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薔薇の運命(その1)

 フェリシアの白い額に冷たい汗が小さな真珠玉のように噴き出している。

 祈りから目を上げて、フェリシアは半ば呆然と城を見守った。

 城を形作るすべてものが砂となり、あっけなく崩れ落ちていくのが傍目にもはっきりと見てとれた。

 崩壊は、さらさらという砂の流れる音だけでできており、美しいとさえ言えるような見事な崩れ方だった。

 これ以上、城の側に近寄ることはできない。蝋石ろうせきで線を書き込んだようにくっきりと境界線がひかれ、そこから先はすべて砂と化しつつあった。もう一歩も先には進めなくなっている。


 ついさきほどまでフェリシアは、この場所にひざまずきマリオンのために祈りを奉げていた。

 内側でどんなことが起きているのか、全部が全部わからぬまま、フェリシアは光とともに祈りを奉げ、城の中の彼のために自分の力の全てを注いでいたのだ。

 それを助けてくれる者たちもいた。たくさんの人々の影が、フェリシアを導き、支え、マリオンのために尽くしてくれようとした。闇の中にほのかに光が見え、たくさんの影に囲まれ守られたマリオンが見えた。

 だが彼は、その本来の力を失っていた。フェリシアは、自分の持てるすべての癒しの力を彼のために使うことを躊躇ためらわなかった。

 そしてそれと共に、彼を助けてくれた人々の優しく暖かい光の思いがフェリシアの力を増幅させてくれた。だが、その助けはすでに無い。

 ふいに糸がとぎれたように、暖かな光の助けもフェリシアの癒しの力も城の中に届かなくなっていた。


 城はすでに上階の方から三分の一ほどが崩れ、元の面影もなくなりつつある。

「このままでは、彼を助けられないかもしれないわ」

 思ってはみても、自分にはマリオンのような強力な魔力は無いのだ。焦りがフェリシアの不安をあおった。ぎゅっと強く手を胸の前で握り締めてみる。それでも、いざとなったらあの中にマリオンを探しに自分は飛び込んで行くだろう、とフェリシアは覚悟していた。恐れよりも不安よりも、さらに強いものがフェリシアの中にある。

『大丈夫よ。さあ、あなた、風を呼びなさい。風を彼のもと送り込みなさい』

 フェリシアは、はっと顔をあげた。

 ただそよ風が吹きすぎているだけで、何も目には映らない。だが、フェリシアには声の主が誰なのかわかった気がした。

 さきほどの影の人達を率いるように、そして護るように先頭に立っていたあの美しい女性――いや精霊かもしれない――が、フェリシア自身の力の源である風に混じり、耳元で小さく囁いたのだ。

 フェリシアは迷わず立ち上がり、深く深く息を吸い込んでありったけの力で風の精を呼ぶと、前に一歩踏み出した。



 **..**..**..**..**..**..**..**..**..**..**..**

 崩れ落ちる。

 固い石で作られた堅牢な城が見る見るうちに白い砂に変わり、あっけないほど簡単に大地へと崩れて落ちていく。

 悲劇の源となった地下室のあった北の棟はもとより、たくさんの城住まいの人々が暮らしていた南の棟もジェイクの住んでいた高い塔も、マリオンが門番たちとエールをかわした低い玄関脇の小屋も、ロザリンが飾り立てていた東の棟も、どれも容赦なく砂と変わり果て崩れ落ちていく。


 城から逃げだした人々と近隣の村人たちは、ただ、お互いに抱きあって震えながら、あるいは驚愕に口をぽかんと開けたまま呆然と、この崩壊を見守るしかない。馬丁たちが引き連れた何十頭もの馬たちも落ち着きなく怯えている。誰にもどうすることもできないのだ。

 大地に落ちた大量の、元は城であった砂が小山となったかと思うと、アリ地獄の穴に呑まれるようにどこか地の奥底へと吸われていく。

 その崩壊は、ほとんど夜明けまで続いた。

 **..**..**..**..**..**..**..**..**..**..**..**



 そして、夜が明けたいま、空を突くほどに高くそびえていたはずの巨大な城の代わりにあるのは、どこまでも続く平坦で広大な砂丘だった。

 白い砂が城があった場所にいだ海のように穏やかに広がっている。他には何もない。

 砂は、朝の光に淡い煌きを放ち、さわやかに吹きすぎる風に水のようにかすかに波立っていた。

 遠目であれば、白い湖のようにも見えるかもしれない。

 だが、風が少し強くなっても砂は形を変えるだけで、その場所から離れようとはしない。きっちり引かれた枠の中でただ彷徨さまようだけだ。

 まるで、その大地が白い砂を引き止めているかのように。


「まったくよくやるよ」

 本気で呆れたようにジェイクが目の前に広がる光景につぶやき、隣に立つマリオンがわずかに肩をすくめた。

 木漏れ日がその顔に翳りと光のまだら模様を描いているが、その中にはどんな感情も読み取れない。

「しかたないだろう。封印はできなかったし、とっさにはこの方法しか思いつかなかったんだ。質量の無い魂よりも、形あるもののほうがずっと壊しやすく壊れやすいんだ」

 さほど感慨深くも言い訳がましくも無く、淡々とマリオンが言い、

「だとしても、全部だ。全部だぞ? なんで全部砂なんだ」

 ジェイクが両腕を広げ、頭をふった。

 正確に言えば、南側のあの例の地下室からもっとも遠いところにあった何棟かの穀物倉だけは境界線の外側にあったようで今も砂の湖の端に残されてはいるのだが、それを除けば確かに全部といってよい。


