表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遠回りしたぶん、幸せになれる  作者: あーちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/30

第24話 泣ける場所を作れ

第23話では、悠斗が「優しさは弱さじゃない」という宿題に向き合いました。


優しさは、ただ庇うことではない。

相手が現実から逃げないように、でも壊れないように隣に立つこと。


今回の第24話では、悠斗が「泣ける場所」を作ることに挑戦します。


泣いても終わらない場所。

弱さを出しても見捨てられない場所。


それは、悠斗自身がずっと欲しかった場所でもありました。

朝倉悠斗は、机の上に置かれた紙切れを何度も見つめていた。


『第二十四の宿題。泣ける場所を作れ。』


 福神弥助の字は、相変わらず太くて、妙に自信があった。


 泣ける場所。


 その言葉は、思っていたよりも重かった。


 戻れる場所を作る。

 本当のことを置ける場所を作る。

 相手が自分を見失わないように、現実を見る手伝いをする。


 ここまでは、少しずつわかってきた気がしていた。


 けれど、泣ける場所となると、また違う。


 泣くというのは、もっと奥の扉を開けることだ。


 弱音を吐くより、さらに無防備になること。


 言葉にできないものが、涙になって外へ出てしまうこと。


 悠斗は、長い間、人前で泣けなかった。


 泣いたら終わりだと思っていた。


 泣いたら弱いと思われる。


 泣いたら迷惑をかける。


 泣いたら大人として失格だ。


 そう思って、いつも喉の奥で涙を止めてきた。


 父の前で泣いた日。

 美月との別れの後に、一人で泣けなかった夜。

 仕事でミスをして、帰り道に泣きそうになったのに、駅のトイレで顔を洗ってごまかした日。

 夢を諦めた駅で、本当は泣きたかったのに、泣く資格すらないと思った日。


 泣けなかった記憶は、泣いた記憶よりも深く残っている。


 悠斗はノートを開いた。


『泣ける場所とは何か』


 そう書いて、しばらくペンが止まる。


 答えはすぐには出なかった。


 泣ける場所とは、優しい言葉をかけてくれる場所だろうか。


 怒られない場所だろうか。


 何でも許してくれる場所だろうか。


 違う気がした。


 何でも許される場所では、人はかえって立てなくなることもある。


 泣ける場所とは、泣いた後に、また立ち上がるための場所なのかもしれない。


 悠斗は、ゆっくり書いた。


『泣ける場所は、涙を止められる場所ではない。

 泣いても終わりにならない場所だ。』


 書いた瞬間、胸が少し熱くなった。


 泣いても終わりにならない場所。


 自分はそれが欲しかった。


 泣いたら面倒な人間だと思われるのではなく。

 泣いたら失格だと責められるのではなく。

 泣いたあとも、同じように「おはよう」と言ってもらえる場所。


 そんな場所があれば、人は少しだけ生きやすくなるのかもしれない。


 翌朝、会社に行くと、佐原陸がいつもより早く来ていた。


 パソコンを開き、昨日渡した確認表を見つめている。


 机の端には、小さな紙が貼られていた。


『一、何が起きたか。

 二、どこで間違えたか。

 三、次にどうするか。』


 悠斗が前に渡した紙だった。


 佐原はそれを何度も見ながら、資料を確認している。


「おはよう、佐原」


「あ、おはようございます」


 佐原は慌てて立ち上がろうとした。


「立たなくていいよ」


「すみま……じゃなくて、おはようございます」


 言い直した佐原に、悠斗は少し笑った。


「いい感じ」


「まだ、すぐ謝りそうになります」


「急に変わらなくていい」


 佐原は小さく頷いた。


 その日の午前中、佐原は昨日より落ち着いていた。


 わからないところがあると、早めに聞きに来る。


 ミスを見つけると、まず原因を確認する。


 悠斗は、その小さな変化を見守っていた。


 だが昼前、一本の電話が佐原の表情を変えた。


 電話は前職の元同僚からだったらしい。


 休憩スペースで短く話した後、佐原は戻ってきた時には顔色を失っていた。


 悠斗はすぐに気づいた。


「佐原、大丈夫?」


「……はい」


 その「はい」は、大丈夫ではない時の声だった。


 悠斗は少し迷った。


 仕事中だ。


 周りもいる。


 踏み込みすぎるかもしれない。


 けれど、佐原の指先が震えている。


「少し外に出よう」


 悠斗は静かに言った。


「え?」


「五分でいい。空気吸おう」


 佐原は一瞬迷ったが、やがて小さく頷いた。


 二人は会社の外に出た。


