薔薇の変化(へんげ)(その2)
マリオンは、ふふっと小さく笑った。
「よくわかってるじゃないか。理由はともかく、なかなか新しくて面白い試みだと僕は思っているんだけど」
「確かになんとかうまくいけば、いい手かもしれないが。だが、お前があそこに長期滞在しなくてはならなくなるという理由付けの部分は、いまいち弱いな。最初のとっかかりは俺がお前を招待するのでいいとして、その後だ。ロザリンでも使うか?」
マリオンが眉を上げた。
「ロザリン姫?」
「ロザリンはお前に興味を持ったらしい。あの娘は目新しくて綺麗なものが好きなんだ。お前なら条件にぴったりだよ。彼女を落とせば、長期滞在だろうがなんだろうが、やりたい放題だろうさ」
マリオンは顔をしかめた。
「そういう女性を傷つけることはしたくない」
ジェイクは肩をすくめた。
「傷つきゃしないさ。お前が甘い言葉を囁けば、逆に嬉しがるに決まってる」
「誰もロザリンの心配なんてしてない」
ふてくされたようなマリオンの言葉に、一瞬、ジェイクが呆れたように口を開き、次の瞬間には声を立てて笑い出した。
「なるほど、フェリシアの心配か? だいぶ尻に敷かれてるな、お前。黙ってりゃわからないって」
「どうかな? 悪い噂は千哩を走る、からね。泣かれるとあとが怖い」
そこで、マリオンは小さくため息をもらした。
「ところで、ジェイク、前から聞きたかったんだけど」
じろっとジェイクが鋭いまなざしでマリオンを見て、それからふっと口を自嘲の笑いに歪めた。
「ロザリンと俺の関係のことだろう?」
マリオンは無言で肩をすくめ、それをジェイクは肯定の印と受けとった。
「そう、夜にはよく彼女の寝室で過ごしたよ。これでいいか?」
「本当かい?」
マリオンはかすかに眉を寄せた。
城付きの魔術師と姫君の恋愛沙汰は確かに珍しくない。確かにそのような想像もしていたが、ジェイクが本当にそういう類の男だとは今まで思ってもみなかったのだ。はっ、とジェイクは短い笑い声をあげた。
「貴族の姫君なんてみんな似たり寄ったり。好きなもの、珍しいもの、気に入ったものは何だって手に入れられるものだと思っているのさ。
宝石やドレスが欲しい姫君もいる。人々を脅かす力が欲しい者もいる。ロザリンは、賛美者が欲しいタイプだ。見栄えがよくて力のある男が、自分に傅くのが楽しいんだ。自分がこの世で一番美しいと思っている。どっかの誰かのように、自分をかけらも賛美しない男は人間じゃない」
と、最後のところで、ジェイクはマリオンのほうを意味ありげに指差してみせた。
マリオンは問い掛けるように眉を上げ、親指で自分の胸を指さし、「なるほど?」と、苦笑した。
「賛美者は五万といるが、姫君のお眼鏡にかなうのは、ごく一部だ。その中に俺もいた。ただ、俺は純粋な賛美者というわけじゃなかった。だから、姫君の好きなようには動かなかったらしいな。さんざ振り回された挙句、嫌われて、ぽい、さ」
ジェイクの自嘲気味のその口元に浮かんだ苦い笑みに、いつかのジェイクの真似をしてマリオンはぐるっと目玉を廻して見せた。
「振り回されたのはどっちだい? 君が振り回した、の間違いじゃないの?」
「違うね。この俺が振り回された。あの歳でやってることといったら、そこらの娼婦並みさ。困った姫君だ」
そう言ってジェイクは、疲れたように椅子の背に深くもたれた。
「そういう女がなまじ権力を持っていると、この上もなく危険さ」
「いやはや、あきれたね」
「そう、あきれるのも無理はないさ。あれで父親は彼女に夢中だ。聖女の如く扱っているが、とんでもない」
マリオンはかすかに苦笑いを交えたため息をついた。
「僕があきれたのは君に、だよ。ちゃんとわかってるかい? ジェイク、君は彼女を」
マリオンが最後まで言いきらないうちに、ジェイクが片手を振ってそれを押し留めた。
「言うな。お前の言いたいことはわかってる。聞きたくもないし、俺は絶対に認めない」
マリオンは、肩をすくめ、
「どうやら、自覚はあるみたいだね。わかってるならいいけど」
そうつぶやくと、気を取り直したように深く息を吸った。
「とりあえず、『僕が』ロザリンに言い寄るのは、最後の手段にしてほしいな」
「勝手にしろ」
少ししゃべりすぎたとでも言いたそうに、ジェイクは不機嫌な顔でそっぽを向いたまま短く答えた。
「ところで、父親とは仲がいいようだけど、ロザリンとヘンリエッタの関係はどうなんだい?」
「ヘンリエッタ?」
訝しげにマリオンへ視線を戻し、ジェイクが首をかしげた。
「ロザリンと母親? ここしばらく、会ってないんじゃないのか? 前にロザリンにそんなことを聞いた気がする。俺も顔を見たことがないな」
「一緒に住んでいるのに?」
ジェイクはかぶりを振った。
「確かにおかしいと思うだろうな。だが、ここ何年か顔も見ていないし、別に会いたくもないと言っていたぞ。嘘には聞こえなかった」
そうか、とマリオンは視線を宙にさまよわせると、右手の甲を口元に当て人差し指の第一関節を軽く噛んだ。
