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【完結】厄介払いで醜い公爵様に嫁ぎましたが、夜だけ小さくなる旦那様が私を離してくれません  作者: フトダマノミコト


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第10話 妹の訪問(ディートハルト視点)


 朝の光の中で、ディートハルトは、ハンスから報告を受けていた。


「ハーゲン伯爵家の馬車が、昨夜遅くに門の前に到着いたしました。奥様の妹君、クラリッサ様でございます」


「……何の用だ」


「姉君に会いたい、と。ですが、真の目的は、おそらく」


「様子見だろう」


 ディートハルトは冷たく言った。


 ミレッタから聞いている。彼女の実家での扱いも、妹が縁談を押し付けたことも。


 あの娘の顔を思い浮かべるだけで、胸の奥が黒く渦を巻いた。


「応接室に通せ。私も同席する」


「旦那様が、でございますか」


「何か問題でも」


「いえ。むしろ、頼もしく存じます」


 ハンスは深く頭を下げた。


 ディートハルトは、机の上の仮面を手に取った。


 今日は、つけていくべきだろう。


 あの妹に、素顔を見せてやる義理はない。


 けれど、ミレッタの前では、外してもいいと思っている。


 そんな自分に気づいて、苦笑がこぼれた。




 応接室には、すでに二人の女が座っていた。


 一人は、金色の髪を丁寧に巻いた、華やかな装いの娘。ハーゲン伯爵家の次女、クラリッサだ。


 もう一人は、ミレッタだった。


 淡い灰色のドレスを着て、静かに背筋を伸ばしている。


 その手が、膝の上でぎゅっと握りしめられているのを、ディートハルトは見逃さなかった。


「お待たせした」


 扉を開けて入ると、クラリッサが、びくりと肩を震わせた。


「あ、あなたが……公爵様……」


「ディートハルト・ヴェルナーだ」


 仮面越しに視線を向けると、クラリッサは慌てて立ち上がり、膝を折った。


「お初にお目にかかります。クラリッサ・ハーゲンと申します。姉のミレッタが、お世話になっておりますわ」


「そうか」


 短く答えて、ディートハルトはミレッタの隣に腰を下ろした。


 肩が触れるほどの距離だ。


 ミレッタが、小さく息を呑んだのが分かった。


「それで、用件は」


「まあ、そんなに構えないでくださいませ。姉が心配で、様子を見に参りましただけですもの」


 クラリッサは、にっこりと微笑んだ。


 けれど、その目は、ちらちらとディートハルトの仮面を観察している。


 値踏みするような視線だった。


「お姉様、お元気そうで何よりだわ。こんな陰気なお屋敷で、どうしているかと、毎晩心配していたのよ」


「ありがとう、クラリッサ。おかげさまで、元気にしているわ」


「本当に? 無理をしていない?」


 クラリッサは、わざとらしく眉を下げた。


「お顔のことは存じておりますもの。もし辛いのなら、お父様にお願いして、離縁のお話を」


「クラリッサ」


 ミレッタの声が、低く響いた。


 ディートハルトは、思わずミレッタの横顔を見た。


 彼女は、まっすぐに妹を見据えている。


 その目に、迷いはなかった。


「それは、公爵様に対して、とても失礼な言葉よ」


「え……」


「お顔のことで、あなたに何かを言われる筋合いはないわ。ここの皆様は、私にとても親切にしてくださっているの。公爵様も、私にはとてもお優しい方よ」


「お、お姉様、何を……」


「私は、自分の意思でここにいるわ。縁談を押し付けられたことは事実だけれど、今は、ここに来られて良かったと、心から思っているの」


 静かな声だった。


 けれど、芯の通った声だった。


 クラリッサの顔が、さっと青ざめる。


 ディートハルトは、胸の奥が、じんと熱くなるのを感じた。


(……言い返したのか、私のために)