 ビルの裏手には、小さな喫煙スペースと自販機がある。


 昼前だから人は少ない。


 悠斗は缶コーヒーを二本買い、一本を佐原に渡した。


「飲めなくても持ってるだけでいい」


「ありがとうございます」


 佐原は缶を両手で握った。


 しばらく沈黙が流れた。


 悠斗は急かさなかった。


 話したくないなら、それでもいい。


 泣ける場所を作れ。


 それは、無理に泣かせることではない。


 泣いてもいい空気を作ることだ。


 やがて佐原がぽつりと言った。


「前の会社の同期からでした」


「うん」


「僕が辞めた後、新しい人が入ったみたいで。すごく仕事ができる人らしくて」


 佐原は缶を見つめた。


「やっぱり、自分が駄目だったんだなって思いました」


 悠斗は黙って聞いた。


「自分が辞めた場所で、他の人はちゃんとやれてる。だったら、環境じゃなくて、自分が弱かっただけだったんだって」


 佐原の声が震えた。


「ここでも同じことになるんじゃないかって思いました。朝倉さんに優しくしてもらってるのに、また駄目になったらどうしようって」


 佐原は、唇を噛んだ。


 泣くのをこらえている顔だった。


 悠斗は、自分の胸も苦しくなるのを感じた。


 昔の自分がそこにいた。


 誰かが自分の後任としてうまくやっていると知った時の痛み。


 自分だけができなかったように感じる恥ずかしさ。


 環境のせいにしたいのに、でも自分のせいでもある気がして、逃げ場がなくなる苦しさ。


 悠斗はゆっくり言った。


「佐原」


「はい」


「他の人ができたからって、佐原の苦しさが嘘になるわけじゃない」


 佐原が顔を上げた。


「同じ場所でも、人によって苦しくなる理由は違う。誰かが平気だったから、君がつらかったことが間違いになるわけじゃない」


 佐原の目が揺れた。


「でも……」


「でも、君がここで何もしなくていいって意味でもない」


 悠斗は続けた。


「つらかったことは本当。前の場所で続けられなかったことも本当。ここでまた怖くなっていることも本当。だから、今度は一人で抱えない方法を覚えていけばいい」


 佐原の目に涙が溜まっていく。


「泣きそうです」


「泣いていい」


 その一言を、悠斗は静かに言った。


 佐原は一瞬、息を止めた。


「ここでですか?」


「人が来たら、缶コーヒーが熱かったことにしよう」


 佐原は、泣きそうな顔のまま少し笑った。


 その笑いが崩れて、涙がこぼれた。


 佐原は慌てて袖で拭おうとした。


「すみません」


「謝らなくていい」


「でも、会社で」


「会社でも、人は泣くことある」


 悠斗はそう言いながら、自分にも言っていた。


 大人でも泣く。


 会社員でも泣く。


 男でも泣く。


 新人でも、先輩でも、父親でも、上司でも泣く。


 泣いたから終わりではない。


 佐原は声を殺して泣いた。


 悠斗は隣に立っていた。


 慰めすぎない。


 問い詰めない。


 ただ、そこにいる。


 それだけしかできなかった。


 でも、それでいいのかもしれない。


 泣ける場所とは、涙を止める場所ではなく、泣いている間も誰かが横にいてくれる場所なのだから。


 しばらくして、佐原は深く息を吐いた。


「すみません……じゃなくて、ありがとうございます」


「うん」


「少し、楽になりました」


「よかった」


「朝倉さん」


「何?」


「泣いても、明日来ていいですか」


 その言葉に、悠斗の胸が締めつけられた。


 佐原は、本当にそれを怖がっていたのだ。


 泣いたら終わりになる。


 弱さを見せたら、もうここにはいられない。


 そう思っていたのだ。


 悠斗は、はっきり言った。


「来ていい」


 佐原はまた少し涙をこぼした。


「ありがとうございます」


「明日だけじゃなくて、今日の午後も戻るぞ」


「はい」


「でも、無理に元気なふりはしなくていい。午後は整理だけにしよう」


「はい」


 二人はビルの中に戻った。


 佐原の目は赤かった。


 それを見た村瀬が一瞬だけ視線を向けたが、何も言わなかった。


 ただ、悠斗に短く聞いた。


「午後の予定は調整できるか」


「はい。佐原の作業は整理中心にします」


「わかった」


 それだけだった。


 でも、悠斗にはわかった。


 村瀬もまた、その場を守ろうとしてくれている。


 午後、佐原は大きな作業はせず、午前の出来事と業務の不安を一緒に整理した。


 紙に書く。


『怖いこと。

 一、前職と同じようになること。

 二、また逃げたと思われること。

 三、優しくされるほど、応えられなかった時が怖いこと。』


