第37話『鮫が生まれた日』
「【打ち壊すもの】だ!!」
「【打ち壊すもの】ですね」
念の為に先ほど敵が現れた通路を探索し、安全を確認してから後回しにしていた輝石の鑑定を行うアンリ達。ある白い三角輝石から放たれた光の中に浮かぶ剣のシルエットに、アンリとナギラギアは同時にその武器の名を呼んでいた。
アンリは【虹の根元亭】の自分の部屋で、己の【打ち壊すもの】の映像を輝石の上に浮べて眺めていることがよくあった。そのおかげで、まだ光の中に薄っすらと影しか見えない状態でもこの武器が自分の愛剣だと分かったのだ。
二人の鑑定に間違いはなく、やがて厚い刃を持つ両手剣の画像が浮かび上がる。
【打ち壊すもの】。攻撃力40。秘めたる特殊能力は筋力増強。
「おそらくこれは貴方達のものになるでしょう。私には不要なものですし」
輝石の分配に関しては事前に話し合った結果、三等分ではなく、依頼人であるナギラギアが半分を得、アンリとエレンが二人でもう半分を貰うという形になっていた。とはいえあくまで目安であり、実際の分配は現物を手に入れてから考えようということになっていた。輝石一つ一つの価値はばらばらだし、それに輝石がほとんど手に入らない可能性もあったからだ。結構いい加減だが、普通、執行者の間には最低限の信頼関係が存在しているし、かつて臨時のチームの一員として戦ったことのあるエレンもナギラギアも、こういったやり方で過去に問題が起きたことはなかった。
「ふふ、良かったわね、アンリ」
「うん、帰ったら早速刻印するよ! ……あ」
「どうかしたの?」
「いや……僕の【魂の器】はもう一杯の状態だったなって……輝石の列をどれかと換えないといけないね」
言葉と共に己の【魂の器】を手の平に呼び出すアンリ。その言葉の通り、もう三つ以上並べることの出来る列は全て埋まってしまっている。【打ち壊すもの】を新たに刻印するなら、いずれかの輝石を減らして列を交換しなければならない。
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右から【荒れ狂う暴風域】が三つ。【解毒の粉薬】が四つ。【炎の矢のカード】が三つ。【打ち壊すもの】が二つ。【闇の帳】が一つ。【爆裂治療薬】が一つである。
「ああ、アンリはまだ天人が言うところのクソつまらん魂の持ち主だったのですか」
「天人ですらクソは付けなかったよ!? クソは!!」
予想外だったのか、意外だと言うような表情で呟いたナギラギア。吐き出された言葉はいつもの悪口であったが。
「失礼。ただ私から見ても、もうアンリの腕前は初心者というには熟達していますのでね。すでに【魂の器】も成長しているのではないかと思っていたのですよ」
「そうね。確かにこのダンジョンの地下二階層で十分な戦力になってくれているわ。執行者になってからひと月くらいしか経ってないにも関わらず、ね」
「ほう、まだひと月程度の経験しか積んでないのですか? それでこの実力……なるほど、興味深い」
実際、エレンもナギラギアも執行者になってダンジョンに挑戦したのは三月以上が経ってからであった。それも、戦力として通用したのはせいぜい地下一階層までであったろう。
「……と言っても、まだまだ武器と防具に頼りすぎだとは思うけど、ね」
「うう、精進します」
「ふむ、確かに【打ち壊すもの】に【闇の帳】と、初心者にしては強い装備を使っているのは事実ですね。とはいえそれを使いこなすのも本人の実力の内です。ひと月でこれだけの戦果を上げているのは大したものです」
「そ、そう? あ、ありがとう」
普段のナギラギアからは信じられないような温和な笑みと共に賞賛の言葉が飛び出し、アンリは驚きながらもはにかみ、礼を言う。
そんな幼馴染に対してむくれた表情をしていたエレンだったが、幸か不幸かアンリはそれを視界に納めてはいなかった。
「それより鑑定よ鑑定! ほらほらまだ後二つ残ってるでしょ!?」
「う、うん」
「やれやれ分かりましたよ。こっちは最後のお楽しみに取っておいて、まずはこれから行きましょうか」
そう言ってナギラギアがつまみ上げたのは青の四角輝石。つまり魔術だ。
ナギラギアの言葉と共に、海の色合いを持つ宝石から光が円錐状に溢れ出る。その光の中に浮かんだのは……ウェーブのかかった金色の髪を持つ、ローブ姿の美しい女性の姿であった。彼女は目を閉じて己の豊かな胸の前で両手の平を上へ向けており、その繊細な十本の指からはまばゆい光輝が溢れ出している。
