有栖院ワンダーランド(1)
眠ると、人は必ず夢を見るらしい。
もし見ていない時があったとしても、それは単に夢を見たことを忘れているだけだとか。
とはいっても、覚えていなければ見ていないも同然。
では、夢を見たと自覚できるような夢はいつ見れるのか?
統計的には、浅い眠りの時ほど夢の内容をよく覚えていられるようなので、自覚のある夢とは熟睡していない時に見やすいと言えるだろう。
結果、
その条件に当てはまった少年が今、まさに夢にうなされていた。
石造りの壁と壁の間に挟まれ、息も満足にできない。
押された胸が苦しい。
呼吸をしようにも、壁に潰された肺が空気を受け入れてくれない。
そうしていると、今度は足元から水が上がってくる。
つま先から膝。
膝から太股。
太股から腹。
腹から胸。
胸から首。
どんどんせり上がってくる。
身動きもとれず、壁に挟まれ、そのままでも出来ない呼吸を、首まで迫った水がさらに困難にさせる。
苦しい、
苦しい、
苦しい!
息を、息をさせてくれ!
懇願するような思いとは逆に、なおも迫る水が口元まで迫る。
助けてくれ!
心の中で叫ぶ。
すでに口で叫ぶ余裕は体に無い。
助けてくれ!
何度そう思った頃だろうか。
遠くで自分を呼ぶ声がする。
上手くは聞き取れないが、
確かに自分を呼んでいるのだけは分かる。
だが空しい。
呼び声では自分は救われない。
今、自分が欲しいものは息の出来る環境だ。
自分をどんなに呼ばれようと、その願いが叶うわけではない。
絶望しながら、遠くから響く声を聞く。
意識が朦朧とする。
ぼんやりと開いた目には、見上げた壁と壁の間から差し込む太陽の光。
眩しい。
眩しくて、目を細める。
と、
急に声がはっきりとして聞こえてくる。
「……コッちゃん、マコッちゃん、マコッちゃんってば!」
はっとして、目を見開いた。
「あ、やっと目ぇ覚ました。ほら、もう朝だよマコッちゃん」
聞き覚えのある声。
聞き覚えのある呼ばれ方。
さらに言えば、
見覚えのある顔。
それがすぐ目の前にある。
窓からの太陽の光に照らされ、その姿ははっきり確認できる。
玲奈だ。
「お……まえ、一体、俺の部屋で何して……」
そこまで言い、誠は先ほどからずっと感じている息苦しさの原因を知った。
人をクッションか何かだと勘違いしているのか、玲奈が自分の胸元にどっかりと腰を下ろしていたのである。
「おい……とりあえず、どいてくれ。息が……苦しい……」
「え、ああ、ごめんごめん」
言って、玲奈はまたぐようにして誠の胸の上からどいた。
それに合わせ、誠は上半身を起こす。
「……ありがとう。ようやくまともに息ができるようになった……」
複雑な顔をして、玲奈に礼を言う。
「どういたしまして」
屈託の無い笑顔で玲奈がそれに答える。
どう考えても半分以上は嫌味のつもりで言った言葉なのだが、どうにも玲奈はその辺りの自覚が無いらしい。
と言って、わざわざこの程度のことで怒ったり、ねちっこく文句を言うのも大人げないと観念し、誠は自由におこなえるようになった呼吸を存分にすると、ひとつ軽い溜め息をついた。
すると、
はっきりし始めた頭に、疑問が浮かぶ。
「……あれ、ちょっと待て。なんでおまえが俺の部屋へ勝手に入ってこれた……」
ここまで言ったところで、誠は静かに口を閉じた。
部屋の入り口に目をやったせいである。
思い出した。
昨日の夜、鉄子が派手に自分の部屋のドアを蹴破ったことを。
蝶番から完全に外れたドアは、昨日、寝る前に入り口の脇に立てかけておいた。
すでにドアとしての機能を一切果たさないだろうことが確かだったからだ。
まあ、考え方の問題もあった。
女子校の寮に男がひとり。
ある意味で唯一、部屋の鍵がかからなかろうが、ドアそのものが無かろうが、大した危険には見舞われないだろう立場の人間。
それが自分だ。
しかし実際には危険とは言わぬまでも、災難には遭遇した。
いや、これも考え方の問題なのだが、
単に起こしに来てくれたという点だけで言うなら、玲奈の行為は厚意として受けるべきものである。
ただ、いかんせんその起こし方がどうにも……である。
よもや馬乗りになって起こされるとは、それこそ夢にも思っていなかった。
「ほら、マコッちゃん。もう朝8時だよ。そろそろ食堂で朝ご飯だから、早く起きなよ」
「朝メシ……ね。あんまり食欲無いな……」
「そんなこと言って。昨日だって夕飯、食べに来なかったでしょ。ちゃんと食べないと、体に悪いよ」
「へいへい……分かりましたよ。行きゃいいんだろ、行きゃあ。昨日の昼に行った食堂だろ。顔洗ったら行くから、おまえは先に行ってろよ」
「……マコッちゃん、私はおまえじゃないよ。露草玲奈。ちゃんと名前で呼んで」
「……分かった。分かりました。露草、すぐ行くから先に行っててください……」
「よろしい」
満足そうな笑顔をして、玲奈は腕組みしながらうなずいた。
そしてすぐ、昨日までドアのあった出入り口へ向かう。
「じゃ、待ってるからね。マコッちゃん」
手を振りながら、入り口の外へ玲奈が消える。
誠は、今日もまた何度となくつくのであろう溜め息をまたひとつ吐いた。




