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薔薇の変化(へんげ)(その1)

【M&J 's SIDE】


 あの夜会から二週間ほど経った。

 新緑麗しい森の道を抜け、見晴らしのいい丘に登ったところで、ジェイクはいったん馬をとどめた。日の出からもう二刻ほども過ぎて、そろそろ午前も終わる頃合いだ。

 なだらかに続く草原のはるか彼方に深い裂け目が見え、その真ん中には二つの渓谷をつなぐように一本の道が続いていて、その向こう側には巨大な城が霧にかすんで見えている。

「あれが奴の城か。たいしたもんだ」

 ジェイクは皮肉げに唇をゆがめてそう吐き捨てると、再び馬を城へ向かって走らせた。

 草原はすっかり初夏の気配で、元気のいい緑と明るい色とりどりの花であふれている。どこかでのんびりとカッコウの鳴く声もしている。

 息を吸うと、肺の中まで緑色に染まりそうな、そんな濃厚な香りがしていた。

 渓谷の間にまるで橋のように渡されたその道は、意外と広くきちんと整備され、馬を走らせやすかった。

 ゆるやかな上り坂になっているその道を、ジェイクは一気に駆け抜けた。


 門番はいない。

 だが、ジェイクが門の側へ近づくと、まるで計ったように大門が開いた。

 ふん、と鼻で笑い、ジェイクはそのまま中へ馬を進める。

 正面の大きな扉が開いており、そこにマリオンがゆったりともたれているのが見えた。

「待たせたな」

 ジェイクがそう言って馬を降りると、どこからともなく男たちが寄って来て、すかさず手綱を預かった。

「いいや、思ったより早かったよ。呼び立ててすまなかったね」

 マリオンはそう言って扉の方へ手を振って見せた。

 ジェイクが遠慮なく先にたって大扉を抜けて中へ入ると、広間にはフェリシアが待っていた。

 今日はごく普通の飾り気のない勿忘草わすれなぐさ色の昼用ドレスだが、あいかわらず清楚で美しい。

「ようこそいらっしゃいました、ジェイク様」

 ごく普通に膝を折って挨拶するフェリシアに、ジェイクはかがんでその手をとった。

 手袋をしていない彼女の白い手の甲にジェイクは口付けをすると、

「相変わらず綺麗な方だ。あなたにお会いするために、はるばるやって来たんですよ」

 と、あながち冗談とも言えないようなことを口にした。


「まぁ、お世辞がお上手ですのね。ありがとうございます」

 フェリシアがとまどいつつも笑みを浮かべると、ふっとジェイクの後ろでマリオンが笑った。

「それって本気かもしれないね、君の場合」

 ジェイクは名残惜しげにフェリシアの手を離すとそちらを向き、

「よくわかってるじゃないか。男に会いに、こんな辺鄙へんぴなところへわざわざ馬を飛ばしてやって来る物好きなんてそうそういないさ」

 マリオンは肩をすくめた。

「まぁ、普通はそうかもね。でも、好奇心からの場合だってあるだろう?」

「ふん、お前の場合はもっぱらそっちだよな」

 ジェイクはまた口元に皮肉げな笑みを浮かべた。


「さて? その俺のささやかな好奇心を満たしてもらえるのだろうな、マリオン」

「どうかな? 僕の話に君が乗ってくれるか、ちょっと自信がないよ」

 マリオンはそう言いながらも、にやっと自信ありげな笑みを浮かべて、広間の奥にある階段を指し示した。

「僕の部屋で、お茶でも飲みながら少し話そうじゃないか」

 ジェイクは示された階段をゆっくりとあがった。

「フェリシア、お茶の準備をして部屋に運んでくれたんだよね? 君はゆっくり休んでいていいからね」

 マリオンがフェリシアにそう言っているのを背中で聞きながら、

ていのいい人払いか。彼女にも内緒ってことだな。こいつ、何をそんなに秘密にしたがっているんだ?』

 ジェイクは首をひねった。


 階段を上りきると、そこには広い廊下が延々と続いている。

「手前の扉が僕の部屋だ」

 後ろから声がかかり、同時に大きく重い扉が軽々とひとりでに開いた。

 ジェイクがずかずかと遠慮なく中へ踏み込む。

 中は、蒼の濃淡と明るい灰黄色ベージュ)で綺麗に統一された明るい書斎になっていた。

 壁にはさっきジェイクが見たばかりの、草原からこの城を見た様子が横長の大きな絵になっている。絵の手前には、青々とした夏草と黄色いノカンゾウ、赤いアザミが揺れている。その先に遠くかすんでいるのは確かにこの城の遠景だった。

