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ようこそ、虎子ヶ原学園迷宮部  作者: 花街ナズナ
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冒険の意味(5)


「しかし、なんで三囲はあれが緑の線を切るべきだと分かったんだ?」

「あのメッセージの内容ですよ」

「メッセージ……フタに書かれたあれか?」

「はい。獅子とは昔、中国で語られていた伝説上の獣の名でもあるんです。そしてその獅子の体色は緑だったと伝えられています」

「なるほどねぇ……」

使い終えた工具を工具箱に戻しつつ、素直に感心して鉄子が言う。

「それにしても……この、部屋の右側に飛び散ってる赤いの……一体なんです?」

「ペンキだペンキ。ここに忍び込んだ馬鹿野郎が、(関門)のひとつをオシャカにした上に、部屋を汚していきやがったんだよ」

当たり前のように鉄子がウソ八百を口にする。

にやつきながら、手をひらひらさせて。

ここに至り、一度は弛緩したはずの感覚が蘇ってきた。

肉片の飛び散った惨状を見た時の感覚。

込み上げてくる吐き気と寒気に、誠はブルッと、上半身を大きく震わせた。

「どうした斉部。この暑いのに、風邪でもひいたか?」

「違いますよ。きっとようやく爆発物の処理が終わったもんで、一気に漠然としてた恐怖感が実感に変わったんでしょ。まったく、男のくせしてだらしない……」

「そうじゃねぇよっ!」

勝手な憶測で交わされた鉄子と梓の会話……特に、梓の小馬鹿にしたような物言いに対して、自分が先ほどまでどれだけ恐ろしい思いをしていたかも知らずに憶測を語る彼女がやたらと腹立たしく感じ、つい口から反論が飛び出してしまった。

「あら、じゃあなんだっていうのよ」

「そ……それは……」

「そらごらんなさいよ。やっぱりただ、びびってただけじゃない」

「だから違うって言ってんだろうが!」

そんなふたりの口論を聞いて、鉄子はクスクスと笑う。

実際のところを知っているだけに、この悲しいほどに噛み合わない会話はさぞ彼女にとっては面白く聞こえるのだろう。

だが、

完全に傍観で済ますほど、鉄子も不人情ではなかった。

……いや。

そこはかなり受け取り方に左右されるかもしれない。

彼女のした提案から考えれば。

「まあまあ、ふたりとも。少しは落ち着け」

「だ、だって、春賀さん。俺が気を遣って本当のこと言わないでいたら三囲の奴、好き放題に言いやがるから……」

「だったら言えばいいだろう」

「……は?」

「私の経験則からして、男って生き物は意地とプライドで生きてるところがある。とはいえ、常に意地とプライドの両方を立てて生きてゆくのは難しい。だから決めろ。男の意地で真実を話さずにおくか、それとも男のプライドで真実を話すか。なんなら私が代わりに話してやってもいいぞ」

鉄子の話をはっきり理解した上で迷う誠に対し、梓は鉄子の話がまったく分からず、少し困惑した表情で鉄子と誠を見つめている。

鉄子は変わらず、にんまりと笑ってふたりを見ている。

他人事だけに、なんとも気楽で楽しそうな様子である。

さりとて、誠も決断はしなければならない。

確かに意地とプライドは必ずしも両立できない。

この場合、どちらかを立てるしか方法は無いのはよく分かる。

だとしてもやはり迷う。

が、

「もう、何なんですか。別にこいつが意気地なしの木偶の坊だってことに違いはないでしょ。春賀さんまでこんな奴に妙な気を遣う必要無いですよ」

決定打であった。

その瞬間、はっきりと自分の頭の中に聞こえた。

何かが切れる音が。

途端、

誠は絞り出すような声で鉄子に言った。

「……春賀さん……」

「ん?」

「……俺は……プライドを取ります」

「オーケー♪」

なんとも機嫌良さそうに鉄子は答える。

そしてすぐに梓のほうを向くと、顔でも覗き込むようにして話し出した。

「三囲、悪いが私はあんたにひとつウソをついている」

「……え?」

「そこのさ、そこいらに飛び散ってる赤いの、あるだろ?」

「はい……ありますけど……」

「それ、人の血だ」

笑顔で鉄子は言う。

一方、

絶句して梓は固まる。

「細かく言うとな、右の爆発物処理にしくじったどこかの馬鹿が、そこらを血で汚してったんだよ。地面に大穴開けた爆発のあと、急激な気圧変化で死体はそのまま穴の中に吸い込まれたようなんだが、最初に来た時はそこら辺、飛び散った血と肉片でそりゃ大変で……」

「いやーーーーーーっっ!」

鉄子が言い終わるより早く、梓は絹を引き裂いたような悲鳴を上げ、隣に立っていた誠に抱きついた。

足元に視線を落とし、片足を上げ、もう片方の足はつま先立ち。

間違って何かを踏んづけたりしないようにという防衛反応だろう。

分かりやすいと言えば分りやすい。

こうなって、

困ったことに誠も硬直した。

痛いほど強く正面から抱きつかれ、自分の胸とみぞおちの間辺りに、梓のやんわりとした胸の感触が、ぎゅうぎゅうと伝わり、それは、もう……。

「ははっ、良かったな斉部。プライドも守れた上、あれだけ険悪だった三囲とも随分と仲良くなったじゃないか。ほんと、喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったもんだ」

拍手でもしそうな勢いで、鉄子は大笑いしながら誠と梓をはやし立てる。

そんな様子に気付いてか、梓は、はっと我に返ったようで、足元へ向けていた視線を勢いよく抱きついた誠の顔に向ける。

誠は……半笑いで対応するしかなかった。

刹那、

ものすごい衝撃が誠の横っ面に炸裂する。

まさしくとびきりの、梓から見舞われた強烈な右フックだった。

腰の入った拳をもろに喰らい、視界がぐにゃりと揺れる。

「こんの……ドスケベ!」

言い放ち、梓はものすごい早足で部屋を出ていった。

その間、

真っ直ぐに立っているはずが、体が斜めになったような錯覚と、一時的な思考の混乱に戸惑いながら誠は、

(ああ……なんか、三囲の髪って、シトラスの香りだったな……)

そんなどうでもいいことが、頭の中でぐるぐると回っていた。


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