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誘惑の薔薇

【Felicia's SIDE】


「本当に侯爵様ご招待の夜会にいっしょに行かなくていいの?」

 フェリシアの不安げな言葉にマリオンは優しく微笑んだ。

「大丈夫。一人だって別におかしくはないよ。そもそも僕は、まっとうな世間からはずれた魔術師だからね」

「そんな意味じゃないわ」

 フェリシアが、眉間に皺を寄せると、マリオンの指がそこをすっとなでた。

「皺になるの、嫌だったんじゃないの? そんな顔してると癖になっちゃうよ?」

 眉間に当てられた彼の指をきゅっとつかむと、フェリシアはマリオンに詰め寄った。

「もう、嫌な人ね。私が言っているのは、そんな得体の知れない侯爵のところに、あなただけ行かせるなんて心配だってことなの」

 彼女を腕の中に抱き寄せながら、マリオンが明るく喉をそらせて笑った。

「わかってるよ、フェリス。でも、ご心配なく。僕はそれなりに魔術が使えるんだよ?」

「ふざけないで! マリオン、私、真剣なのよ? すごく嫌な予感がするの。とっても嫌な感じ」


 言い募るフェリシアに、マリオンは真顔に戻った。

「それは単なる勘かな? それとも君の魔女としての予言?」

「予言よ。ちゃんと占ってみましょうか? 支えてくれる?」

 二人は床に座り込んだ。フェリシアの向かい側にマリオンがあぐらをかいて座る。

 マリオンはフェリシアの両手をしっかりと握った。

「いいよ、どうぞ?」

 フェリシアは少し背をそらしてのけぞり、天を仰ぐように顎をあげた。

 マリオンは彼女が後ろへ倒れてしまわないように、彼女の手をしっかり握っている。

 これが彼女の霊的な集中状態で、占いをするときの癖だった。本格的に占いをするときはいつも、椅子か床の上に座った状態で行うのだが、どうしても不安定になり倒れてしまうことが多い。無防備に椅子から落ちたり床の上に仰向けに倒れたりするのを何回か繰り返したあげく、マリオンが彼女の怪我を恐れて今の形になったのだ。今日も床に座ったまま、マリオンの手の温かさを意識しながらフェリシアの精神は占いに集中していった。

 このほうが安定していて、しかも彼からの魔力の影響もあるのかもしれない。当たりやすくなった気がする。それもあって、最近のフェリシアは好んでこの状態で占いを行っている。

 すっかり、彼に依存しているみたいね、とフェリシアは心を飛ばせながら苦笑していた。だが、フェリシアは彼に依存している自分が嫌いではなかった。それは彼に、より深い信頼を置いているということに他ならない。


 ふいに黒い影がフェリシアの視界を覆った。未来のかすかな影が彼女の目の前をさっと通り過ぎていく。

 不安な雰囲気の男と女の影、恐怖、痛み、そしてなんらかの喪失、それも複数の……。うっすらと感じたのはそういうものの気配だ。フェリシアはそれらを順にゆっくりと口に出す。マリオンは黙って聞いている。