 まるで、壁に大きな窓が開いているようにも見える。


 ジェイクはその絵の額縁をぴんと指先で弾いた。魔法がかかっている。

「季節ごとにちゃんと絵の中も変わるんだろうな?」

 お茶を入れていたマリオンが、ははっと声をたてて笑った

「そうだよ。よくわかったね。いちいち、絵を入れ替えるのが面倒だからさ」

 やがて、外の草原に夏が来れば太陽がまぶしく輝き、秋がくれば、絵の中にも秋風が吹くのだろう。

 草が枯れて、咲く花の種類も変わる。雪が積もれば、絵の中も白くその色を変えるのだ。

 ジェイクは肩をすくめた。

「まぁ、これも悪くはないな。飽きなくていい」

 マリオンはくくっと笑った。

「彼女には不評さ。冬場に寒々とした雪の絵じゃ芸がないわってことらしい」

 ジェイクはうなずいた。

「なるほど、一理ある」

「かければ? お茶も入ったし」


 マリオンが窓際のテーブルに茶器を並べ、いい香りのするお茶を入れたところだった。

 彼は、白地に大輪の花柄を織り込んだ布張りの椅子にゆったりと腰をかけ、突っ立ったままのジェイクにも同じような椅子を勧めた。

 金の縁取りにアザミの模様がついた大きな皿に小さなサンドイッチやレーズンの入ったウェルシュケーキやクッキーが綺麗に盛られてテーブルの中央に置かれている。

「クリームでも蜂蜜でも好きなだけどうぞ」

「クリームだけ入れてくれ。砂糖も蜂蜜もいらん」

 マリオンは軽く肩をすくめて、ジェイクのカップにミルクを大量に注ぎ入れた。

「優雅なもんだ。でかい城に豊かな食卓、極上の家具に綺麗な婚約者か?」

 ジェイクはどっかりと椅子にかけ、この城の主を睨んだ。

「金に困ったことなんてないだろ? お前」

 ジェイクが眉間に皺を寄せて、差し出された紅茶のカップを受け取った。

 マリオンは別に気を悪くした風もなく、にっこり笑って、「ないね」と、答えた。


 それからマリオンは自分のカップから紅茶を一口、口に含み、

「ついでに言うなら、この城の地下には温泉も湧いてるし、酒倉には極上の葡萄酒もたくさん眠ってる。いい馬もたくさんいるし、金も銀もたんまりある。使用人はみんな勤勉で正直ないい人間ばかりだし。もうひとつ言うなら、彼女は綺麗なだけでなく、優しくて賢い、とてもいいだよ」

