薔薇の暗転
【J&M's SIDE】
「さすがだな、彼女は。わかるんだ」
マリオンの言葉は風に乗って後方へ流れ、わずかに内容を聞き取れたジェイクが顔をしかめた。
二人は、すでにマリオンの城から遠く離れたサモンデュールへ続く街道を走っていた。ジェイクの黒い馬はマリオンの城できちんと手入れされ、元気いっぱいだった。マリオンはいつもの白馬ではなく、艶のいい大きな鹿毛に乗っている。
どちらもかなりの速度で飛ばしていて、だいぶ道程を稼いでいた。
「この調子なら、明日にはサモンデュールへ着くな」
ジェイクが独り言のようにつぶやいた言葉を、今度はマリオンが聞き咎めた。
「明日だって? 途中で休ませないつもりか?」
ジェイクは口元を笑いの形に歪ませた。
「早く帰りたい、と言ったのはそっちだろう? 俺じゃないぞ」
「僕は『帰りたい』んじゃないぞ。僕の城は今出てきたところだろう。言葉を間違えるな」
「これは失礼。行きたい、の方が正しいな」
ジェイクがにやにやと笑い、マリオンが無言のまま眉をあげた。
だが結局、二人は馬を休ませるために途中の町で一泊することになった。
先を急いではいるが、馬を乗りつぶすつもりはどちらにもなかった。
馬の手入れを頼み宿で夕食をとると、二人は酒も飲まずに早々とベッドに入り、翌朝は朝日の昇りきらぬうちに町を出立した。
まだそれほど速度は出ておらず、二頭の馬は街道を早足で並んで駆けていく。
街道は夏の早朝の穏やかな明るさに満ちていて、街道沿いには小さな露草がその青い花びらを開き始めていた。
「だいたいにして、なんで、お…、僕の城で魔法をかける必要があったのか知りたいね。この道程の分だけお互いの負担が大きくなると思うぞ。この魔法、長時間持つものではないと思うが」
マリオンが不平そうに口を尖らせ、ジェイクが薄く笑った。
「しかたがないさ。この魔法はどうしてもあたりにかなりの衝撃をもたらす。現にフェリシアが気づいただろう? 部屋に結界が張ってあったにもかかわらず、だ。侯爵の領地内で行ったら、気づかれるかもしれない。特に」
と、そこでジェイクが言葉を切り、マリオンが後を続けた。
「ラザラスに」
それに、とジェイクは皮肉げに笑った。
「自分の顔をよく見るいい機会だっただろう?」
と、不思議な言葉を口にした。
「僕はそんなもの見たくなかったぞ」
マリオンが不機嫌そうな顔で答え、ジェイクが
「自分の顔には責任を持たないとな」
と、嫌味な笑いを口元に浮かべた。
「本当に嫌な奴だな。その言葉、後で後悔するなよ?」
マリオンがそう言い放ち、思い切り鹿毛の横腹にブーツの踵で蹴りを入れた。
「おいっ!」
ジェイクが声をかけるまもなく、マリオンの鹿毛は街道を疾風の如くに砂埃を巻き上げて走って行く。
ちっ、とジェイクが舌打ちをしてその後を追った。
途中何度か馬のために休みは入れたが、そのままジェイクがマリオンを追うような形で走り続け、日が落ちる前に二頭の馬はやっとサモンデュール侯爵の居城へたどり着いた。
門番が片手を挙げるジェイクの姿を認め、門を大きく開けた。
「おかえりなさい、ジェイク様。お戻りになったら、殿様の御許へいらっしゃるようにという事です。今は執務室のほうへいらっしゃいます」
気のよさそうな赤ら顔の大男が、陽気に手を振り返しながら大声で伝言を伝えてよこした。
「ありがとう」
ジェイクは鷹揚にもう一度軽く片手を挙げると、門の中へ馬を乗り入れた。
「さて、お手並み拝見といこうか。ばれずにうまくいくかな?」
馬から下りると、どこか面白がっているような調子でマリオンがジェイクの耳元にささやき、ジェイクは唇をゆがめ、小さく肩をすくめた。
「うまくいかなかったらそれまでさ。瑣末な事は気にしてもしょうがない」
それを聞くと、マリオンは一瞬呆れたような顔をして、それから笑いをかみ殺すように下を向いた。
「あいかわらず、だね」