「ああ、これ以上はよくわからないわ。私、はっきりした予言はあまり得意ではないし。でも、感じるの。一番嫌な感じは彼。彼は最悪」

「彼?」

 フェリシアは両手をマリオンに預けて目をつぶったまま、かぶりを振った。

「誰かまでは、わからないわ。でも、真っ黒な男の人だわ」

 マリオンは彼女の手をしっかりと握ったまま、ふーん、と遠くを見つめながら考え込んだ。

「聞いてるの? お願い、私も連れて行って。きっと、もっとよくわかるわ。誰がどう嫌な感じなのか」

 通常の状態に戻ったフェリシアが顔を戻し、その黒い大きな目を開いてマリオンを見る。

「だめだ」

 マリオンは少し厳しい顔つきになっていた。

「そういうことなら、なおのこと君は行かないほうがいい。僕は自分のことだけで手一杯になりそうだ」


 すかさずフェリシアはふふっと笑うと、マリオンの手の中からするっと右手を抜き、指をそっとマリオンの眉間にあてた。

「そんな顔してると、皺になっちゃうから」

「フェリス、冗談で言ってるんじゃないんだよ?」

 さらに怖い顔になって睨むマリオンに、あら、とフェリシアは微笑んだ。

「さっきと立場が逆ね。でも、いくら言っても無駄よ。私、あなたについて行くわ。置いていかれたら一人でも乗り込むわ。これも運命よ、あなた。私にはわかるの。私が行ったほうが、早く問題は解決するって」

 マリオンは聞こえよがしに大きなため息をついた。

「僕は君に甘すぎるんじゃないか、といつも思うよ」

 くすくすとフェリシアが笑いながら、マリオンの頬を優しくなでた。

「そこがあなたのいいところ、なのよ」


 **..**..**..**..**..**..**..**..**


「一人では、決してどこへも行かないこと。怪しい、と思ったらすぐに僕に知らせること。それから……」

「もう、わかったわ。侯爵にはできる限り近づかないこと、でしょ?」

 パーティのためのドレスを選ぶために鏡の前で何着か当ててみながら、フェリシアが真面目な顔でうなずいた。

「でも、あなたは近づかなきゃ意味がないでしょう? 私はあなたと一緒にいるんだから、侯爵とはお話しくらいするわよ?」

 マリオンは椅子を逆に向けて座り、背もたれにかけた腕にあごを乗せた行儀の悪い体勢のまま、今日何度目かのため息をついた。

「やっぱりやめようか? こっちが気疲れしそうだ」

 フェリシアは、きっとマリオンを振り向いた。

「だめ! 私はおうちでひとり、あなたを心配しながら待っているのは、嫌よ。私はあなたの飼い犬じゃないの。ちゃんとできるわ。必要以上に心配して、杭につなぎ止めるのはやめて」