 彼女は、いつも一歩引いて生きてきた。


 虐げられても、黙って耐えてきた。


 その彼女が、初めて、妹に牙を剥いた。


 自分のために。


 そう思った瞬間、抑えていたものが、ふっと切れた。


「クラリッサ殿」


 ディートハルトが口を開くと、部屋の空気が、ぴんと張り詰めた。


「あなたは、先ほど、私の屋敷を陰気だと言ったな」


「そ、それは、言葉の綾で」


「私の妻を気遣うふりをして、離縁を勧めたな」


「ち、違いますわ。わたくしは」


「私の妻は」


 低く、一語ずつ区切るように、言った。


「あなたの姉である前に、この屋敷の主人の妻だ。その彼女に対する無礼は、私に対する無礼と同じだと心得てもらおう」


「…………」


「縁談を押し付けたのは、あなたとあなたの母君だと聞いている。そのおかげで、私は最高の妻を得た。そこだけは、感謝しよう」


「え……」


「だが」


 ディートハルトは、ゆっくりと立ち上がった。


「二度と、彼女を貶めるような言葉を口にするな。次はない」


 クラリッサは、がたがたと震えながら、頷いた。


 仮面の奥から注がれる視線の冷たさに、全身が凍りついたようだった。


「ハンス。お客人がお帰りだ」


「かしこまりました」


「お、お待ちください、公爵様。わたくしは」


「聞こえなかったか」


「…………っ」


 クラリッサは、ふらつきながら立ち上がり、ハンスに連れられて部屋を出ていった。


 扉が閉まる直前、彼女がこちらを振り返ったのが分かった。


 悔しさと、怯えと、それから、わずかな後悔の混じった目。


 けれど、ディートハルトは、もう興味がなかった。




 応接室に、静けさが戻る。


 ディートハルトは、ミレッタの隣に、再び腰を下ろした。


「……すまない。出しゃばった真似を」


「いいえ」


 ミレッタが、小さく首を振った。


 その目が、わずかに潤んでいる。


「ありがとうございます、旦那様。あんなふうに庇っていただいたのは、初めてで」


「庇ったつもりはない。事実を言ったまでだ」


「それでも、嬉しかったです」


 ミレッタは、そっと微笑んだ。


 その笑顔が、ひどく眩しかった。


 ディートハルトは、思わず仮面に手をかけ、静かに外した。


「旦那様?」


「……この顔のままで、言いたい」


 痣のある顔で、まっすぐに彼女を見つめる。


「お前が、私の妻で、本当によかった」


 ミレッタの目が、大きく見開かれた。


 それから、ぽろりと一粒、涙がこぼれた。


「……はい」


 彼女は、笑いながら泣いていた。


 その手を、ディートハルトは、そっと握った。


 温かい。柔らかい。


 夜の自分が、あれほど離したくないと思う理由が、昼の自分にも、はっきりと分かった。


 この手を、絶対に失いたくない。


 そう強く思った、そのときだった。


 扉が、控えめに叩かれた。


「旦那様、失礼いたします」


「入れ」


 戻ってきたハンスの顔が、いつもより険しい。


「何かあったか」


「はい。先ほど、早馬が参りました」


 差し出された封書の封蝋を見て、ディートハルトの目が、鋭く細められた。


「……叔父上か」


「ガルフォード様が、明日、お屋敷を訪れるとのことでございます。奥様にも、ご挨拶をしたいと」


 ミレッタの手が、かすかに震えた。


 ディートハルトは、その手を強く握り返した。


 来たか、と思う。


 三年前、父が急死してから、屋敷の周りを嗅ぎ回っていた男。


 自分が呪いを受けた夜、最後に会っていた男。


 その男が、ミレッタに会いに来る。


 ディートハルトは、静かに息を吐いた。


「ミレッタ」


「はい」


「何があっても、私のそばを離れるな」


 低い声に、彼女は、迷わずに頷いた。


「はい。離れません」


 窓の外では、雲が空を覆い始めていた。


 嵐の前触れのような、重たい灰色の雲が。

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