「今回の件は、ヘンリエッタに関係があるのか?」
目を細めたジェイクが問うと、マリオンが視線を彼に戻し、にやっと凄味のある笑みを浮かべた。
「鋭すぎると、長生きできないよ? ジェイク」
「ふん。俺も不思議に思っているからさ」
「君も? 何故?」
マリオンが笑いを引っ込め、真顔で尋ねた。
「モーリス、あの護衛長の話した噂話を覚えているか?」
ジェイクはその質問に直接答えず、椅子に寄りかかったまま、片手を額に当ててマリオンのほうを透かし見た。
「もちろん、覚えてる。若い娘が行方知れずになる事件が、サモンデュールの領地内でたびたび起きてるというやつだろ? あれが?」
「あれの一等最初の頃の噂の中に、ヘンリエッタが出てくるんだ」
「なにっ!?」
マリオンは深くかけていた椅子から身を乗り出した。
「最初に行方知れずになったのは、領地の北の外れにあるハロウ村の娘だった。娘は、夜半、家のすぐ裏手にある井戸へ水を汲みに行って行方が知れなくなった。最初は井戸に落ちたのだろうと思われていたが、浚っても出てこなかったので、大騒ぎになった。その時、夜半に井戸の傍に立つ女を見た、と言う者が出たのだ。ヘンリエッタと思しき女をね」
「それで?」
「それでしまいさ。娘は見つからず、もちろん、領主の奥様が夜半にそんなところにいるはずもない。逆に言い出した男が疑われ、村を追われる始末」
うーん、とマリオンは唸った。
「だから、俺は、ヘンリエッタに興味を持った。人前にここ十年ほども姿を現した様子がないのに、何故、そんな事件のときだけ姿を見られたのだろうか、とね」
「つまり、君はその男が見た女は、ヘンリエッタだったかもしれない、と思っているわけ?」
ふふん、とジェイクは鼻で笑った。
「自分の犯罪をごまかすためにつく嘘なら、もう少しうまい嘘をつくだろう。夜中だぜ? 女じゃないほうが信憑性は格段に増すさ。だから、俺はその男が見たものは、本当に彼女だったのではないか、と思っている。俺はその男を探したが、もうどこかへ姿を消していて見つからなかった」
「あるいは、よく似た誰か、ね」
マリオンの言葉にジェイクがきっ、と鋭い視線を向け、皮肉な笑みを浮かべた。
「ロザリンだった、といいたいのか? あいにくだな」
「その晩、君と一緒だった?」
先取りしたマリオンの言葉に、ジェイクは一瞬、鼻白んだ様子だったが、すぐにまた口元を歪めた。
「鋭すぎると、長生きできないぜ? マリオン」
さっきの自分のセリフを真似されて、あははは、とマリオンがのけぞって笑い、やがて笑いをおさめ椅子に深くもたれ、「なるほどね」と、真剣に考え込む顔になった。
それからしばし、二人の間に沈黙が流れた。それぞれがそれぞれの思いの中に浸っている。
先に沈黙を破ったのは、ジェイクだった。
「さて、では報酬の話からするか?」
マリオンは目をぱちくりさせた。
「報酬? 君の?」
「当たり前だ。俺だって危ない橋を渡るんだぞ? ばれたら職を失う。それなりの物は貰わないとあわないぜ」
「そうだね。じゃあ、金貨でいいかい? 千枚くらいかな?」
ジェイクがあからさまに顔をしかめ、指を三本出して見せた。
「馬鹿言え。そんな少ない金額で、あんなことできるか! たんまり持ってるって自分で言っただろ? 三倍出せよ」
「三千!? 法外もいいとこだろ? それ」
マリオンが驚いたように大きく身を乗り出し、それに気を良くしたらしいジェイクがくっくっと含み笑った。
「じゃあ、やめておけ。他の手があるならそっちにしろ。第一、俺はその場にいなくても別にいいんだぞ? 城へ入る手引きをしたら、あとはお前が全部やるんだから。俺はこの城でフェリシア嬢とのんびりもできるわけだ」
それを聞くと、マリオンが眉間に皺を寄せて、思い切り渋い顔をした。
「君にこの城に居着いてもらっちゃ困るんだけど。それに一緒に行ってくれないと、さすがに僕だって最初は勝手がわからないし、何より離れていたら魔法がうまく作用するかどうかわからないよ」
ジェイクがにやにや笑いを口元に貼り付けた。
「つまり、俺が側にいないと困るんだよな。じゃあ、どうする? 払うか払わないかは自分で決めろ」
マリオンは再びうーん、と唸り声をあげた。
「しょうがないなぁ。だいぶ、足元見られてるけど」
「よし、じゃあ、半金は前払いだ。払ってもらえたら、すぐにでも出かけよう。あんまり城をあけておきたくないんだ」
マリオンがかすかにため息をつき、「僕もだよ」と、自分にだけ聞こえるような声でつぶやいた。
****************
空気が揺れ音にならない衝撃が三階にいたフェリシアを襲い、手芸に夢中だった手を止めさせた。
「今のは何? すごい魔法の気配だわ。何があったの?」
途中だった刺繍の枠を置き、フェリシアは立ち上がると部屋を出てみた。
もうすでに、魔法の気配は消え失せている。城の中には、マリオンの結界が張られていて他者の魔法が使われたはずはない。
だが、あれだけの影響を与える魔法とはいったいなんなのか?