 悠斗は、その紙を見ながら言った。


「これ、全部大事な情報だと思う」


「情報、ですか」


「うん。怖さの正体が見えれば、対策を考えられる」


 佐原は少しだけ笑った。


「怖さも資料みたいですね」


「そうかもしれない」


 悠斗も笑った。


 夕方、佐原は帰る時に言った。


「今日、来てよかったです」


「うん」


「泣いたのに、終わらなかったです」


 悠斗はその言葉を胸に深く受け止めた。


 泣いたのに、終わらなかった。


 それこそが、泣ける場所の証なのかもしれない。


 夜、悠斗はいつものバス停へ向かった。


 福神弥助は、ベンチでおでんを食べていた。


「今日はおでんですか」


「泣ける場所には、しみた大根や」


「それは少しわかります」


 弥助は紙カップの中から大根を箸で持ち上げた。


「作れたか?」


「少しだけ」


「誰に?」


「佐原に」


 悠斗は今日の出来事を話した。


 前職の後任がうまくやっていると知り、佐原が自分を責めたこと。


 外で缶コーヒーを持ちながら、泣いたこと。


 泣いても明日来ていいかと聞かれたこと。


 弥助は黙って聞いていた。


 話し終えると、静かに言った。


「それは、大事な一日やな」


「はい」


「泣ける場所は、作ろうと思ってすぐできるもんやない。でも、今日少しできた」


「泣かせてしまったのかな、とも思いました」


「違う」


 弥助は首を振った。


「涙は、そこにあったんや。兄ちゃんは、それを出ても終わらへん場所を作っただけや」


 悠斗は胸が熱くなった。


「俺も、昔そういう場所が欲しかったです」


「せやろな」


「泣いてもいいって言われたかった。泣いても明日来ていいって、誰かに言ってほしかった」


「ほな今度は、兄ちゃんが言えたんや」


 悠斗は頷いた。


 遠回りした時間が、また誰かの足元に灯りを置いた。


 そのことが、静かに嬉しかった。


「次の宿題や」


 弥助は紙切れを渡した。


『第二十五の宿題。「もう遅い」は嘘やと証明しろ。』


 悠斗はその文字を見つめた。


「もう遅い……」


 それは、何度も自分に言ってきた言葉だった。


 夢にはもう遅い。

 恋にはもう遅い。

 人生を変えるにはもう遅い。

 父と話すにはもう遅い。

 自分を許すにはもう遅い。


 でも、本当にそうだろうか。


 ここまでの道のりが、その言葉を少しずつ嘘にしていた。


 家に帰ると、悠斗は机に向かった。


 新しい白い花を一本、帰り道で買っていた。


 前の花は役目を終えた。


 でも、また新しい花を置く。


 花が変わっても、部屋は呼吸し続ける。


 悠斗はノートを開いた。


『泣ける場所を作れ。

 佐原が泣いた。

 泣いても、終わらなかった。

 泣いても、午後に戻れた。

 泣いても、明日来ていいと言えた。

 泣ける場所とは、涙を止める場所ではない。

 泣いたあとも、その人がその人のまま戻ってこられる場所だ。』


 続けて書く。


『僕も、泣ける場所が欲しかった。

 だから今日、佐原に言えた。

 泣いていい。

 明日来ていい。

 今日の午後も戻ろう。

 それは、昔の僕にも言ってあげたかった言葉だった。』


 小説ノートを開く。


 今日の一文を書く。


『男は、泣ける場所を作ろうとした。

 それは涙を止める場所ではなく、涙をこぼしたあとも、また同じ扉から戻ってこられる場所だった。』


 悠斗はペンを置いた。


 胸の奥に、静かな疲れと温かさがあった。


 誰かの涙のそばにいることは、簡単ではない。


 自分の古い傷も揺れる。


 何を言えばいいのか迷う。


 間違えるかもしれない。


 それでも、逃げなかった。


 昔の自分が欲しかった言葉を、今の自分が誰かに渡せた。


 それは、小さくない一歩だった。


 翌朝、会社に行くと、佐原は席にいた。


 目が合うと、少し照れくさそうに笑った。


「おはようございます」


 悠斗は笑って言った。


「おはよう」


 その一言だけで、十分だった。


 泣いた翌日も、同じように朝は来る。


 同じように「おはよう」と言える。


 それが、泣ける場所の始まりなのだと思った。

第24話を読んでくださり、ありがとうございます。


今回のテーマは「泣ける場所を作れ」でした。


泣ける場所とは、涙を止める場所ではありません。

泣いたあとも、また戻ってこられる場所です。


佐原の涙に寄り添うことで、悠斗は昔の自分が欲しかった言葉を、今度は誰かに渡すことができました。


次回は、第25話「『もう遅い』は嘘」へ続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