ジェイクは答えず、それでもやはり少し緊張した面持ちで中へ入った。
廊下を抜けて大きな広間へ出ると、正面に黒い地に金色のつる草の文様が浮き出た手すりのついた長い階段がある。
そこをあがれば正面の奥に侯爵の待つ二階の執務室があった。
「城内の地図は頭に入っているよね?」
と、マリオンが小さく問いかけ、ジェイクがかすかに肯定の印にうなずき返したとき、
「あら、マリオン様?」
四角く渡された廊下の対角線上の向こうから、可愛らしい女性の声がした。
二人がぎくりとしてそちらを向くと、侍女を従えたロザリンが少し驚いたような顔で立っていた。
「これはこれはロザリン姫。お久しぶりですね」
如才なくマリオンがにっこりと無邪気な笑みを浮かべると、ロザリンも少し頬を上気させてつられたように花のような笑みを浮かべた。
「今そちらへ参りますわ」
ロザリンは嬉しげに微笑み、回廊をこちらへ向かってやってくるそぶりを見せた。
「自分の顔には責任持たないといけないんだよね?」
渋い顔のジェイクの耳にだけ聞こえるように、唇を動かさずにマリオンが小さくつぶやき、
「この野郎。そういう使い方をするなと言ったろう」
同じく唇を動かさぬまま、ジェイクが吐き捨てた。
そこへロザリンがいそいそとやって来て、二人の秘密の会話はそれで打ち切られた。
浮かれた様子のロザリンは、二人のそのような会話には、まったく気づいた気配もない。
「どうなさったんですの? おいでになるなんて、私、全然存じませんでしたわ」
ロザリンが膝を折ってお辞儀をするなり、可愛らしく小首をかしげてマリオンの顔を見つめ、彼はその端正な顔に優しげで魅力的な微笑を浮かべると、すかさず彼女の手をとり口付けをした。
「相変わらずお綺麗ですね、ロザリン姫。実は急に決まったことなんです。このへんの伝承伝説の本を書こうと思ったんですよ。それで、ジェイクに無理を言ってついてきてしまいました」
当のジェイクは、渋い顔で二人を眺めているだけで一言も口をきかない。ロザリンのほうもちらっとそちらへ視線を投げただけで無視を決め込み、何も言わなかった。
代わりにロザリンは、マリオンに思いきり愛想を振りまいた。
「まぁ、マリオン様はご本もお書きになるんですの? 素敵だわ。いつか読ませて頂きたいわ」
可愛らしく胸の前に手を当ててうるんだ瞳でマリオンの顔を見あげる姫君に、彼はまじめな顔で答えた。
「ロザリン姫はそういう方面にも御興味がおありですか? では、出来あがったら真っ先にお贈りいたしますよ」
「まぁ、嬉しいわ。ぜひ、お願いいたします。楽しみにお待ちしてますわ」
「姫君が読んでくださるのであれば、書く張り合いも倍になりますね」
マリオンがまじめな顔で何か言うたびに、ロザリンの頬がかすかに上気しているのがジェイクの位置からもよく見えた。
「調子のいい奴だ」
後ろでジェイクが唇をゆがめて不愉快そうにつぶやいたが、無論、二人には聞こえていない。
「マリオン、俺は殿様に用がある。先に行くぞ!」
じゃれあうように甘い言葉で他愛もないことをやりとりしている二人に痺れを切らし、ジェイクはそのままくるりと背中を向け、執務室の方へ歩き出した。
「やれやれ、短気な男だ。では、姫君、またお会いいたしましょう」
マリオンはにっこりと笑みを浮かべてロザリンに挨拶すると、ジェイクの後を追って行った。
「うん、なかなかたいした威力だ。にっこり笑うだけで、すぐに落ちる」
マリオンが追いついたジェイクの背中に向かってそうささやくと、ジェイクが急に足を止め怖い顔で振り向いた。
「あとで後悔するのは、俺じゃなくてお前だからな」
マリオンはおどけたように両手を小さく万歳するような形に胸のところにまで上げ、目をぐるっと廻して見せた。
「自分の顔には自分で責任を持とうよ、ジェイク」
「やかましい!」
妙に面白がっているようなマリオンの言葉をきっぱりと切り捨て、ジェイクは厳しい顔で執務室の扉を叩いた。