 フェリシアの言葉にマリオンは、腕の上に突っ伏して小さくつぶやいた。

「ちゃんと僕の言うことを聞く分、犬の方がなんぼかましだよ」

「え? 何か言った?」

「いいや、何にも」


 顔を上げて、マリオンがフェリシアを見ると、彼女は黒地のドレスの裾に赤い薔薇の柄がついたドレスを胸に当てているところだった。

「薔薇の花はやめたほうがいい」

「あら? どうして?」

 目をぱちくりさせて振り返ったフェリシアに、マリオンは少し物憂げな表情で答えた。

「サモンデュール侯爵の娘がそう呼ばれているからさ。たぶん、彼女は薔薇の花で身を飾るに違いないよ。あとは・・・・・・、わかるだろ?」

「まぁ、そう、そうなの。よかった、最初に聞いておいて。私、薔薇が好きだから、うっかり着ちゃうところだったわ」

 フェリシアはちょっとだけ残念そうに、薔薇の柄がついたドレスを横へよけた。

「じゃあ、別の柄にしなくちゃ」

 フェリシアはつぶやきながら、飽きもせず次々といろんなドレスを胸に当てている。


「ねぇ、マリオン」

 行儀悪く椅子に伏せたまま、うとうとしていたマリオンがぱちっと目を開いた。

「なに?」

 フェリシアが、黒地に百合の花がついたドレスを持ったまま、マリオンのほうを見ていた。

「サモンデュール侯爵のお姫様って、どれくらい綺麗な方?」

 マリオンは肩をすくめ、軽くあくびをした。

「さぁね? 興味がないから知らない。聞いたうわさじゃ、一目見た男は、みんな彼女のとりこになっちゃうっていうことらしいけど、どうだかね」

 何よ、興味がないわりにちゃんとうわさは知ってるんじゃない、と口の中でつぶやいて、フェリシアは鏡の中の自分に視線を戻した。

 鏡の中から見返しているのは、白い肌に黒い髪、黒目がちの瞳が少しきつい印象を与えるやせた若い女。

 黒を着ると、肌の色は綺麗に見えるが、よけいきつく気が強そうで可愛げのない女に見える、と思う。実際、今までだって可愛げない性格だと言われることもよくあった。


 一緒に仕事をしたり、旅をした魔術師や兵士たちの中で、それを言わなかった男は彼だけだった。

 とりえといえば、治療魔術が得意で、お針や料理や家の中のことがちゃんとできる器用な手を持っている、というところだけ。貴族のお姫様からしたら、逆にそんなことはさげすみの対象になることだろう。

「金髪に青い目だったら、もう少し女らしくて可愛らしい感じだったかしら」

 目を閉じてぽつりとつぶやくと、不意に後ろから力強い腕に抱きすくめられて、首筋に口付けを落とされた。

「黒髪に黒い目が一番綺麗」

 耳元でマリオンがささやき、フェリシアはいやいや、とかぶりをふる。

「うそ、嘘だわ、そんなの」

「でも、君なら何色の髪でも目でも僕は気にしないよ。どんな姿でも、君が一番綺麗だから」

 耳元でささやかれる彼の甘く深い柔らかな誘惑に返す言葉もなく、フェリシアはそのまま彼の腕の中に溺れていった。


 **..**..**..**


「はじめまして、フェリシアと申します」

「ようこそいらっしゃいませ。ロザリン、と申します。お会いできて嬉しいわ。フェリシア様、これから仲良くしてくださいましね」

 初めて挨拶を交わしたとき、ロザリンという侯爵の姫君は、可愛らしく笑って挨拶を返してきた。

『なんて綺麗な人かしら。女らしくて可愛らしくて、女の目から見ても素敵な人だわ』

 フェリシアは、少しだけぽうっとしてしまった。

『ふわふわしてまるで、妖精、それも薔薇の妖精みたい』

 そう思ってどきどきしながら、フェリシアはロザリンと話すのを楽しんでいたのだが、しばらく話すうちにその彼女が、マリオンに少しはにかんだ可愛らしい笑顔を向けるのを見てしまった。心臓がどきんと大きく跳ねあがる。

『もしかして、マリオンが気に入ったの?』

 フェリシアは、声をあげそうになり慌てて息を深く吸った。


『そうね、彼は整った綺麗な顔してるし、見たところ、物腰も穏やかで優雅ですものね。好みもあるだろうけど、ちょっとつきあえば、口は悪いけどすごく優しい人だってこともわかると思うし。とても頼もしいし、いい人なの』

 胸の奥がつきりと痛んだ。

『私、ロザリン姫に勝てないわ』

 どうして、あのときの占いに、このことがでなかったのだろう? 

 侯爵からもジェイクからも、あのときの占いの嫌な感じはまるで受けなかった。彼らはあの”最悪な男”ではないだろう。

 あのとき、マリオンに告げた『最悪な感じ』は、今、自分の中にある。

『綺麗なお姫様に嫉妬する自分。これ以上に醜いものはないわ』

 自分は彼にふさわしくないかもしれない。

 今までにも、そういう感情が起きてフェリシアを何度も傷つけたが、そのたびに彼がそれを笑い飛ばし、否定してきた。フェリシア自身、これではいけない、と何度反省したかわからない。それでも、どこかに常に負い目がある。

