も理解した」

「会議は……3日後だったかしら」

「そうね。私も今回から復帰するつもり」


 会議では、彼女が関わるたくさんのことが報告されるはずだ。

 まだどうなるかは分からないというのが正直なところだ。


「もし、危ういと思ったら、わたしは口を出すと思う」

「ええ、その方がいいわね。でも……」

「でも?」

「止めるのではなくて、制御する側に回るのはどうかしら?」


 兄様《アルヴィン》はきっと、面白いと思ったら進める。

 ウィランは魔法が絡むと制御が効かない。

 ナヴァンは忙しすぎるし、ユアンはそもそも判断ができないだろう。


 ミオルもエデュードも、報告する側の人だ。


 実際、止めようとしても優先順位が決められるかさえ分からない。

 それなら、全部をまとめて調整した方が良い。


「確かに、その方が上手くいくかもしれない」

「そのときは、私も協力するわ。まあ、レスティアが言えば反論できる人はいないと思うけれど」

「止めずに済む内容であることを祈りましょう」


 ナーシャは斜め上に視線を逃がして、諦めたように言った。


「それはきっと、難しいでしょうね」



 響いた2人の笑い声は、誰にも聞かれずに中庭に消えた。


 重かった心はいつの間にか、今日の空のように澄んでいる。



 ふたりで飲み干したカップの底には、乳白色の花弁が静かに残されていた。




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