NO.15 収束
ジェラルドは、抵抗しなかった。
両腕を後ろで拘束されても、取り押さえられても、表情は崩れない。
ただ静かに、イリスを見つめていた。
その視線が消えるまで、カーライルは彼女の肩を抱いたままだった。
「連行しろ。別室で拘束。私が戻るまで誰も近づけるな」
低く、簡潔な命令。
護衛が応じ、ジェラルドは引き立てられていく。
去り際、彼は振り返らない。
それが、かえって不気味だった。
庭の混乱は徐々に収まりつつあったが、まだ緊張は解けていない。
倒れた資材を片付ける者。
暴れた馬を落ち着かせる者。
取り押さえられた関係者を縛る者。
現場はまだざわついている。
カーライルはイリスの顔を覗き込んだ。
「怪我は」
「……ありません」
声は少し掠れている。
震えは、さきほどよりも小さい。
カーライルの喉がわずかに上下した。
「……すまない」
目を離したことへの悔恨が滲んでいる。
イリスは首を振る。
「止めてくださいました」
それだけで、十分だと伝えたかった。
カーライルはわずかに息を吐き、周囲を見渡す。
そのとき、別方向から慌ただしい足音が近づいてきた。
「カーライル様!」
護衛のひとりが駆け寄る。
「門前で衝突が。暴れ馬が突っ込み、一般人に怪我人が出ています」
カーライルの表情が引き締まる。
一般人が巻き込まれているとなれば、放置できない。
「状況は」
「馬車同士の接触も。故意の可能性あり」
短い報告。
カーライルは即断する。
「私が行く。ここは固めろ」
そしてイリスへ視線を落とす。
ほんの一瞬、迷いがよぎる。
「君は建物の中へ戻れ。護衛を二名つける。侍女も一緒に」
素早く指示を、出してイリスの目を見つめる。
カーライルの目の奥にはまだ、不安が残っていた。
イリスは小さく頷く。
「分かりました」
不安は、ある。
だが彼の判断を信じる。
カーライルは最後に、彼女をもう一度強く抱きしめ、走り出した。
庭の奥へ向かう彼の背を見送りながら、イリスはゆっくりと歩き出す。
侍女と護衛二名に囲まれ、屋敷へ向かった。
混乱は収まりかけている。
だが空気はまだ重い。
石畳を抜け、玄関へ向かう途中。
――今度は屋敷側で音が響いた。
ガラスの割れる音。
同時に中庭方向からも、焦った声。
「爆発か!?」
護衛のひとりが振り返る。
「確認します!」
もうひとりも迷う。
門前の騒ぎと屋敷内の異音。
どちらを優先するべきか。
緊張が空気を裂く。
「奥様」
背後から、落ち着いた声が届いた。
振り向く。
整った身なりの青年。
質素だが清潔な服装。
柔らかな灰色の髪。
初めて見る顔ではない。
だが、思い出せない。
「こちらの通路のほうが安全です。騒ぎの中心から離れています」
言葉は理にかなっている。
屋敷の裏手へ回る細い通路。
だが、人目が少ない。
侍女が不安げにイリスを見る。
「……どういたしましょう」
護衛は屋敷内の異音へ視線を向けたままだ。
そのとき。
再び衝撃音。
今度は近い。
侍女と護衛の注意がそちらへ引かれる。
ほんの一瞬。
ほんの半歩。
ルシアンは距離を詰める。
動きは滑らかで、無駄がない。
「失礼」
囁くように。
白い布が、イリスの口元へ押し当てられる。
甘く、重い香り。
息を止めようとするが、完全には防げない。
視界が揺れる。
「……っ」
身体が力を失う。
崩れ落ちる寸前、倒れかけた淑女を受け止めるように、ルシアンが支える。
「気分を悪くされたようです」
穏やかな声で告げる。
護衛はまだ屋敷の方を見ていて、騒ぎが続いている。
侍女が青ざめる。
「奥様……?」
ルシアンは静かに言う。
「刺激が強すぎたのでしょう。静かな部屋へ運びます」
迷う侍女。
判断を求めるように、護衛の2人に視線を向ける。
その背後に、影が落ちる。
鈍い音。
侍女の身体が崩れた。
声を上げる間もない。
護衛は気づかない。
まだ屋敷側で煙が上がり、人が走っている。
ルシアンは、イリスを抱き上げる。
大切なものを扱うように。
歩幅は一定。
焦りは見せない。
裏口へ向かう。
そこには、小型の馬車が待機していた。
御者は視線を上げずに扉を開く。
馬車の椅子にイリスを横たえる。
イリスの意識が遠のく中、かすかな声が落ちる。
「やっと静かになりましたね」
穏やかだ。
怒りも興奮もない。
「これで、あの人に怯える必要もない」
指先が頬をなぞる。
「あなたを守れるのは、私だけです。」
扉が閉まる。
馬車が動き出す。
外ではまだ、騒が続いていた。
数分後。
屋敷内の騒ぎが収まった。
煙は小規模な事故に過ぎなかったと判明する。
護衛が振り返る。
「奥様は――」
そこに、誰もいない。
倒れているのは侍女だけ。
空白。
静寂。
理解が追いつくまで、数秒。
その頃。
門前の騒ぎを制圧したカーライルが戻る。
倒れた侍女。
護衛の蒼白な顔。
「……どこだ」
低い声。
誰も答えられない。
彼の中で、何かが音もなく折れる。
「門を閉めろ」
抑えた声。
「全域封鎖だ」
遅い。
油断は、一瞬。
その一瞬で、奪われた。




