↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】厄介払いで醜い公爵様に嫁ぎましたが、夜だけ小さくなる旦那様が私を離してくれません  作者: フトダマノミコト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/20

第4話 初夜の廊下で


 泣き声を辿って廊下を進むと、壁にもたれてうずくまる小さな影があった。


 ランプを掲げた瞬間、その影がびくりと肩を震わせる。


「……っ」


「大丈夫、驚かせてごめんなさい」


 私は急いで膝をついた。


 五歳か、六歳くらいの男の子だった。黒い髪はくしゃくしゃで、大きすぎる寝間着の袖を握りしめている。頬は涙で濡れ、裸足の足が小刻みに震えていた。


(こんな夜中に、どうして……)


 この屋敷に、子どもはいないはずだ。


 けれど、目の前の子は確かにここにいる。


「寒いでしょう。足、冷えていますよ」


 そっとランプを床に置くと、男の子は怯えたように後ずさった。


「こ、こないで」


「うん、近づかないわ。でも、泣いている子を放っておけないの」


 できるだけ優しい声で言った。


「私はミレッタ。今日、このお屋敷に来たばかりなの。あなたの名前は?」


 男の子は唇を噛んで、黙り込んだ。


 ランプの灯りが、その横顔を照らす。


 夜のような、深い青の瞳。


(……あれ)


 どこかで見たような気がした。


 昼間、広間で向き合った、仮面の奥の左目。


 あの、静かな夜色の瞳に、とてもよく似ている。


(まさか)


 まさか、と思う。


 けれど、「夜は私の部屋に近づくな」と告げた、あの切羽詰まった声が、頭の中で重なった。


 男の子は、しばらく黙っていたあと、蚊の鳴くような声で言った。


「……ディート」


「ディート。素敵な名前ね」


「……おねえさん、ミレッタ?」


「ええ、そうよ」


「きれいな、なまえ」


 ぽつりと呟いて、男の子はまた俯いた。


 その小さな肩が、どうしようもなく頼りなく見えた。


 私は、迷わなかった。


 手を伸ばして、そっと男の子を抱き上げる。


「わ……っ」


「ごめんなさい、少しだけ。ここは冷えるから、私の部屋で温まりましょう」


「だめ、だ。ぼくは、へやに、もどらないと」


「戻るなら、あとで送ってあげるわ。でも、今は泣いているのだから、少しだけ休んでいきましょう」


 腕の中の身体は、驚くほど軽くて、冷え切っていた。


 小さな手が、私の寝間着の袖を、ぎゅっと握りしめる。


「…………」


 何か言いかけて、結局何も言わずに、顔を私の肩に埋めた。


(この子、きっと誰かに甘えたかったんだ)


 胸の奥が、きゅっと痛んだ。




 部屋に戻ると、寝台の端にディートを座らせた。


 毛布で包んで、小さな足を手のひらで温める。


「痛くない?」


「……うん。あったかい」


 ようやく、ディートの肩から力が抜けた。


 私はトランクから、庭師のトーマスがくれた薬草の束を取り出した。乾いた葉を指先でほぐし、手巾に包んで枕元に置く。


「これはね、心を落ち着かせる薬草なの。母が好きだった香りよ」


「……いいにおい」


「でしょう?」


 ディートは、鼻をひくひくさせながら、手巾をじっと見つめていた。


 その首元で、細い鎖がきらりと光る。


 見ると、鎖には大きすぎる銀の指輪が通されていた。子どもの手には、到底はまらない大きさだ。


「それは?」


「……だいじなもの。ずっと、つけてるの」


「そう。素敵ね」


 指輪の表面には、剣と月桂樹を組み合わせた紋章が刻まれている。


 馬車の扉や門扉で見た、公爵家の紋章と、同じものだった。


(やっぱり)


 確信に近いものが、胸の中で形になった。


 けれど、私は何も言わないことにした。


 この子が、誰にも知られたくないと思っているのなら。


 隠しているものを暴くことが、優しさだとは思えなかった。


「ねえ、ディート」


「なあに」


「ここで、少し眠っていかない? 私、一人だと眠れなくて」


「……ミレッタも?」


「ええ。だから、ディートがいてくれたら嬉しいな」


 嘘ではなかった。


 知らない屋敷で迎える初めての夜は、思っていたよりずっと心細かったのだ。


 ディートは、じっと私を見つめた。


 それから、おずおずと毛布の端を掴んで、小さく頷いた。


「……いて、いい?」


「もちろん」


 そう答えると、ディートの顔が、ふにゃりと緩んだ。


 張り詰めていた何かが、ほどけたような顔だった。


 寝台に横になると、ディートは私の腕にしがみついてきた。小さな頭が、肩のあたりに収まる。


「ミレッタ、いなくならない?」


「ええ。ここにいるわ」


「あした、も?」


「明日も、その次の日も」


 そう答えた途端、腕を掴む指に、ぎゅっと力がこもった。


「……やくそく、だよ」


「約束」


 小さな指先を、そっと握り返す。


 規則正しい寝息が聞こえるまで、時間はかからなかった。


 薬草の優しい香りの中で、私は天井を見つめたまま、考えていた。


(夜になると、子どもの姿になる……?)


 呪い、という言葉が、ふと頭に浮かぶ。


 荒唐無稽な話だ。けれど、昼間の公爵様の態度も、屋敷の人たちの沈んだ表情も、すべて説明がついてしまう。


 夜は来るなと言ったのは、この姿を見られたくなかったからだ。


 怯えていたのは、私を怖がっていたのではない。


 知られることを、恐れていたのだ。


(あんなに冷たい声を出していたのに)


 腕の中の寝顔は、あどけなくて、安心しきっていて。


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。


(大丈夫です、旦那様。私は、誰にも言いません)


 そっと、小さな頭を撫でた。




 気づいたときには、窓の外が白み始めていた。


 いつの間にか眠ってしまったらしい。


「ディート?」


 呼びかけても、返事はない。


 腕の中には、もう誰もいなかった。毛布だけが、ほんのりと温もりを残している。


 起き上がって、部屋を見回す。


 扉は閉まったまま。窓も、閉まったまま。


 それなのに、あの小さな男の子の姿は、どこにもなかった。


「……あ」


 枕の上に、きらりと光るものがあった。


 手に取ると、細い鎖に通された、大きな銀の指輪だった。


 剣と月桂樹の紋章が、朝日を受けて静かに輝いている。


 私は指輪を両手で包み込んだ。


 夢ではなかった。


 あの子は、確かにここにいた。


 そして、あの子は、きっと。


「……旦那様」


 小さく呟く。


 初夜の廊下で出会ったのは、小さな泣き虫の男の子で。


 その正体は、冷たい仮面の公爵様だった。


 私は、まだ温もりの残る指輪を、そっと握りしめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。