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遠回りしたぶん、幸せになれる  作者: あーちゃん


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第21話 大人になれなかった僕ら

第20話では、悠斗が「自分を許す日」を決めました。


失敗した自分。

逃げた自分。

夢を置いてきた自分。


それらを否定し続けるのではなく、「もう一度歩いていい」と自分に言うこと。


今回の第21話では、悠斗が“ちゃんとした大人”になれなかった人たちと向き合います。


誰もが、少し不完全なまま歳を重ねているのかもしれません。

西野が異動してから、一週間が過ぎていた。


 朝倉悠斗は、空いた席を見るたびにまだ少しだけ寂しくなる。


 そこに誰もいないことに慣れない。


 けれど、不思議と前ほど孤独ではなかった。


 人は、誰かがいなくなった瞬間に一人になるわけではない。


 その人と過ごした時間が、少しずつ自分の中に残っていく。


 西野の言葉。

 恒一の笑い方。

 山口さんの「いってらっしゃい」。

 美月の静かな声。

 父の不器用な返事。

 そして、福神弥助の宿題。


 それらは全部、悠斗の中に残っていた。


 朝、コンビニへ寄ると、山口さんが言った。


「最近、少し顔つき変わりましたね」


「そうですか?」


「前より、ちゃんと眠れてる顔してます」


 悠斗は少し笑った。


「まだ時々、眠れませんけどね」


「でも、前は“ずっと起きてる人の顔”してました」


 その表現が妙に胸に残った。


 ずっと起きている人の顔。


 確かに以前の自分は、眠れていなかったのかもしれない。


 仕事の不安。

 年齢への焦り。

 夢への後悔。

 周りとの比較。


 身体は眠っていても、心だけがずっと起きたままだった。


「最近は、少し眠れるんですか?」


 山口さんが聞く。


「少しだけ」


「よかったです」


 山口さんはレシートを渡しながら微笑んだ。


「ちゃんと眠れる人は、ちゃんと泣ける人でもある気がします」


 悠斗はその言葉を胸に残したまま、店を出た。


 会社では、新人の受け入れ準備が進んでいた。


 名前は、佐原陸。


 二十四歳。


 前職を半年で辞めて転職してきたらしい。


 資料に書かれた経歴を見ながら、悠斗は少しだけ胸が痛んだ。


 二十四歳。


 まだ若い。


 でも、その年齢で一度「逃げた」と思ってしまう人もいる。


 悠斗自身がそうだったからわかる。


 昼休み、悠斗は公園へ向かった。


 ベンチに座り、ノートを開く。


 ページの上に書いた。


『大人になれなかった僕ら』


 そして、しばらくペンが止まる。


 大人とは何だろう。


 結婚している人か。

 子供がいる人か。

 夢を諦めて現実を受け入れた人か。

 泣かずに働ける人か。

 弱音を吐かない人か。


 昔の悠斗は、そう思っていた。


 でも今は違う。


 恒一は父親になった今でも、「毎日負けてる」と言う。


 父は六十を過ぎても、「怖かった」と言った。


 美月は笑いながら泣くことがある。


 村瀬は強そうに見えて、夜遅くに一人で会社に残っている。


 山口さんは優しい顔で、「今日がだめでも明日までだめとは限らない」と覚えている。


 弥助はいつもふざけているくせに、時々誰よりも寂しそうな目をする。


 みんな、大人になりきれていない。


 それでも、生きている。


 悠斗は書いた。


『僕らは、大人になれなかったのではなく、不完全なまま歳を取っただけなのかもしれない。』


 その時、スマートフォンが震えた。


 恒一からだった。


『今日、時間あるか?』


『ある』


『飲もう。』


 短いメッセージ。


 でも、どこか元気がない気がした。


 夜、悠斗は恒一と駅前の小さな居酒屋で会った。


 以前、西野の送別会をした店とは違う。


 もっと古くて、狭くて、少し煙草の匂いが残る店だった。


 恒一はすでにビールを半分空けていた。


「悪い、急に」


「どうした?」


 悠斗が座ると、恒一は少し笑った。


「ちょっと疲れた」


