第二夜
こんな夢を見た——
ある満月の夜、私は月を見上げていた。鉄格子越しでも月明かりが明るい。あたりには他の部屋にいるクリーチャーたちの唸り声や泣き声が響き静粛とは言い難いが、私はなんとなく神秘的な気分になっていた。
私が人間だったのは過去のこと。一般家庭に生まれて幸せに暮らしていたが、10歳の時に人攫いに合い、違法な研究機関に売られてしまった。それ以来、よくわからない手術や実験を繰り返され、今では人間とは呼べないクリーチャーへと変貌してしまった。
それでも、改造手術の後売り払われどこかで奴隷のようにこき使われている他の子供達に比べればまだマシなほうだろう。
美味しくはないが3食食べられて、手術の時にはちゃんと麻酔を使ってもらえるのだから。
月を眺めながら、物思いに耽っていると、コツコツと足音らしき音が聞こえてきた。視線を窓から鉄格子へと移すと、廊下の遠くに人影が見えた。
人影はそれぞれの部屋を覗き込みながらこちらへと向かってきた。こんな夜更けに研究員がここを訪れるなんて珍しい。急ぎの案件でもあるのかもしれない。
そんなことは私には関係ない。もし私が実験対象なら拒否権はないし、他の子供だとしたら助ける術はないのだ。私は再び視線を月へと戻した。
「えーと、ここかな?……ルシルちゃん、ルシルちゃん」
私の耳に男性の声が届いた。聞いたことがない声だ。新人なのかもしれない。それにしても、モルモットを名前で呼ぶなんて変わっているな……。そんなことを考えながら月を眺める。青白い光が空いっぱいに広がり、まるで昼間の様に明るい。
「おーい、聞こえてる?……おかしいな。2165ってこの子だよな?」
2165。その番号が聞こえた私は振り向いた。部屋の前に男が立っていた。白衣は着ておらず、反対に真っ黒なコートを羽織っていた。どうやら、男が呼んでいたのは私だったようだ。2165番は私の識別番号なのだ。
「あっ、よかった。耳は聞こえるみたいだね。こんばんは、ルシルちゃん」
「……あなたはなんで私をルシルって呼ぶのかしら?」
「だって、君の名前だろ。君は識別番号2165、ルシル・スカーレットちゃんじゃないのかい?」
不思議そうに首を傾げる私に男が言った。目を伏せ少し頭を回転させる。……ルシル。そうだ、私の名前だった。長らく呼ばれることがなかったから忘れていた。
「あなたは誰?ここの人は私たちを名前でよばないのだけれど」
「あぁ、自己紹介がまだだったね。僕はアーサー。君たちのような子供達を保護しているんだ。つまり、君を助けにきたのさ」
そういうと、アーサーは私に向かってにっこりと微笑んだ。そのまましばらくゴソゴソとしていると、がちゃりと音を立てて部屋の鍵が開いた。
「……どうしたの?早く逃げないと。今は仲間たちが誤魔化しているから誰も来ないけど、あまり時間がないんだよ」
鉄格子が開いたのに全く動こうとしない私に、不思議そうにアーサーが言った。
「……だって、急に言われたって、あなた信用できないもの。いままでだって、出来のいい実験対象を連れて行った人がいたわ。その子は酷い目にあった亡くなったって、研究員が言っていたの。ここはいいところではないけれど、きちんと生かしてくれる。それに、逃げ出したって、誰も私がルシルだってわからないわ。こんなになってしまったんだもの」
そういって私は頭の上の長い耳をさわった。うさぎのような長い耳、狼のような牙と爪、全身を覆う毛。以前の私の面影は青い瞳しか残っていない。きっと、両親も友達も今の私を見たら、悲鳴をあげて逃げていくに違いない。そうなるくらいなら、ここに残ったほうがいい。
「僕が所属する機関には、君のような子がいっぱいいるんだ。きっと、仲良くできるよ。それに、これで信用してもらえるかはわからないけど、君のことを教えてくれた子がいてね。伊織くんっていうんだけど……。たしか、ここでは1643番って呼ばれていたはずだよ」
視線を落とす私の肩に手を当てて、アーサーは視線を合わせるためしゃがみ込んで言った。
——1643番
その番号に私は覚えがあった。私がまだ人間の面影を残していた時、同じ部屋に閉じ込められていた男の子がいた。海外から買われてきたその子は、家族を恋しがって泣く私を慰める様に故郷の話をたくさんしてくれた。せっかく仲良くなったのに、違う施設に移るとかで早々と連れて行かれてしまった。その子の識別番号が1643番だった。もしかしたら、本当に助けてくれるかもしれない。そんな思いが脳裏をよぎったが、すぐに消えていった。その子も、きっと私だってわからないだろう。
「だめよ。その子も、これじゃ私だってわからないわ。それにこんな手じゃ、その子を傷つけてしまう」
「うーん。大丈夫だと思うけどなぁ。……そうだ。写真があるんだ。これを見れば、君も安心できるよ」
そう言ってアーサーは小さな四角い機械を操作して、私に渡してきた。傷つけないように慎重受け取ると、機械には写真が写っていた。大きな爪と全身を覆う茶色の毛はくまのようだけど、二足歩行をしている。
「もしかして……」
「そう。その子が伊織君だよ。君と同じ様に姿が変わってしまったんだ」
姿はすっかり変わっていたけれど、優しげな黒い瞳はあの子のものだ。これなら、もしかしたら……。
「……他の子達はどうなるの?」
「全員は無理だけど、他にも何人か助けにきている。今助けられない子達も、必ず助けにくるよ」
他の子供達を置いて逃げることに引け目はある。それに、この男は悪い人で今より酷い目に会うかもしれない。それでも、私はあの子に会いたい一心で顔をあげた。
「わかったわ。あなたについて行くことにします」
私は差し出されたアーサーの手を取った。
——そこで目が覚めた。