フェリシアは、胸騒ぎを覚えた。
今、彼はジェイクという黒魔術師と二人で書斎にこもっているはずだ。
そろそろ、一刻(二時間)ほどにもなろうとしている。
彼らの関係がどういうものか彼女にはよくわからないが、ざっと見たところ、仲のいい気を許した友人同士だとは思えなかった。
もっと割り切った付き合いの仕事上の友人だと、フェリシアは受け取っていた。となれば、ジェイクが何か悪い志を持ってこの城へ入り込んだということも充分考えられた。
「でも今のは、攻撃魔法という感じではなかったけれど」
フェリシアが首をかしげながら、三階から階段を降りかけると、二階のマリオンの書斎から二人が出てくるところが見えた。
マリオンは、いつもの明るい砂色のマントを着込みすでに旅支度を整えていて、ジェイクもその後ろに続いている。
「あら、マリオン。お出かけなの?」
声をかけると、マリオンはいつもの顔で上を向いたが、一瞬ためらったようにフェリシアには見えた。
「ああ、サモンデュールの城へジェイクとね。少し長く留守にするかもしれないよ」
マリオンは眩しそうにフェリシアを見つめ、微笑んだ。
「長いの? じゃあ、旅の支度はどうしたの?」
言いながら、フェリシアは慌てて階段を駆け降りた。
「大丈夫。もう済んでる」
いつもなら出かけるときに、フェリシアに声をかけないはずがない。
それなのに、彼はすでに出かけようとしている。放っておいたら、別れの挨拶もかわさぬまま、彼女を置いてさっさと二人で馬に乗って出て行ってしまったに違いない。
フェリシアが彼のところに降りきったとき、不可思議な魔法の気配があたりの空気に重く纏わりついていることに気がついた。
これはなんだろう? いったい、彼は何の魔法を使ったのだろう?
それに気をとられていると、いきなり横合いからマリオンに抱きすくめられフェリシアは小さく悲鳴をあげた。
「行ってくるよ、フェリシア」
耳元でマリオンのいつもの深い柔らかな声が囁く。
だが、ふいにフェリシアは恐怖を感じ、マリオンの身体を両手で押し戻した。
「い、行ってらっしゃい。気をつけてね」
かすかに自分の声が震えているのがわかって、フェリシアは愕然とした。
「どうしたんだい? フェリシア」
彼の指がフェリシアの顎をとらえてその白い顔を仰向かせたが、ぐいっと後ろからジェイクがその肩を引いた。
「早くしろよ。俺は急いでるんだ」
と、ジェイクが怖い顔で睨みつけると、マリオンはくすくすと悪戯っぽく笑って彼女から離れた。
「いいかい、フェリシア。君はこの城を一歩も離れちゃいけないよ?」
ちっちっと目の前で軽く指を振って見せた彼は、そうフェリシアに言い聞かせると、喉をそらして明るく笑いながら不機嫌そうなジェイクと共に、広間を抜けて表へ出て行った。
「今のは、いったい何?」
今まで彼を怖いと思ったことなんて、一度もなかったのに。
あの魔力の宿る金色の目を覗き込んで見たときでさえ、フェリシアにとってマリオンは怖い存在ではなかったというのに、いったいどうしたことだろう。
後に一人とり残されたフェリシアは、混乱したまま両腕で自分を護るように抱きしめ、呆然と立ち尽くすだけだった。