 さぁね、とマリオンは口の中でつぶやくだけだ。ジェイクに細かい説明をするには、いささか疲れすぎていた。

 この砂は、あの魔女の井戸の水と同じ役目を果たしている。影の国へ向かっている死者の道を、この砂が閉ざしているのだ。あの穴を塞ぐためには、ひとつの城の分の砂が必要だった。

『最後の一粒が失われてしまうまで、この地の封印は解けない』

 そして、皮肉なことにその封印のための砂は、あの男自身でできている。


 少し強い風に吹かれた砂が舞い上がり、掟破りの白い風となってマリオンの周りを小さな竜巻のように廻った。

『許さぬ、お前を。決して・・・・・・。決して・・・・・許さぬ。俺は・・・・・・俺は・・・・・・許さぬ』

 砂と共に、男の呪詛の声が共にマリオンにすがり、まとわりついてくる。マリオンはうっとうしげに片手で砂を振り払う仕草をした。

 体だけは力の強い魔術師だったといったが、中身の闇の主がどこの誰なのか、いったい何を企んでいたのか、聞きたいとも思わなかった。

 この地の底にその本体であるものが、もしかしたら眠っているのかもしれない。北以外のどこかの地の伝説の聖杯が。そう、北の聖杯は「あなたはもうすでに私たちの仲間でもない」と言ったのだ。聖杯は、穢れてしまったのだろうか。しかし、なぜ聖杯がそうなってしまったのか、あるいは聖杯とは別の妖魔がいるのか、すでにそれを確かめるすべはなく、マリオン自身も今は真実を確かめる気などさらさらない。

 だが、いつかきっと嫌でも突き止めなくてはならない時が来るだろうという予感がしている。


「それにしても、ほっぺたはもう痛くないのか?」

 ジェイクがにやにや笑いながら、物思いにふけっていたマリオンの肩を強く叩いた。

 マリオンは思い出したように自分の頬をなで、小さく苦笑を浮かべた。

「痛くないはず無いじゃないか」


 **..**..**..**..**..**..**..**..**..**..**..**


 男の粘着で強い呪詛の魔術につかまり、いささか脱出にてこずっていたマリオンを助けにやってきたのは、フェリシアのめいけた風の精だった。フェリシアが送った風の精が影の人々の力を借りてマリオンの元にたどり着いたとき、彼は半分ほど砂と化した男とまだ地下の闇の中で睨みあっていた。男は砂となりつつあっても、まだ魔力が強く明らかな攻撃こそできないものの、しつこくマリオンに絡み纏わりつき、自分と共に彼を闇の底へ引きずり込もうとしていた。

 崩れかけた窓から入り込んだ風の精は、細い地下階段を吹き抜け、一瞬だけ男の魔力と絡みつく砂粒を広い地下室の端から端まで勢いよく吹き飛ばした。そのおかげで男は、砂になりかけていた半身ごと砕かれ、そこら中にその身をまき散らしながら倒れ込んだ。その一瞬で充分だった。ようやく砂から解放されたマリオンは、右手を上げると音高く指を鳴らし、砂の城から姿を消した。


 やがて闇の王の結界とも呼べる城から抜け出したマリオンが地に足をつけるやいなや、フェリシアが彼の側に駆け寄った。

「フェリシア、あ」

 マリオンがありがとうとも言い終わらぬうちに、フェリシアがその頬をいきなり叩いた。

「死ぬつもりだったでしょ」

 痛くはなかった。フェリシアは力任せに叩いたわけではない。

 ぱちんと軽い音がするだけの叩き方だったのだが、それはマリオンの胸に充分にこたえた。フェリシアが彼の顔を見上げ、涙にうるんだ大きな黒い目で睨んでいる。フェリシアの言葉はさほど真実から遠くもなく、マリオンは答えに詰まった。

「ごめん」

 言うつもりではなかった謝罪の言葉が思わず口をついた。すぐにその言葉を選んだ事を後悔したが、すでに遅かった。それは否定の言葉ではないのだ。


「あなたみたいな馬鹿な人、もう知らないから」

 フェリシアはもう一度潤んだ強い目でマリオンを睨みつけると、くるっと背を向けた。細い肩がかすかに震えている。

 木の下で手を取り合って城を見守っていたロザリンとジェイクが、こちらの様子に目を丸くしているのが見えた。

「ああ、やっちゃった。あとが大変そうだ」

 マリオンは胸の中でつぶやいたが、そこにはもうあの闇の中の絶望のかげりは微塵もない。

 癒しの魔法と同じだけ強力な暖かい力が、やっとマリオンの内側に戻ってきていた。

 死ぬつもりだったのか、と問われれば完全に否定はできないが、そこにはフェリシアの思うのとは別の真実がある。それを説明するためにマリオンは小さく息を吸い込んで、フェリシアの肩を優しくつかむと自分のほうへふり向かせた。


次回が最終回となります。

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