「入りなさい」
中からサモンデュール候の声が響いた。
「魔術師ジェイク、お呼びとのことで、ただいま参上いたしました」
答えるが早いかジェイクが取っ手に手をかけないうちに、ひとりでに扉が大きく内へ向かって開いた。戸口からは、侯爵ものだけではない何者かの黒い気配がうっすらと流れ出ている。
『これがラザラスの気配か?』
臆することなくジェイクはずかずかと中へ入り込み部屋の中央で優雅に一礼すると、
「申し訳ありません、侯爵。お話の前に一言だけ。実は一人、余計者をつれて参りました」
と、執務用の机で書き物をしている侯爵に声をかけた。
思ったよりこぢんまりとした室内には、いくつものランタンが点されている。
その明かりを避けるように、一人の男が壁際に張り付くようにひっそりと佇んでいるのをジェイクは見逃さなかった。
ジェイクの言葉に侯爵は訝しげに顔を上げた。
「余計者とは、誰のことだね?」
間髪入れず、ジェイクの後ろから金色の魔術師が優雅に進み出ると、膝を折り胸に片手を挙げて正式な挨拶をした。
「サモンデュール侯爵。突然の訪問をどうぞお許しください。先日お目にかかりました、北の谷の魔術師マリオンでございます。このような形でお目にかかるのは、大変無礼とは思いましたが、御挨拶は早いほうががよろしいと存じまして。」
おお、と侯爵が嬉しげに声をあげ、立ち上がるとわざわざ机を廻りマリオンに一礼をし、そばにあった椅子を勧めた。
「これはこれは、嬉しい驚きですな。先日は充分なお構いもできませんで、御無礼をいたしました。今日はどうなさったのですかな?」
「こちらこそ突然のことで本当に申し訳ないのですが、どうしてもサモンデュール候のお力をお借りしたいと思って参上いたしました。実は、この近隣の伝承や伝説について本にまとめたいと考えております。先日こちらへお招きいただいた際に、いろいろ興味深いことなどを耳にいたしましたので、この地方についてもぜひ一冊の本にまとめたいと、そう思ったしだいです」
よどみなくにこやかに話すマリオンに、侯爵が満面の笑みを浮かべた。
「ほうほう。マリオン殿は、そのようなこともなさるのですか。それはぜひとも拝見いたしたいですな」
「ありがとうございます。前にも、別の土地の伝承伝説をまとめたものを二冊ほど書いております。侯爵殿の御領地内にも魅力的な場所がずいぶんとあるようですので、しばらくこちらへお邪魔していろいろと検分などしたいと考えておりますが、いかがでしょうか?」
「魅力的な場所? この近隣にそのようなところがありましたかな?」
ええ、とマリオンはにっこり微笑んだ。
「ビジュー村というところでは、星が落ちたという丘があるらしいですし、ハロウ村というところには人喰い井戸があると聞いております」
「ハロウ村?」
ほとんど無意識のような聞き取れないほどのかすかなつぶやきが、侯爵の口元から漏れた。
それはヘンリエッタを見かけた者がいるという、あの最初に行方不明になった娘の家のある村の名前だった。
「ええ、そのために御領内をあちこち歩き回らせていただければ、助かります。いかがでしょうか?」
侯爵の屈託に気がつかぬようにマリオンが無邪気に微笑んで見せると、侯爵もすぐに気を取り直したように微笑を浮かべた。
「もちろんかまいませんとも。誰ぞ案内の者をおつけいたしましょうか? それともジェイクの方がお気軽でよろしいかな?」
ジェイクの名前に、マリオンは少し嫌そうに顔をしかめて見せた。
「え? ジェイク? いえいえ、とんでもありません。僕一人で自由に歩けますとも。宿の方もどこかこの近くに一部屋とらせていただきさえすれば」
それを聞くと、侯爵は大仰に驚く仕草をして見せた。
「とんでもありませんぞ。我が城へせっかくやってきた客人を、他の宿へ泊まらせるなどできますまい。いやいや、絶対にそのようなことは許しませんぞ」