「【ささやかな癒し】……女神マリアベルが編み出した光の魔術、その中で最も重要とされる回復の効果を持つものの一つですね」
「回復!? それってすごいんじゃ……」
「まあこの系統の魔術もそれを編み出した女神もクソの中のクソですが」
「今までで一番酷いな!? マリアベルに恨みでもあるの!?」
アンリが女神カルドラのことを敬愛しているのはエレンも知っていることだったが、それと同時に彼は女神マリアベルの隠れファンでもあった。その容姿と豊満な胸に惹かれてのことだが。もちろんそんなことはエレンに知られる訳にもいかない。
理由はともかく好きな女神を罵倒され、いい気のしないアンリであったが、そんな彼を一瞥してナギラギアは口元を片方だけ吊り上げた。
「さすがにマリアベル自体に恨みはありませんがね。彼女が編み出した光の魔術……というか先ほど口にした通り、回復の効果を持つ魔術に言いたいことが山ほどあるのですよ」
ふうっと、一息ついて少女は続けた。
「魔術にもいろいろと種類がありましてね。私が使っている【炎の矢】のような攻撃用の魔術。他にも仲間の援護をしたり、己の身を守ったりするものなどいろいろありますが、その中の一つにこの回復の魔術があるわけです」
手に持つ青い輝石を宙に浮かぶ映像ごと軽く揺り動かすナギラギア。
「魔術の威力を高めるのに必要な魔力……この魔力が高ければ高いほど、私達魔術の使い手は強大な力を行使できるわけですが、魔術の種類によっては魔力を上げてもその力にあまり変化がないものがあるのです。そしてそれが一番顕著なのがこの回復系統の魔術なのですよ。しかも重ね詠唱による強化もほとんど効果がないときている」
「そうなんだ? あたしはてっきりどの魔術も同じだと思ってた」
「うん、僕も」
一応攻撃の魔術だけは使ってみたことのあるエレンと、カードの効果によってしか魔術を使ったことの無いアンリ。魔術の使い手を自称する少女とは魔術に関する知識も経験も天と地ほどの差があった。
「残念ながら違うのですよ。さらにこの回復系統の魔術は総じて術者の精神力を大幅に奪っていきます。例えばこの【ささやかな癒し】を一度唱えるだけの気力で、私は【炎の矢】を十回近く放つことが出来るでしょう。もしそれらの欠点さえなければ、恐らく私も回復の効果を持つ光の魔術を一つは【魂の器】に刻印していたでしょうね」
ナギラギアは口にしなかったが、基本的に単独行動をすることが多い彼女ともこの魔術の相性は悪かった。わざわざ詠唱をしなければならないという制限がある以上、即時性という点ではどうやっても【回復薬】に劣るからだ。
光の魔術について語っていたナギラギアだったが、いつしか少女の眼は遥か遠い彼方を見つめていた。
「何度も怪我を癒すことが出来る便利な輝石だよと言われ、まだ駆け出しだった私は愚かにもトレード相手が差し出したこの輝石につりあわない一品を出してしまったのです……そう、【精神力回復薬】の輝石をね」
「やめてえええええっ!! その名は出さないでえええええっ!!」
唐突に出てきた苦い記憶を揺り起こす単語にエレンが悲鳴を上げた。もはや彼女の中でそのアイテムの名は心を切り裂く悪夢と同義らしい。ナギラギアにとってはすでに克服した過去のことなのか、エレンにかすかな同情の視線を投げると口上を続ける。
「話が逸れてしまいましたね。昔の話はともかく、そんな理由で私にとってこの系統の輝石はあまり有用ではないのですよ。回復に精神力を割いて攻撃が出来なくなっては本末転倒です。どちらかというと貴方達のように武器で戦う執行者に向いた魔術でしょうね」
そう言うとナギラギアはアンリに青い輝石を手渡した。ナギラギアがメガロドントレードを始めるきっかけとなったらしい、いわくつきの宝石をまじまじと見つめるアンリ。
「なお、その効果はやはり魅力的に映るのか、回復の魔術の中で一番希少度が低いこの【ささやかな癒し】も執行者の間ではそれなりの価格で取引されています。……もちろん【精神力回復薬】の価値とは比べものになりませんがね」
輝石に対する講義を締めくくるとナギラギアは笑みを浮かべた。恐らく自嘲の笑みだったのであろうが、その笑顔を見たアンリとエレンは恐怖のあまり引きつった笑いを浮かべて互いに身を寄せ合っていた。