 その笑い方で、悠斗は何となく察した。


 本当に疲れている時、人は明るく言う。


 恒一は焼き鳥を一本持ちながら言った。


「陽菜、熱出してさ」


「大丈夫なのか?」


「今は下がった。でも、妻も疲れてて。俺も最近仕事バタバタしてて」


 恒一はビールを飲んだ。


「なんか、ちゃんとできてない気がするんだよな」


 悠斗は黙って聞いていた。


「父親も、仕事も、全部中途半端で」


「恒一」


「ん?」


「お前、この前“毎日負けてる”って言ってたよな」


「言ったな」


「でも、戻る練習してるって」


 恒一は少し笑った。


「覚えてたか」


「俺、その言葉かなり救われた」


 恒一はしばらく黙ったあと、小さく息を吐いた。


「……本当はさ」


「うん」


「俺も、大人になれてないんだよ」


 その言葉に、悠斗は目を上げた。


「陽菜の前では平気な顔してるけど、夜一人になると、“俺でよかったのかな”って思う時ある」


「……」


「父親とか、夫とか、社会人とか。みんな普通にやってるように見えるのに、俺だけずっと“これで合ってる?”って聞きながら生きてる」


 悠斗は胸が締めつけられた。


 恒一は、昔から明るかった。


 人付き合いもうまくて、恋愛も自然にして、結婚もして、父親になった。


 悠斗から見れば、“ちゃんと大人になった人”だった。


 でも、その恒一も迷っている。


「みんな、ちゃんとして見えるだけなのかもな」


 悠斗が言うと、恒一は笑った。


「お前も最近そういうこと言うようになったな」


「弥助の影響かもしれない」


「変なおっさんな」


 二人は少し笑った。


 そのあと、恒一が急に聞いた。


「小説、書いてるんだろ?」


「うん」


「最近、どうなんだ」


 悠斗は少し考えた。


「怖い。でも、前より楽しい」


「そっか」


「恒一」


「ん?」


「俺さ、最近思うんだ。大人になるって、“完璧になること”じゃないのかもしれないって」


 恒一は黙って聞いている。


「迷ったままでも、弱いままでも、“それでも生きていく”って決めることなのかもしれない」


 恒一は、しばらくしてから笑った。


「それ、小説に入れろよ」


「使うかも」


「絶対使え」


 二人は笑った。


 帰り道、恒一が駅のホームで言った。


「なあ、悠斗」


「うん」


「俺、お前がまた書き始めてよかったと思ってる」


 悠斗は驚いた。


「どうして?」


「なんかさ。前のお前、死んでないだけって感じだったから」


 その言葉は痛かった。


 でも、本当だった。


「今は?」


「ちゃんと、生き返ろうとしてる感じがする」


 電車がホームに入ってくる。


 風が吹いた。


 恒一は笑った。


「大人になれてなくても、まあいいんじゃねえの」


 悠斗は、その言葉を胸に置いた。


 家に帰ると、机の上の白い花が少し開いていた。


 しおれながらも、まだ咲こうとしている。


 悠斗はノートを開いた。


『恒一も迷っていた。

 父親になっても、夫になっても、“これで合ってる?”と思いながら生きていた。

 僕は、勝手に“ちゃんと大人になった人”だと思っていた。

 でも、本当はみんな少し不完全だった。』


 続ける。


『大人になるって、完璧になることじゃない。

 迷わなくなることでもない。

 弱音を吐かなくなることでもない。

 怖いまま、迷ったまま、それでも誰かを大事にしたいと思い続けることなのかもしれない。』


 書きながら、悠斗は胸の奥が少し温かくなった。


 自分だけじゃなかった。


 みんな、どこかで「これでいいのか」と思いながら生きている。


 それでも朝起きて、働いて、誰かに「おはよう」と言って、帰って、また明日を迎える。


 完全じゃないまま。


 未完成のまま。


 翌日、新人の佐原陸が出社してきた。


 少し緊張した顔をしている。


 痩せていて、スーツもまだ馴染んでいない。


 村瀬が簡単に紹介したあと、悠斗に向かって言った。


「朝倉、頼む」


「はい」


 悠斗は立ち上がった。


「朝倉です。よろしく」


 佐原は深く頭を下げた。


「佐原です。よろしくお願いします」


 声が少し硬い。