 初めて彼に詳しい生い立ちを聞いたとき、フェリシアが最初に思ったのは「身分が違う」ということだった。

 自分は町の娘で、彼は貴族の血筋なのだ。たとえ、彼の血の半分に魔族の血が入っていようと、母親が貴族の娘であることにかわりはない。

 だが、マリオンはフェリシアに負い目を感じているのは自分のほうだ、と言ってくれた。


「僕の半分は人間ではないのだから、そちらのほうがもっと問題でしょう?」

 辛そうに生い立ちを告白した後、彼はフェリシアにそう言った。フェリシアは首を振った。

「私、そんなこと、気にしないわ」

「僕も君のおうちのことなんか、気にしてないよ」

 そう言って二人は顔を見合わせ、微笑みあった。

 そのときは、それでよかった。二人とも本当にそのことは気にしていなかったから、無理をしていたわけではなかったはずだった。


 フェリシアが彼の血筋のことを気にしだしたのは、いろいろなパーティに招かれたり、従兄弟の家だというところに連れられていったりし始めてからのことだ。

 血筋、というよりも育ちの違い、生活の違いが気になったというところだろうか。

 まず、挨拶の仕方から始まって、季節と時間にのっとった正しいドレスやアクセサリの選び方、女らしい仕草や話の仕方。

 何もかもが初めてで戸惑うフェリシアに、マリオンがさりげなくフォローを入れてくれるのだが、そうされればされるほど、どんどん惨めな気分になっていくのだ。きっと呆れられている。フェリシアは唇を噛んだ。

 他の誰に馬鹿にされてもよかったが、彼にだけは軽蔑されたくなかった。

 人々の中で顔があげられずにいるフェリシアに、彼はいつも優しかった。


「気にすることはないよ。貴族がこの世で一番偉いなんてはずはないんだから」

「でも・・・・・・」

「この世で一番偉いのはね、フェリシア。物を作る人だよ」

 マリオンはそう言うと、肩をすくめた。

「それを享受しているだけの貴族なんて、偉くもなんともないさ。もちろん、中には優れている人や偉い人もいるけど、それは貴族だからではなくて、その人がその人であるからだ、と思うよ」

「私・・・・・・」

「顔を上げてごらん、フェリシア。君は綺麗だし、――顔だけのことじゃないよ? 心の中もね――立派に自分のやるべきことを知っている女性だよ」

 それから彼は、フェリシアを軽く抱き寄せた。

「僕は君を尊敬してる、心からね」

 その言葉に驚いたようにフェリシアが顔を上げると、マリオンは優しくにっこり笑って彼女の耳元でささやいた。

「それからもちろん、愛してるよ、心からね」


 あの日から、フェリシアの迷いはだいぶ薄れたといってよい。彼がおざなりの言葉を言ったとは思えなかったし、少しではあったが、自分の中に自信のようなものがわいてきたのだ。

「今の私にできるだけのことをしよう。間違っていたら、直せばいいのよね」

 そう思うにつれて、どんどん彼女はいろんなことに慣れてきて、自分なりに付き合いを楽しめるようになっていた。

「自分は治療魔女だから」

 そんな風に、誰に向かっても胸を張って言い切れるようになったのは、彼の言葉のおかげだった。

 だが、それもロザリンのような美女が彼の側に現れるとなると、話は別だった。とたんに、フェリシアの自信は、地の果てまでも埋もれてしまい、失われてしまう。


 彼が自分を愛してくれているはず、とは思うものの、人の心が永久不変でないことを知っているだけにフェリシアは不安になる。

 彼がもし別の女性に心を移したら、私はどうするだろう? 

 女性の関心をひきやすい目立つ容姿の彼のことだから、その心配は何度もあったが、今まで彼は、そんな女性たちの熱いまなざしを全部無視してきた。

 では、今度はどうなのだろう。

 今まで見たこともないほど美しく可憐で可愛らしい姫君が彼に恋を告白したら、彼はどうするのだろう? 

 フェリシアはふいに息苦しさを感じた。

『考えすぎちゃだめ。彼を信じなきゃだめよ、フェリシア』

 ただひとつだけ、肝心の彼のほうはいつものように、さしてロザリンを気にとめた風もなく、それだけがフェリシアの心を慰め、静めてくれた。


 しかし、フェリシアは胸のざわめきを押さえながらも、あの“嫌な予感”がまだ消えていないことに気づいていた。

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