マリオンは少し困ったように首をかしげた。
「ですが、サモンデュール候にご迷惑をおかけするのは、僕の本意ではありませんし」
「私にマリオン殿の歓待をさせてはもらえぬのでございますかな? これは困った。すっかり嫌われてしまったものらしい。どうしたらよいものか」
額に手を当て大げさにため息をついてみせる侯爵に、マリオンは苦笑した。
「困るのは僕の方ですよ。そういう意味合いではなかったのですが・・・・・・。本当に僕がここへお邪魔していてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん、よろしいですとも! ぜひとも、しばらくご滞在いただきたい。今、部屋にご案内させましょう」
侯爵がそれ以上有無を言わせず、マリオンと向かい合っていた椅子から立ち上がり机の脇に垂れ下がっていた太い紐を引くと、ややあって扉にノックの音がした。
「お呼びでございましょうか、殿様」
扉から顔を出したのは、やせて小柄な若い侍女だった。
「こちらのお方を、白薔薇の間にご案内しておくれ。大事なお客様だ、粗相のないようによろしく頼むよ、ミリー」
ミリーと呼ばれた侍女は、かしこまりました、と小さくお辞儀をし、
「お客様、お部屋までご案内いたします。どうぞこちらへ」
と、マリオンに声をかけた。
「マリオン殿、後ほど改めて晩餐にご招待させていただきます。それまではどうぞお部屋でゆっくりとお寛ぎください」
侯爵が胸に片手を挙げて軽くお辞儀をすると、
「ありがとうございます。では、遠慮なくこちらへご厄介にならせていただきます。では、失礼いたします」
マリオンも、膝を折って挨拶を返すとミリーに伴われて部屋を出て行った。
「奴はいったい何を企んでいるのやら」
それまで影のようにひっそりと、部屋の隅に立ったまま控えていたジェイクがぼそりと低い声でつぶやき、マリオンの出て行った扉をみつめて物思いにふけっていた侯爵がぎくりとそちらを振り向いた。
「何を言うか、ジェイク。お前の友人だろう」
渋い顔で侯爵は元の書き物机の後ろへ回り、深く椅子にもたれて座り、ジェイクは口元に皮肉げな笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「私と彼は古い知り合いと言うだけですよ。私には奴が何を考えているかなどわかりません。ああ見えて奴は、仲間のうちでも古株の年季の入った魔術師ですよ。あの微笑に騙されちゃいけません」
侯爵は眉を少しだけ上げてジェイクを見ると、そのまま書き物机の書類の方へ視線を落とした。
「まあ、それはいいとしよう。私が気にしてもしかたがないことだ。それよりもお前に頼みたいことがあるのだ。そこへかけなさい」
侯爵は、先ほどまでマリオンが腰掛けていた椅子を指し示した。
椅子を侯爵の方へ向けるついでに、ジェイクは薄暗い部屋の隅に目を凝らす。
そこには何もない。ただ、夕暮れの揺蕩うような薄闇が広がっているだけで、もう一人の黒い魔術師の影はない。ラザラスの気配は、先ほどマリオンが部屋を出た直後から消えていた。
「・・・・・・実はだな、北側の穀物倉の方でなにやら問題が起きているようなのだよ」
そのまま侯爵は、淡々と穀物倉でねずみ除けの結界が壊されていて小麦袋の数が何度数えても合わないという話をし始めた。
ジェイクはその話に相槌を打ちながら、頭の一方ではラザラスが出て行った理由をあれこれ考えていた。
『奴の気配は、普通の魔術師とは微妙に違っている気がする。フェリシアの予言にあった最悪な男というのは彼のことなのだろうか?』
直接彼に会えば、もっといろいろなことがわかるだろうか?
『ヘンリエッタ以外の役者は揃ったが、一体誰がどの役をやっているのか、このままでは皆目わからない』
ジェイクは、熱心に小麦粉倉庫の管理について話している侯爵の顔を見ながら、次の手を考えあぐねていた。