 昔の自分を見ているようだった。


 午前中、社内案内や業務説明をしていると、佐原は何度も「すみません」と言った。


「すみません、メモ遅くて」


「すみません、もう一回いいですか」


「すみません、前職では違うやり方で」


 悠斗は、そのたびに胸が少し痛んだ。


 昔の自分も、謝ってばかりだった。


 できないことがあるたびに、自分が悪い気がしていた。


 昼休み、佐原は一人で弁当を食べようとしていた。


 悠斗は少し迷ってから声をかけた。


「一緒に食べるか?」


 佐原は驚いた顔をしたあと、小さく頷いた。


「はい」


 二人で公園へ行く。


 ベンチに座り、少しぎこちなく弁当を開いた。


「緊張してる?」


 悠斗が聞くと、佐原は苦笑した。


「かなり」


「前の会社、半年だったんだな」


「……はい」


 佐原は目を伏せた。


「逃げました」


 その言葉に、悠斗はゆっくり首を振った。


「逃げたって決めつけなくていいと思う」


「でも、続けられなかったので」


「俺も昔、いろんなことから逃げたと思ってた」


 佐原が顔を上げる。


「でも最近、思うんだ。壊れるまで続けることだけが正解じゃないって」


 佐原は黙って聞いていた。


「ここでも無理はするな。わからないことは聞いていい」


 佐原は少し驚いた顔をした。


「そんなこと言われたの、初めてです」


 悠斗は笑った。


「俺も、昔言ってほしかったから」


 その瞬間、悠斗は気づいた。


 遠回りした時間は、無駄じゃなかった。


 失敗したこと。

 逃げたこと。

 迷ったこと。


 それらがあるから、今こうして誰かに言える言葉がある。


 夜、バス停へ向かうと、弥助がベンチで缶コーヒーを飲んでいた。


「今日は静かですね」


「大人になれん日は静かや」


「何ですかそれ」


 悠斗は笑いながら隣に座った。


「今日、新人が来ました」


「ほう」


「昔の自分みたいでした」


「どんな?」


「謝ってばかりで、失敗する前から自分を責めてる感じ」


 弥助は頷いた。


「兄ちゃんもそうやったな」


「はい」


「で、何て言った?」


「無理するなって。わからないことは聞いていいって」


 弥助は笑った。


「ええやん」


「俺、昔の自分に言ってほしかったんだと思います」


「せやろな」


 弥助は空を見上げた。


「大人ってな、完成した人間やない」


「はい」


「未完成のまま、誰かに優しくできる人や」


 悠斗は、その言葉をゆっくり飲み込んだ。


 未完成のまま、誰かに優しくできる人。


 それが大人。


 なら、自分も少しは近づけているのだろうか。


「次の宿題や」


 弥助は紙切れを渡した。


『第二十二の宿題。孤独の正体を知れ。』


 悠斗は紙を見つめた。


「孤独の正体……」


「兄ちゃん、まだ時々“自分だけ取り残されてる”って思うやろ」


「……はい」


「でもな、孤独には正体がある」


 弥助は立ち上がった。


「次はそれを見に行け」


 家に帰ると、悠斗は小説ノートを開いた。


 今日の一文を書く。


『男たちは、大人になりきれなかった。

 父親になっても、会社員になっても、夢を諦めても、心のどこかでずっと迷っていた。

 それでも彼らは、未完成のまま誰かを大事にしようとしていた。』


 悠斗はペンを置いた。


 机の上の歩の駒を見る。


 一歩。


 また一歩。


 大人になれていなくてもいい。


 迷ったままでもいい。


 それでも、自分の足で歩こうとしている。


 それだけで、きっと十分なのだ。

第21話を読んでくださり、ありがとうございます。


今回のテーマは「大人になれなかった僕ら」でした。


誰もが、ちゃんとした大人になれているわけではない。

父親になっても、働いていても、結婚していても、迷いながら生きている。


それでも、未完成のまま誰かを大事にしようとすること。


悠斗は、恒一や新人の佐原と向き合いながら、「遠回りした時間」に意味を見つけ始めました。


次回は、第22話「孤独の正体」へ続きます。

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