第14話 叔父の罠
それから三日、屋敷には張り詰めた空気が流れていた。
門には見張りが増やされ、使用人たちは二人一組で動くように言いつけられた。私の部屋の前にも、昼夜を問わず誰かが控えている。
旦那様は、書斎に籠もって手紙を書き続けていた。
王宮の監察院へ、呪いと先代公爵様の急死について調べてほしいと願い出たのだと、ハンスさんがそっと教えてくれた。
「返事が届くまで、どうかご辛抱くださいませ」
「はい。分かっています」
私は頷いた。
本当は、怖かった。
けれど、旦那様が必死に私を守ろうとしてくれているのが分かるから、怖がってばかりはいられなかった。
四日目の朝。
王宮からの使者が来ると知らせが入り、旦那様は朝早くから応接室で支度をしていた。
「ミレッタ。今日は、部屋から出るな」
「はい」
「マーサから離れるな。何かあれば、すぐに私を呼べ」
「承知しました」
旦那様は、私の手を取り、指先に唇を寄せた。
仮面越しでも、その目が不安に揺れているのが分かった。
「すぐに戻る」
「お待ちしています」
そう答えて、私は旦那様の背中を見送った。
昼前のことだった。
部屋で刺繍をしていると、扉が控えめに叩かれた。
「奥様……」
か細い声に、マーサさんが立ち上がる。
扉の向こうに立っていたのは、若い侍女だった。
赤茶色のおさげ髪。泣き腫らした目。手には、何かを大事そうに握りしめている。
「リゼ!」
マーサさんが、鋭い声を上げた。
姿を消していた、あの侍女だった。
「申し訳ございません、奥様、侍女長様……っ」
リゼは、その場に崩れるように膝をついた。
「わたし、脅されていたんです。故郷の弟が病気で、薬代が要るなら、言うとおりにしろと……ブローチを持ち出したのも、わたしです」
「あなたが……」
「でも、怖くなって。あの方の屋敷から、逃げてきました」
リゼは、震える手を開いた。
そこには、黒い石のブローチが握られていた。
「お返しします。どうか、旦那様に……」
私は、息を呑んだ。
呪具だ。
これがあれば、旦那様の呪いを解けるかもしれない。叔父上の罪の証拠にもなる。
「マーサさん、すぐに旦那様に」
「お待ちください、奥様」
マーサさんが、私の前に腕を出した。
その目は、厳しくリゼを見据えている。
「リゼ。あなた、どうやって門を通ったの。見張りがいたはずよ」
リゼの肩が、びくりと跳ねた。
その瞬間、背後の窓が、音を立てて割れた。
「きゃあっ!」
黒い外套の男たちが、窓から次々に飛び込んでくる。
マーサさんが、私を背に庇った。
「奥様、お逃げくださ……っ」
鈍い音がした。
マーサさんの身体が、ぐらりと傾いて、床に倒れる。
「マーサさん!」
駆け寄ろうとした腕を、乱暴に掴まれた。
口に布を押し当てられる。甘ったるい匂いが、鼻の奥に広がった。
視界の端で、リゼが顔を覆って泣いているのが見えた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
(だめ。旦那様に、知らせなきゃ)
必死に手を伸ばす。
指先が、鏡台の上の何かに触れた。
トーマスがくれた、薬草の手巾。
それを握りしめたまま、私の意識は、暗闇に沈んでいった。
目を覚ましたのは、知らない部屋だった。
薄暗い石造りの部屋だ。高い窓からは、傾きかけた陽の光が細く差し込んでいる。
手首には、縄が巻かれていた。
「お目覚めかね、ミレッタ殿」
聞き覚えのある声に、顔を上げる。
暖炉の前の椅子に、ガルフォード様が座っていた。
杖の握りを指で撫でながら、楽しそうに私を見下ろしている。
「……ここは、どこですか」
「私の別邸だよ。公爵家の屋敷から、馬で一刻ほどのところだ」
「マーサさんは。リゼは」
「侍女長なら、少し眠ってもらっただけだ。あの小娘は、役目を終えたから故郷へ帰した。弟の薬代をつけてね。私は約束は守る男だよ」
ガルフォード様は、悠々と笑った。
その手の中で、黒い石のブローチが、鈍く光っている。
「これを餌にすれば、君は必ず食いつくと思った。甥を想う、健気な奥方だからね」
「……どうして、こんなことを」
「どうして?」
ガルフォード様は、ゆっくりと立ち上がった。
「君が来てから、呪いが弱まり始めた。このブローチを君に持たせて確かめたが、間違いない。このままでは、三年かけた私の苦労が、すべて台無しになる」
「三年……では、本当に、あなたが旦那様に」
「兄上は、少々邪魔でね。甥も、いずれ呪いに耐えかねて、自ら爵位を手放すと思っていたのだが」
ガルフォード様は、窓の外に目をやった。
空が、ゆっくりと茜色に染まりつつある。
「あの子は、存外しぶとい。ならば、もう少し手っ取り早い方法を選ぶことにした」
「何を、するつもりですか」
震える声で問うと、ガルフォード様は、にっこりと笑った。
「何、待つだけだよ。日が沈むのを」
背筋が、凍りついた。
「愛しい奥方がさらわれたと知れば、甥は必ず助けに来る。だが、ここへ着く頃には、夜だ」
杖の先が、こつりと石の床を叩いた。
「小さな、小さな公爵様が、一人きりで迎えに来るのを、ゆっくり待とうじゃないか」
子どもの姿の旦那様は、剣も握れない。
誰かと戦うことも、身を守ることも、できない。
夜の公爵家当主が、不幸な事故で亡くなる。
叔父上は、それを待っているのだ。
「やめて……っ」
縄が、手首に食い込む。
私は、握りしめたままの手巾に、そっと指を這わせた。
薬草の香りが、かすかに漂っている。
(旦那様。来ないで)
そう願う心と。
(でも、もし来てくださるなら)
そう願ってしまう心が、胸の中でせめぎ合う。
窓の外で、最後の陽の光が、森の向こうへ沈んでいった。




