エピローグ(1)
「よし、じゃあまずは出口の前にお宝を手に入れておくとするか。ご苦労だったな坊主」
「いえいえ、大したこっちゃないですよ」
男と誠は互いに上機嫌といった風で、男は台座のボタンに手をかけ、誠はその場で静かに立ち続けている。
そうして、
男は台座のボタンを押す。
Fajroのボタンを。
その瞬間、
男はこれも気がつかなかったろう。
誠が普段では到底考えられないような不敵な笑みを浮かべたことを。
ボタンはゆっくりと沈み、何やら台座の内部でカチャリと音がした。
刹那、
ボンッという破裂音にも似た音とともに、それは起きた。
ダイヤの台座が、
燃えた。
いや、燃えたなどという軽い表現では遠い。
まるで業火に包まれたかのごとく、轟々と音を立てて噴き出すような炎の柱が石の台座全体を包み込み、部屋中をオレンジ色の光で眩しく照らした。
露の間、
男は何が起こったのか理解出来ず、その場で固まってしまった。
が、その男に正気を取り戻させる。
誠の高笑いが。
メラメラと燃え盛る炎を見ながら、誠は笑いながら絶叫した。
「どうだい、良い眺めだろ。ダイヤは600度を超えると黒鉛化を始め、800度を超えれば炭化する。つまりは跡形も無く消えちまうのさ。この炎の勢いだ。それほどかからずに全部が燃えて無くなる。1000カラットのダイヤを焼いた気分ってのはどんな気分だ?」
ここでようやく男は誠の真意を理解した。
たばかられたのだ。
どういう理屈によってかは分からないが、とにかく騙された。
しかもその代償が1000カラットのダイヤ原石である。
あまりの状況に男は怒り狂って誠に飛びかかった。
ところが、
誠は退くどころか、突っ込んできた男の、それも銃を持った手に飛びつくと、その銃口が自分に向くのも構わずに取っ組み合いを始めた。
「撃てるもんなら撃ってみなよ。まあ、撃てるわけないよなあ。大事な大事な最後の一発だ。こいつを撃っちまったら、残りの四人は素手で相手することになるぜ!」
「この……クソガキ、なんで、そんなことまで知って……」
言いながら、ふたりは絡み合うようにして押し引きを続ける。
誠がもろに銃を奪いにかかってきたもので、男も片手ではあしらいきることが出来ず、両手でようやく均衡を保っていた。
だとはいえ、基礎体力の差は如実である。
始めこそ必死にすがりついていた誠だったが、徐々に男の手から振りほどかれそうになる。
しかし離れない。
炎の熱も手伝ってだらだらと汗をかき、ゼエゼエと喘鳴を鳴らしながら、なお男の腕から離れようとしない。
と、
「くそっ……舐めるなよ小僧。もし弾を使い切ったとして、残りはたかが女四人じゃねぇか。そんなもん、銃なんぞなくても……」
そこまで男が言ったところで、視界に入る。
人影。
途端、
ドンッ、と大きな衝撃が間接的に伝わってきたと思うと、
男が崩れるように倒れ込んだ。
体をくの字に曲げ、
膝を折り、
土下座でもするように、頭を地面に落とすようにして倒れた。
何が起きたのかは一瞬、理解出来なかった。
しかしすぐ知れる。
その理由。
人影の正体。
鉄子だった。
男と自分がもみ合っている隙を見て、鉄子がすぐそばまで接近し、男の後頭部に目掛けて肘鉄を喰らわしたのである。
効果は絶大。
男は完全に昏倒していた。
「……悪かったね。たかが女相手に負けさせちまってさ」
嫌味を含めて鉄子はそう吐き捨てるように言うと、倒れた男の手から銃を取り上げ、それを誠に手渡し、
「お疲れさん。よくやったな。見直したよ」
そう言って、にっこりと笑った。
「あ……ありがとう、ございます……」
「さて、あとはとりあえずこの男、縛り付けておいたほうがいいだろうね。頼めるかい?」
「もちろん」
返答するや、誠は自分の靴ひもを両方とも抜き取ると、男の手足を縛りにかかる。
「にしても、よくまあ銃持った相手に掴みかかれたもんだね。それに残り弾が一発だなんて、一体どうやって知ったんだ?」
「簡単ですよ。これはS&WM36。通称チーフ・スペシャル。装弾数は一般的なリボルバー式拳銃より少ない五発。そのうちの三発をこいつはドアの内側に撃ちこんでます。それにプラス、さっき俺が挑発して撃たせた一発を合わせると残りは一発になる。脅しの意味で使うからには、最後の一発はよほどでなけりゃ発射出来ませんよ」
「なるほどねえ。ほんと、あんたって(九尾の狐)だわ」
「……九尾の狐?」
「どの分野にも広く深く精通してる人間を指す隠語さ。さっき、男をだまくらかした手並みといい、本気で感心するよ」
「ああ……あれですか……」
照れながらも、そのくせまんざらでもないといった風で鉄子の言葉を受けていると、今度は唯が話しかけてきた。
「ほんとですよ。まさか斉部君、エスペラントにも詳しいなんて、びっくりしちゃった」
エスペラントとは、ユダヤ系ポーランド人であったラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフによって作られた俗ラテン語起源のロマンス諸語を由来とする人工言語である。
言語学の世界ではそれなりに知名度はあるが、実質知識を持つ人間は決して多くない。
「いや、知っているのは初歩の初歩だけなんですよ。Fajroは炎。Akvoは水。イエスとノーくらいは誰でも知ってるのと同じレベルです」
「それにしたって、あんな……デタラメをさも本当みたいに話してるところなんて……」
「まるで本物のペテン師みたいだったわね」
またしても、唯と会話しているところに梓が水を差す。
だが、
「だけど……確かに大したもんだったわ……」
付け足すように言われた言葉が、すべてを帳消しにする。
梓はどうにも照れくさそうではあったが、こうした言葉をかけられるようになってくれたのは大きな前進だろう。
「だけどさあ」
また声が飛んでくる。
今度は玲奈。
何故だか知らないが、何か不満そうな顔をして誠に問う。
「なんでボタンの意味を知ってたのに、わざわざダイヤを燃やしちゃったの?」
「……え?」
「だって、拳銃の弾が一発しか残ってないっていうのはダイヤを燃やすより前に分かってたんだし、ダイヤを燃やさなきゃいけない理由って無かったような気がするんだけと……」
「あー……それは、さ」
考えればもっともな玲奈の問いに、少し間を置いてから誠は、
「残りの一発は、そうそう撃たないって分かってたけど、でも万が一はあるわけでさ。その、万が一は起きるとしたら絶対に俺にじゃなきゃいけなかったんだよ。みんなには銃が向かない状況を作るために、出来るだけこの男を怒らせる必要があったんだ。だから……」
そこまでで、最後までは言い切れず、誠は言葉の代わりに照れ隠しの溜め息を吐く。
それでも、気持ちは伝わった。
鉄子に。
唯に。
梓に。
玲奈に。
みんな、納得した顔で誠を見つめた。
それはなんとも、
照れくさくも、優しい視線だった。