 と、すました顔で答えた。

 それを聞くとジェイクは、いきなり身体をのけぞらし、げらげらと笑い出した。

「そんなに笑うと、お茶がこぼれるんじゃない?」

 マリオンは顔色ひとつ変えず、真面目な顔でウェルシュケーキにジャムを塗りはじめている。

「お前にゃかなわないよ、まったく」

 ひとしきり笑った後、ようやく笑いをおさめたジェイクがお茶を口に含んだ。ふわりと豊かな香りが口の中に広がり、ジェイクはゆっくりそのお茶を楽しんでから口を開いた。


「やっぱり、やな奴だよな、お前は。せっかく売った喧嘩を買うことすらしないんだ」

「ジェイクと喧嘩しても、損こそすれ、何の得にもならないしね」

 ふん、と鼻で笑い、ジェイクはカップを持ったまま、肘掛けに身体を斜めに寄せ掛けた。

「俺に、何かとても重要な頼みがあるということか」

 ケーキを飲み下しながら、マリオンは苦笑した。

「そこまで、計算ずくじゃないつもりだけど。まぁ、確かに頼みはあるけどね」

「ふん、大体にして用があるなら本来は、お前が俺のところへ来るべきだろう? わざわざ、呼びつけるということは、お前が不遜なだけじゃなく、場所が悪いと・・・・・・」

 マリオンは紅茶のカップを口元に運びながら、くっくっと小さく笑った。

「不遜ってなんだよ。呼びつけたつもりはないよ。ご招待申し上げたつもりだったんだけど。そう、君の読み筋どおり、僕は彼の、侯爵の領地内では、話したくなかったんだ」

「何故?」

 短くすばやいジェイクの問いに、マリオンが目を細めた。


「あの城に君以外にもう一人、黒魔術師がいるよね。あの城で何の仕事をしているどんな魔術師だい?」

 意外なマリオンの問いに、ジェイクが驚いたように瞬きを繰り返した。

「ラザラスのことか? 何故、お前が彼を気にする? たいした魔術師ではない。・・・・・・ではないが」

「ないが?」

 うーん、とジェイクはいつもに似つかわしくなく、少し気弱そうにマリオンの視線から自分の視線をそらした。

「得体は知れない、と思う。妙に侯爵とこそこそしているし、めったに人前に顔も出さない」

 それからジェイクは、再びうーんと唸り、

「その質問は答えにくい。俺は自分の知らない不確かなことは口にしない主義だからな」

 ふうん、とマリオンが首をかしげた。

「不確か、ね。じゃあ、これは確かだろ? ”常日頃、ジェイク自身は、ラザラスという魔術師があの城で何をしていると想像しているのか?”」

 ジェイクは顔をしかめた。

「なるほど。事実ではなくて、単なる『俺』の想像を聞きたいと、そういうことか?」

 マリオンは答えず、カップを再び口元へ運んだ。

 ふん、とジェイクは鼻で笑い、かちりと音をたててカップを受け皿に戻した。


「俺は、彼が何をやっているか、想像もしたくない。多分、聞かれるだろうから、先に理由も言っておこう。何故なら俺は、やばいことには首を突っ込みたくないから、だ。答えになってるか?」

 マリオンは笑みを浮かべた。

「ああ、ありがとう」

 つまり、ラザラスは何か「やばいこと」をしていると、ジェイクは思っているのだ。

「もうひとつ、言っておこうか。ラザラスは俺に何かしてくれ、と頼んできたことは一度もない。だが、何かして欲しそうな気配だけはある。俺の力がどれくらいなのか、計りかねている可能性はある」

 ふうん、とマリオンが再度、首をかしげた。

「力は欲しいけれど、噂は必要ないってことかな」

「まさか、お前、そんなことが聞きたかったのか?」


 マリオンは小さく声をたてて笑った。

「とんでもない。そんなことで大陸五本の指に入る大魔術師ジェイク殿を、こんな辺境へお呼び立てするわけがないでしょう」

「じゃあ、なんだ?」

 マリオンの冗談に顔をしかめながら、ジェイクがチーズのサンドイッチを手にとった。クリームチーズが薄く塗られていて、薄切りのハムと一緒に別の薄切りのチーズも挟み込まれている。かじると、ハムのピリッとした香辛料の風味と二種類のチーズがちょうどいい具合にお互いの味を引き立てていて、あとを引きそうなおいしさだった。

 マリオンは、椅子に深く座りなおし、少し考えてから、

「僕をあの城へ呼んでくれないかな? 何か理由をつけて、長期滞在できるようにして欲しいんだ」

 今度は、ジェイクが首をかしげた。

「長期滞在? いったい、何をしようと言うんだ? だいたいそんなことしたら、ばればれだろうが。あの侯爵は切れ者だぜ。怪しまれるだけだろう?」

 うーん、とマリオンが唸った。

「だから、僕はこういう方法を考えているんだけど。どうかな?」


 マリオンが声をひそめた。話が進むにつれ、聞いているジェイクの顔色がどんどん変わっていく。

 やがて、耐え切れなくなったようにジェイクが声をあげた。

「お前! そんなことができると思ってるのか?」

「君には無理かな? 僕には可能だけど」

 マリオンが無邪気そうに言うと、ジェイクがじろりと睨んだ。

「その嫌味な言い方をやめろ。できるできないは魔法のことじゃないぞ。そんなこと、俺にだってできる! 俺が言ってるのは!」

「わかってるよ。でも、やりたいし、やって欲しいんだ」

 ジェイクの言葉を途中で遮って、マリオンが真剣な顔をした。

「僕の目的のためにはこれしかないし、どうしても必要なんだ」

「なんのために、と聞いたところでお前が素直に答えてくれるとは思えないな」

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